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どんど焼

○どんど焼
 今日は地元の氏神で「どんど焼」があった。積み重ねたお札や正月飾りを燃やし、竹の棒に刺した餅を焼く。
 昼から出かける。行く道で、三脚にカメラを構えた人、また高価そうなカメラを持った人をみかける。何を狙っているのかと思ったら、妻が「かわせみがいる」と言う。どこから来たのか、このニュータウンに人工的に整えられた小径沿いのせせらぎに、一羽飛んで行く。私は、かわせみを生まれて初めて見た。羽根が確かに「翠色」だ。オレンジ色の部分も見えた。感動的だが、腑に落ちないのは、二人の素人カメラマン氏の存在だ。どうして、どうやって、かわせみの飛来と出現を知ったのだろう。もしかしてどこかに「かわせみウォッチャー」がいて、リアルタイムで情報を発信しているのか。
 神社に着いたら、「午後2時から」ということで、まだ30分以上あり、待っていると寒いし、参拝して雰囲気だけ楽しんで戻る。氏子はもっぱら旧住民の人たちだと思うが、楽しみに餅を焼きにやってくる子どもたちには新住民も多いだろう。この神社も、地域のよりどころとして、もっと来る人が増えていってほしいものだ。大それた言い方だが、私が足を運びだすと、さびれたところもたちまち隆盛になる。行列ができ、整理のポリスが出るようになり、駐車場が整備される。
現にここも、去年の暮に、新社務所が作られた。ありがたいことだと思うばかりだ。
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 どんど焼のために組み上げた正月飾り類です。神棚などもありました。てっべんはだるまです。
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 旧社務所の前で、甘酒を振舞っていました。右側に立てかけてあるもの、また前の人が持っているものは、竹棒に刺した餅です。だいたい、ここのどんど焼は、小正月の火祭り、歳神送り、「左義長」として典型的なもののようです。
 ちょうど友人ブログ「
風写の黙示録」にもこのことが取り上げられていたので、併せてお読みください。面白いですよ。 

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リンク名称変更

○リンク名称変更
 昨日今日は寒い。いつも車に乗る時は、スーツの上を脱いでユニクロのブルゾンに着替えるのだが、それもできないで、ショートコートを着たままシートに座って運転する。お蔭で背広の背中に皺が寄るが、仕方ない。
 リンクの名称を一つ変更。「病の床に臨む日常」から「洋一朗報」に。しばらく休眠状態だったが、お待ちかね始動した。読む楽しみが復活だ。

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ステーキを焼く

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○ステーキを焼く
 土曜日日曜日と、卒業論文口頭試問があり、精力を使い果たす。おまけに、喉もいがらっぽく、気管支が少々危ない、風邪の前兆を感じたので、普段はまったく口にしない牛肉を、薬食いで食べることにした。
 食べるなら栄養をつけなければならないし、ステーキを奢ることにする。そうは言っても、何の肉かの肉ということではなくて、地元のスーパーで売っていた、北海道大沼牛の赤身を選ぶ。
 塩胡椒を振り、オリーブオイルを塗ってしばらく寝かせ、やはりオリーブオイルを熱したフライパンで焼くのみ。ただし隠し味として、蜂蜜を少々、これでちょっとこくを出す。また酢を振り掛けて、臭みを取る。
 久し振りに食べるので、腸に負担をかけないよう大事を取ってウェルダンに焼き、野菜を添えて出来上がり。
 相伴した妻にも好評で、とりあえず、腕は落ちていないようだった。
 これで、風邪気を除けられればいいのだが。

※写真は、1月7日の新宿南口。詳しくは、湖水地方さんのブログ「
月の光森の海」を御覧ください。

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授業開始

○授業開始
 本務校も授業開始。学生もちゃんと来ている。授業はいつもどおり。そろそろ構成を組み替えなければならないようにも思う。これまでの教案の賞味期限が切れた感覚がある。自分の内部の変化と、学生の変化との両方だ。

