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●中吊り雑誌広告(小泉復権?)
地下鉄の中吊りの雑誌広告の見出しに、大意「小泉復権狙い」のようなことが書かれていた。
安倍総理にやらせるだけのことをやらせておいて、戦後社会の総決算の責任を押しかぶせ、人気大下落の後を再び襲おうとの飯島元秘書官の算段か。
そしてそれを熱狂的に後押しするのが、「戦後民主主義およびそれに拠って立つところの戦後民主教育」という「背後からの匕首の一突き」によって「負け組」に転落せしめられたというルサンチマンを持つ、ネットウヨSAという構図か。
●「交通事故キッズ」とかいうサイト
倫理破綻者。すぐ特定されてしまった。告発もされるようだし、実名もほどなく曝されて、社会的地位も失うだろうことが予想つかなかったのだろうか。
自分の嗜好欲求を満たすために、こうした職を選んだわけだ。そんな人間が教諭をしているような教育現場が、どうして信用ができようか。
みんな自分の一番したいことを実現するために仕事をするし就職するし、またそれを目指せと適性指導をされるわけだが、そうするとこの人間などは、もっとも理想的な生き方ができたということか……いやいや、そうであるはずはない。小学校は小児愛好者が欲求を満たすための場ではないし、またそのような目的を果たすための手段として、教諭職があるわけでもないだろう。論理が倒錯し、生き方が無責任かつ無自覚になってきている。
師走。今年もあと一月となった。太陽黒点は活動しているようだし、マスメディアは恐怖を振り撒いているようだし、変動は加速され、マア2012年までに、さまざまなことが起こってくるだろう。
●防衛省
教育基本法、防衛省と、安倍晋三の懸案があっさり二つ通った。再来年の初め頃は、もう憲法改正、日本軍出現となっていると思う。「国防軍」ではいけない。「日本軍」でないと、国際平和維持活動をメインにできない。"Japan Terrestrial Force" "Japan Maritime Force" "Japan Aerial Force" の三本立てでいくのはどうだろう、と、名前だけを先走って考える。
それで、時にはロシア軍と、時には中国人民解放軍と、ともに作業する。そうしてこそお互いのことが判り、軽々にこいつらと戦おうなどと考えなくなるだろう。自分たちの扱っている兵器の威力と戦争の悲惨さを知っている軍人たちこそが、むしろ戦争に慎重になるということもあるはずだ。これが国益と集団的安全保障とを生む早道となってほしいものだ。
●教育再生会議提言
いじめっ子は出席停止。つまり、最終的には、いじめっ子を国家権力がいじめるわけだ。ところで国家権力は、国民の負託によって成立しているはずだから、そうすれば結局、国民がいじめっ子をいじめることになる。
禅問答だ。
11月に入っても相変わらず「暑い」感じだ。今年は三の酉まである。
連休や学校祭があって、これから一週間ほどは、どの大学でもだいたい授業は一休みの期間だ。どのみち大学に入れば、宮澤賢治も喝破している通り、こうしてだんだん勉強しなくなるのだから、せめて高校の間は、「履修逃れ」なぞせずに、しっかり勉強しておいてもらいたいものだ。
だいたい、よくできる国立大付属の高校などでは、必修も何も軽くこなして、それで易々と上級大学に合格しているらしいではないか。本来はうんと学習して追いつかねばならないはずの、その次のクラス以下の高校が、必修科目の授業も省略して、なおもあっぷあっぷしながら辛うじて推薦だかAOだかで二流大学に滑り込む、というのではあまりにこの国のお先が暗い。また、地方のトップ校で、予備校などのダブルスクールのコンビニエンスが地域に無くて、それで万止むを得ずこうした措置に出ていたという話も他サイトの分析で見たが、それもまた地域エリート養成機関として情けない話ではないか。
学校格差や地域格差というものが、みな格差社会構造の一環として現われつつあるのだろうか。
●瑞浪でのいじめ自殺
とにかく地球と社会の波動がひどく乱れているに違いない。こんなニュースばかりだから。またはこんなニュースばかり取り上げ報道するから。天人感応というものだ。
誰かが確かラジオで「自殺してもそれが相手に対する社会的・倫理的報復の意味合いをもはや持ち得ないのだから死ぬな」と言っていたが、それはその通り。ただ「コミュニティ」からはじかれるのはほんとうにつらい。どこで生きればいいのか。教育、社会科学、思想、宗教、心理学、みんなパワーを持たぬ。
「今生はそういう生き方をするべくプログラムを組んで課題を持って生まれてきたので、すべては学びだ」というブレイクスルーも、実践はなかなか難しいことだ。何度生まれ変われても、この人生はやはり一度しか体験できない。しかも前世のことは忘れてしまうのだそうだから、なおさらだ。「この人生の内で」かたをつけたいという気持ちは、誰しも持っているだろう。
自分も、もし死んだ後に「この人生を計画した当の本人たる《自分》」か何かがもしも現れたとしたら、そいつをぜひ一発殴りつけてやりたいと、しばしば考えたものだ。もっともそれは、いかにもインナーチャイルドが言いそうなセリフなのだそうだが。
自分の体験として生きる。その生き方にさまざまある。
●単位未履修問題(続)
生徒だって、知っていてその恩恵に黙って与っていたのだろう。みんな同罪で、要するに功利主義社会の下における構造的問題だ。
いまや教育委員会も、管理職教員も、通常教員も、生徒も、戦々恐々だろう。誰がいつどこで地雷を踏むか、あるいは誰がいつどこでトラップを仕掛けるか。誰が世論を動かしているのか。
しかし、いじめの話にも関わるが、もう満天下に名前もさらされてしまった管理職校長先生たちは、いまさら出世とかに汲々としないで、回心して問題剔抉に取り組んだほうがいいのではないか。
教育者たちに、これほど教育的パワーがないことが判ってしまったら、教育など成り立たない。
○「サインはピース」補足
「サインはピース」について書いたが、「サインはピース」「オーシャン」でグーグル検索をしたら、早速下のようなブログサイトがあった。
ゴスペルな日々(Good News Bad Times)
それによると、「サインはピース」は元来はゴスペルで、ドニー・ハサウェイという人が歌っており、プレスリーやリン・アンダーソンもカバーした曲だということだ。
まあ知っている人にとっては常識なのだろうが、ブロードバンドのネット環境というのはありがたい。
●高校履修単位不足(続)
なぜこれが昼のNHKのトップニュースになるのか。教育締め付けキャンペーンの一環だろうか。
もうひとつ疑問に思うのは、世界史担当教員は何も声を上げなかったのかということだ。
社会科の別の授業を持っていたのだろうか。
それとも、ニワトリの世話とか、百葉箱のチェックとか。