忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

瑞浪でのいじめ自殺、単位未履修問題(続)

●瑞浪でのいじめ自殺
 とにかく地球と社会の波動がひどく乱れているに違いない。こんなニュースばかりだから。またはこんなニュースばかり取り上げ報道するから。天人感応というものだ。
 誰かが確かラジオで「自殺してもそれが相手に対する社会的・倫理的報復の意味合いをもはや持ち得ないのだから死ぬな」と言っていたが、それはその通り。ただ「コミュニティ」からはじかれるのはほんとうにつらい。どこで生きればいいのか。教育、社会科学、思想、宗教、心理学、みんなパワーを持たぬ。
「今生はそういう生き方をするべくプログラムを組んで課題を持って生まれてきたので、すべては学びだ」というブレイクスルーも、実践はなかなか難しいことだ。何度生まれ変われても、この人生はやはり一度しか体験できない。しかも前世のことは忘れてしまうのだそうだから、なおさらだ。「この人生の内で」かたをつけたいという気持ちは、誰しも持っているだろう。
 自分も、もし死んだ後に「この人生を計画した当の本人たる《自分》」か何かがもしも現れたとしたら、そいつをぜひ一発殴りつけてやりたいと、しばしば考えたものだ。もっともそれは、いかにもインナーチャイルドが言いそうなセリフなのだそうだが。
 自分の体験として生きる。その生き方にさまざまある。

●単位未履修問題(続)
 生徒だって、知っていてその恩恵に黙って与っていたのだろう。みんな同罪で、要するに功利主義社会の下における構造的問題だ。
 いまや教育委員会も、管理職教員も、通常教員も、生徒も、戦々恐々だろう。誰がいつどこで地雷を踏むか、あるいは誰がいつどこでトラップを仕掛けるか。誰が世論を動かしているのか。
 しかし、いじめの話にも関わるが、もう満天下に名前もさらされてしまった管理職校長先生たちは、いまさら出世とかに汲々としないで、回心して問題剔抉に取り組んだほうがいいのではないか。
 教育者たちに、これほど教育的パワーがないことが判ってしまったら、教育など成り立たない。

拍手[0回]

PR