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浅草寺初詣

○浅草寺初詣
 午前中は学校の新年賀詞交換会。午後からちょっと浅草へ出る。
 電車の向こう側のシートに座っていた母娘連れの娘(20代前半か)のかぶっていた野球帽のロゴが、"Suicidal Tendency"というので、驚愕する。「自殺願望」とでも意訳できるだろう。親はわかっていないのか。そもそもそんな帽子、だれが作って売っているのだ。またよくそんなものを買うものだ。
 浅草はそんな不健康ではない、人だかりの初詣風景。浅草寺と浅草神社に参拝。
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仲見世です。立ち止まったり、しゃべったり、食べ物を買ったり。
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浅草寺側から見た仲見世。人、人、人。まだ羽子板屋が出ています。
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小屋掛の中での一杯。これが楽しいのですよね。参詣も、これが目的かも。
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国際通りの浅草公会堂。新春歌舞伎の最中で、チケットを持った人が入っていきました。

 帰りはいつもどおり、「アンヂェラス」の洋菓子を土産に求め、表参道での乗換えを利用して、「紀ノ国屋」でイギリスパンを買って帰宅。

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今日から授業

●今日から授業
 T大は今日から授業の始まり。信じ難い話。学生ものびのび休めないだろう。ところが、ちゃんと出席しているのだ。
 午後から、お札を返しに府中大國魂神社へ行くも、駐車場は満杯、外から覗いた境内も黒山の人で、インフルも怖し、早々に退散する。甘く見ていた。さすがは武蔵総社。おそらく、仕事始めで早々と会社を仕舞い、みんなで初詣の後、新年会、という段取りの人々が多いのだろう。それに子供たちは大学とは違って冬休みのはずだし。
 それで、聖蹟桜ヶ丘の武蔵一ノ宮小野神社に寄ると、ここはほとんど人もいないが、それでも近所の中小企業か工場かの人たちが三、四人で新春の御祈祷を受けていた。宮司も松の内くらいは出張しているようだ。はじめて拝殿から本殿を拝んだが、なかなか質素静かで落ち着いた。
 昇段の脇に小さなテント張りで、巫女さんたちがお守りやお札を授与しており、お札をいただく。この巫女さんたちも、地元の中高生のバイトだろうが、明るく素直な感じだった。
 今年はこうして大学の始まりも早いし、あちらこちら好き勝手に各地の神社にお参りすることもかなわない。

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グーテン・ノイヤー

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○グーテン・ノイヤー
 朝、ご来光を拝み、若水を汲んで、支度をして近くの氏神様に初詣に行く。風もなく穏やかで、歩いていると汗ばむほど。
 氏神様は、来る人もぱらぱら。真夜中の頃がいちばん賑やかだと思う。去年はそうだったから。今朝はもう焚き火もほぼおさまって、地元の人たちが数人であたっているくらい。新装成った社務所でお札をいただく。地元言葉丸出しの小さなおばあさんに男の人たちが丁寧に頭を下げて挨拶していたことを、妻が「このあたりは甲州と相模の方言が混ざっていると聞いていたけど、あのおばあさんはなるほど『……じゃんかよう』と話していた」と、印象的に語る。地域有力者の一族の人か。
 だいたい、大勢の初詣客が押し寄せる神社仏閣は限られるのだろう。つまり、参詣は参詣だが、地元の神とか何の神とかいうのではなく、ご利益、評判、それより何より、いつもと違う、たくさんの人が詰め掛ける、賑やかで華やかな場に自分も身を置きたい、毎年そうしたい、という心持、衝動から、有名どころに足を運ぶのだろう。だから真夜中、深夜がいちばん楽しいわけで、夜通しの料理屋や食堂、露店にわざわざ寄って飲み食いもするのだ。この人恋しい心理というのは、深夜初詣の大好きな私にはよく分かるような気もする。これを書いている現在、「ラジオ深夜便」で石川啄木の短歌を朗誦しているが、啄木も結局、こんな心理の持ち主だったかと思う。
 さておせちもお屠蘇もいただき、夜は頂き物の「満寿泉」を飲みながら、ウィーン・フィル・ニューイヤー・コンサートを鑑賞。
osechi05.jpgこれが「満寿泉」です。毎年、干支のボトルに入って来ます。瓶の中の虎が見えるでしょうか。
もう、「日本酒」の味ではありません。磨き上げられた、なにか別の「米から造った酒」ですね。






