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○生体認証システムとPASMO
日曜日も休日出勤で、卒論口頭試問。他のゼミの副査をつとめる。
その中のある論文に、「生体認証システム」を扱ったものがあった。主に指紋と脈拍を使用して認証するというものらしい。思えばアメリカでは、すでに入国のさいには指紋認証を取り入れているはずだ。
ちょうど関東一円の私鉄・公共バスではPASMOシステムが導入されようとしている。JRのSuicaと通用して、これからはカード一枚ですべて乗り降りができ、しかもクレジットカードで決済できる。しかも携帯電話とも連動させれば、もうカードを持つ必要もない。いずれはETCとも共通運用がなされるだろう。
すでにGPSシステムとの関連もついているわけだし、これで我々はひとりひとり、「だれが、いつ、どこで、なにを、どのように」しているかを、すべて把握されてしまうことになる。ビッグ・ブラザーによるお見通し世界の現実化だ。
そしてもしもこれが「生体認証システム」とドッキングしたら、もちろんわれわれは「人差し指一本で小田急バスに乗れる」などということで喜んでいるわけには行かなくなることは間違いない。
そこで、こんなことを連想した。
ある日の大学の授業前。教室の入り口には生体認証センサーが備え付けてあり、それにタッチしない限り、入室していても出席とはみなされない。遅刻時分と欠席数は学生持ち点の中から補正の上減点として割り引かれ、入学時にデポジットしている入学金・学費から換算して差し引かれる。
そんなわけだから、学生たちは先を争ってセンサーにタッチすべく指を伸ばしながら殺到し、恐ろしい騒ぎとなり、挙句に将棋倒しとなって負傷者が出る……などという記事が新聞に出たりする。
○ブックインフォメーション
火曜日の夜、かんじゃーやーで泡盛を飲んでいると、サラリーマン風の人が入ってきて、本の宣伝パンフレットを配った。もちろん沖縄のつながり。ただし「沖縄といわず、琉球と呼んでください」と言っていた。「ブログで紹介してもいいですか」と聞くと、「大歓迎です」と言ってわざわざカラー版のパンフレットを呉れたので、紹介しておきます。
松島泰勝『琉球の「自治」』(藤原書店、2006年10月)
今日から授業再開。といっても、後一回か二回しかないから、事実上は終了も同然。全体のレビュー、試験のインフォメーションと質問受付のような内容になる。
昨日は友人宅で年始の会。サンシンに島唄、カチャーシも出てにぎやか。ここのお宅には猫が二匹いる。私は猫アレルギーなので非常に心配していたが、鼻が少々むずがゆくなっただけで、他には何も症状が出なかったのには我ながら驚き、かつほっとした。昨年以来、玄米・菜食のスローフード中心生活に改めた結果、体質がだいぶん変ったのかも知れない。もともと猫は嫌いではないので助かる。妻もべたべたに撫で回して満足したようだった。
ひとつ宣伝をしておく。2月4日、「節分コンサート@新横浜~与那国の古謡と島々のハモリ歌を聴く~」というものがある。詳しい説明は画像をクリックして拡大されたし。どうかお出でください。
○高崎だるま市
昨日の夜のことだが、高崎にある少林山達磨寺のだるま市に行ってきた。江戸時代から続く由緒あるまつりで、夜通し行なわれる賑やかなもの。
日中の大雨も夕刻には止んだが、寺の境内の足元は悪いだろうし、高崎までの路面が凍結していはしないかなどと心配しながら、妻を連れ午後9時過ぎに出発。ボルボ240オンマニ号で関越道を快調に飛ばし、11時過ぎには到着。高崎とはいっても、もう安中市の手前。
雨は止んでいたが、やはり例年より人出が少ないような気もする。お参りを済ませ、ミニミニだるまを求めて目を入れてもらう。ここは黄檗宗なのだが、元は観音堂から始まったらしく、またお札は北辰鎮護なので妙見さんにも関わりがあるという、いかにも日本的シンクレティズムがむしろ面白く好ましい。またブルーノ・タウトが滞在したことでも知られる。
帰り道は寺のある山をぐるっと回って降りていく。ここに並ぶ露店の数も、どうも例年よりは少ない気がする。広島風お好み焼きの店がやたらに多いのが目に付いた。
駐車場に戻り、ボルボ240を駆って帰路につき、午前2時に帰宅。
今年初詣から漏れたところ:
高麗聖天院、鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社。
○夢の話
初夢ではないが、今朝の夢。
どこかレストランで妻と哲学/思想問答をしている。「人の現実は外面と内面とが照らし合ってピカピカとしているようなものだ」と妻に説明する。だがそうなると自分の実体はどこにあるのか? そう一方で考えると息苦しくなり、うなされるようにして目覚めた。
解釈:講釈の方はたぶん上から降ってきたもの。息苦しくなったのは布団を被りすぎていたため。
○自灯明・法灯明
難しい仏教史的説明を詳しく調べなおす前に、これも文化論と絡めての授業中に天から降ってきたような説明を、上の記事とも連関させて述べておく。すなわち:自灯明とは自分の内面つまり自己に入っていき頼れということ、法灯明とは自分の外面つまり自然の摂理によって形作られたものを大切にということ、だからいずれにしても自分をよすがにせよということ。
○夜の初詣
夜、思い立って妻を連れ、ボルボ240でドライブして、相模一ノ宮寒川神社、鶴岡八幡宮へ初詣。夜9時過ぎなのに、寒川神社には、まだちらほら以上の人の数が見られる。晴れ着姿の女性もいる。鎌倉に着いたときは11時を回っていたが、ここも寒川と同様。しかも両者とも、御札授与所も一箇所だけではあるが開けていて、さかんに人々が破魔矢やお守り、御神籤を求めている。
年年歳歳、神社仏閣参詣が隆盛になることは、驚くばかりだ。だからといって、この神社の由緒は何ですかだの、このお寺のご本尊は何ですか、またその縁起はなどと尋ねても、答えられる人は9割方いないに違いない。大概の人は、ただお参りをしてお願いをして、御神籤を引くだけだ。
だがそれで、何が悪い。これをし相変わらず、「恐怖心につけこみ、射幸心をあおり、無知な人々から金品を巻き上げ、箱物造りと贅沢三昧に血道を上げる」悪徳宗教のありさまと非難するのだろうか。どの神様がどこにどう祀られているなどということは長袖者の知的道楽でしかなく、だからこそそれが政治イデオロギーに還元されると、かえって害悪となる。
「なにごとのおわしますかは知らねども……」と西行が詠んでいることを、あらためて思い返した方がいい。神仏のことほぐ日本は、ひとりひとりの日本人の、おのずからなる心の持ちようの中にある/立ち現われるのだ。
●紅白抗議殺到
鼎の軽重を問われているということだろう(もちろん出演者からということだ)。だからもう廃止したほうがいいのではないか。