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宮崎駿「風立ちぬ」雑記

「風立ちぬ」雑記
 宮崎駿「風立ちぬ」を観た。夕食をしようとてたまたま入ったモールのシネコンで、今日が初日とあり、もともとヒコーキは好きだし、堀越二郎も小学生の頃から伝記で親しい。また、このきなくさい時代に、同じくヒコーキ好きとはいえ、なんでわざわざゼロ戦設計者を取り上げねばならなかったのかということにも興味があった。
 それで気が向いて、ふらふらと最終回チケット販売の行列に並んだ。掲示板には、もう残席僅少とある。順番が来て、「まだありますか」と聞くと、画面を見て「一番前、角のところ一つだけです」と言うので、「ではそこでお願いします」とチケットを買ったら、すぐに「完売となりました」と放送が入る。つまり、私のが最後の一枚だったというわけだ。つまりは「観ろ」ということだったのだろう。
 それで内容はどうだったかというと、私はジブリの映画は初めてなのだが、恐ろしく観念的かつ表現主義的なロマンティックで、百年も昔の小説のような作りに、まず驚いた。横の席の女性がしきりと涙を拭っていたのにも、たしかにお涙ちょうだいの道具立てであるとはいえ、これにも驚いた。なるほど宮崎駿とは、こうしたドラマトゥルギーの人なのか。現代アニメの才能は文学に先んじたのかと、ひそかに思いかけていたが、どうやらそうでもないらしい。まあ堀辰雄へのオマージュということなので、あえてそうしたベタなロマンにしたのかもしれないとも考えた。狂言回しのドイツ系ユダヤ人の登場も、定石通りだ。
 最終的には、「芸術家の業」を描きたかったのかもしれないとも思った。
 あとは鉄道ファンの蛇足としては、キューロクは客車を引かない。しかしこれも、後の絵ではちゃんとハチロクが引いていたので、これもジブリからの何かのチャレンジなのか。

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