 それでは、弊ブログを御覧の皆様に、御挨拶申し上げます。「グーテン・ノイヤー!」

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除夜の鐘

謹 送 旧 年 ・ 謹 迎 新 年

大晦日になると、いつも思い出す、中原中也の詩があります。
大晦日の夕刻の浅草、国際通りや伝法院通り、新仲見世や大黒屋を通るとき、いつもこの詩を思い出します。
また三十年前、代々木の空は、確かにこんな感じだったのです。

除夜の鐘

除夜の鐘は暗い遠いい空で鳴る。
千万年も、古びた夜の空気を顛はし、
除夜の鐘は暗い遠いい空で鳴る。

それは寺院の森の霧った空……
そのあたりで鳴って、そしてそこから響いて来る。
それは寺院の森の霧った空……

その時子供は父母の膝下で蕎麦を食うべ、
その時銀座はいっぱいの人出、浅草もいっぱいの人出、
その時子供は父母の膝下で蕎麦を食うべ。

その時銀座はいっぱいの人出、浅草もいっぱいの人出。
その時囚人は、どんな心持だらう、どんな心持だらう、
その時銀座はいっぱいの人出、浅草もいっぱいの人出。

除夜の鐘は暗い遠いい空で鳴る。
千万年も、古びた夜の空気を顛はし、
除夜の鐘は暗い遠いい空で鳴る。

よいお年を。

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歳の納めの買い物

○歳の納めの買い物
 歳の納めの買い物に、浅草と神保町に出る。浅草は吉例で、伝法院通のところにある「大和屋」の出店で佃煮を買う。200912301355000.jpg今日もたいそうな人出で、食事ができるところはどこも行列。羽子板市のときにもう観音様への納めの参詣は済ましたので、今日は「アンヂェラス」の洋菓子だけ買って、早々に立ち去ることにする。寿町の一角にある小さな蕎麦屋で、軽く認める。
 その後は神保町に廻る。途中、上野のところで、ちょっとだけアメ横風景をかすめる。なんでも延べ200万人の人出とか。たしかに、黒山の人だかりがちらりと見えた。
 神保町も少ないなりに人が歩いていて、本屋もスポーツ店もまだ開けている。毎年、すずらん通の揚子江菜館で中華おせちを予約するので、今年もそれを取りにきた。
 これで目的は達成したので、あとは一瀉千里にボルボ240オンマニ号を飛ばし、1時間足らずで国立府中インターを出る。高幡不動のパティスリー「Fujiu」に寄り、ここでも洋菓子を買って帰宅。いよいよ年の瀬となった。
 夜になってから、ちょっとだけ地元のスーパーに買出しに出たが、家族連れがそれなりに買い物をしていた。菓子パンのコーナーなどは売り切れ。おせち用の食材も並び、一応は華やかな雰囲気を出している。遠近に見える、ニュータウンのマンションや住宅の窓の明かりも結構な数がともり、そんなにみんな旅行や帰省もしていないようだ。「巣篭もり年越し」というやつか。

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仕事納め

○仕事納め
 T大の授業終了。ところが一週間たつと、もう新年の最初の授業だ。つまり実質、何も変らないということだ。「冬休み」などというものではない。
 夕方から、鍼に行く。これも年内最後。根津のあたりもそれほど人通りも多くなく、「歳末セール!」というような心騒ぐ感じはまるでなし。店も早めに閉めるし。さすがに「赤札堂」の中は、紅白の紙を貼っておせち用品を売っていたようではあったが。
 それにつけても、90年頃の歳末風景を思い出す。当時、非常勤で武蔵小山に通っていたが、商店街は雑踏し、のぼりははためき、街頭スピーカーからは大ヒット中の「~ピーヒャラ、ピーヒャラ、踊る……」というメロディが絶え間なく流れ、抽選器の「ガラガラ……」という音が響いていたものだ。今は昔だ。
 帰りの電車の車内も、押し黙った黒っぽい冬服のサラリーマンばかり、仕事納めの赤い顔など一人も見かけない。「火の消えたよう」とは、このことだろう。停車駅ごとに、そそくさと降りていく。
 不景気か、それとも社会の成熟か。後者であればいいと思う。
 けれども、大学の休みを削るなど、けっして成熟した社会ではありません。
 

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