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南太平洋地震

●南太平洋地震
 昨日夕方、入学式から疲れて帰宅し、少しだけ休むつもりだったら、起きていられなくなり、倒れるように寝てしまう。後で外に出てわかったのだが、路面は濡れ、雨もぱらついていた。起きていられなかったのはこのためだったのかもしれない。そういえば帰ってきた頃、空には鈍い色の雲が広がりかけていたが、おそらく低気圧の前線が通過したのだろう。
 今朝起きて知ったのだが、日本時間早朝、南太平洋でマグニチュード8.1の大地震があったという。起きていられなくなったのは、あるいはこの前兆だったという可能性もあると思った。起きてからも神経が騒いで、不安感がいまひとつ去らない。あるいはこれからまだ何かが引き続くかもしれない。とはいえ、それが何の前兆かなど判るわけもない。たとえデータとして集積したとしても、再現性など望むべくもないだろう。つまり現代科学の検証には耐えないということだ。「後で気のつく××病み」とはよく言ったものだ。

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夜桜見物

○夜桜見物
 昨夜は、夜9時前から妻を連れ、ボルボ240オンマニ号を飛ばして、横浜町田ICまで。そこから246号に降りて、鶴間のジャスコで買い物。ここにはイトー・ヨーカドーも隣接しており、この地域の発展ぶりが窺える。80年代末に用事でこのあたりを訪れたときには、まだ田園の中にようやく新築の家が建てられはじめたところだった。
 467号線に道をとる。大和市のこの道の沿線は、昔から桜並木で知られる。桜ヶ丘という駅もある。
 ほどほどに南下した後は引き返し、ふたたび桜を楽しみながら北上。16号線八王子バイパス~圏央道あきる野ICに入り、狭山日高ICで降り、旧日光街道407号線を走る。ここも高萩から鶴ヶ島の間がすばらしい桜のトンネルになっている。大木が多く、見事な眺めだ。
 その後は鶴ヶ島ICから関越自動車道で練馬終点、環8~井の頭通りというルートで帰宅した。一度に二箇所の桜を楽しんだ夜だった。

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入学式

○入学式
 入学式に行く。晴れてよかった。会場は横浜。
 開式よりかなり早く着いたので、海を眺めながら時間をつぶす。咲き並ぶ桜、岸壁をたたく波音、浮桟橋の揺れ、さんさんと降る陽光。水上バスは発着し、力強そうなタグボートがギヤの音を響かせて戻ってくる。遠くにはベイブリッジが霞み、自動車の影が動いていく。
 ゆとりを見て会場に入ったつもりだったのに、中は満席どころか立ち見状態であることに驚愕する。結局、場内に入るのはあきらめ、受付あたりで他の教員と雑談をしながら過ごす。ロビーにまで人は溢れ、臨時に椅子を並べて、プロジェクターで式を中継するほど。
 この理由は、おそらく日曜日ということで、本人に加えて両親、場合によっては兄弟姉妹から親戚までついて来たからだろう。そして式の終了後は行楽に繰り出し、中華街やレストラン街でお祝いのテーブルを囲んだのだろう。

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ヒトラー最後の12日間

●ヒトラー最後の12日間
 夕方からひどく眠くなったと思ったら、案の定、気圧低下と見えて、大嵐が来た。4月にならないうちに、花が散ってしまうかもしれない。
 夜はケーブルテレビで『ヒトラー最後の12日間』を観る。重い映画だ。あのヒトラーは、ヒトラーというよりも、ブルーノ・ガンツそのものだ。ブルーノ・ガンツがブルーノ・ガンツをやっている、といったほうがいいかもしれない。
映画中の地下壕とベルリン市内を観ていて、「ネクロポリス」ということばを思い出した。そう意識した演出でもあったろう。

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教育テレビ番組予告

●教育テレビ番組予告
 夕方、教育テレビの番組予告を観ていたら、4月からの海外新ドラマ予告として、マジックナポレオンズを進行役にして『マーニーと魔☆法の書』および『ドクター・フ☆ー』という2本を紹介していた。前者はイギリスの古城を舞台とした現代魔☆法使い物語、後者はタイムマシーンを操る宇宙人と人間の少女が活躍する物語だ。
 観ながら、どう考えてもおかしいではないかと思った。キリスト教国で、なぜこんなに魔☆術(w☆itchcr☆aft)のことばかり流行るのか。『指輪物語』しかり、『ハリー・ポッター』しかり、『ナルニア国』しかりだ。それで今度はテレビドラマだ。また『ドクター・フ☆ー』の予告編の中には、「数十億年未来に飛んだら、そこは宇宙ステーションで、あと10分で地球が消滅するそのスペクタクルを見物しに大勢の宇宙人が集っている」というシチュエーションが出てきていたが、これなどは2012年ア☆センション関連サイトでよく言われている「この壮大な地球ドラマを見るために宇宙生命体が別次元に集結している」状況の、丸写しといってもいい焼き直しではないか。
 可能性は二つ。一、まったくアイデアが尽きて、二匹目のドジョウを狙って古臭いファンタジーに頼り、他方ではニューエイジネタにまで手をつけた。二、隠されてきた情報が明るみに出されたときに受けるショックをあらかじめ和らげるために、こうして小出しにして馴化させようとしている。
 いずれにせよ、こういう番組は、青少年の情操にいいとは、とうてい思えないのだが。

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イラン開戦?

●イラン開戦?
 いくつかのブログやサイトからの情報だと、4月6日にアメリカ・イスラエルが連合してイランに開戦するという。出所はロシア情報による中国報道というものだから、「飛ばし」だろうし、これによって何かを牽制するなど、国際戦略・国際謀略がまつわっていることも間違いないだろう。
 私が思うのは、ネットの中に、「こんな閉塞した世界だから、いっそのこと戦争でも起こってスカッとなってくれ」というような気分が醸成され蔓延しているということだ。
 閉塞して活気を失った世界を一気に開いてフェーズを変え、再生のエネルギーを注入するのは「まつり」の役割だが、戦争こそ究極の「人身御供」まつりに他ならない。
 考えれば、ネットではしばしば「祭☆り」になったり、「炎☆上」したりするが、つまりそれはあるブログなりを閉塞感からくる不満を投影する対象として火あぶりの犠牲に選び、スカッとして次のエネルギーを得るということで、まさにそれは戦争に他ならない。
 戦争・カタストロフ待望の気分醸成はいやだ。

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石川県地震

●石川県M7.1、震度6
 今朝、東京でもみしみしと揺れた。現在でも、なお余震が続いているそうだ。
 昨夜、夕食の後、急に起きていられなくなり、「ちょっと横になる」と言ったまま、今日の昼前まで寝ていた。食事のときに飲んだキリンの新発売のエールが効いたのかと思っていたが、そうではなかったかもしれない。
 最近、スピリチュアルサイトでは、しばしば地球の波動上昇による天変地異などといった話題を上せている。「つながっているこころ」というサイトでは、天変地異のみならず、太陽フレア爆発とその結果による太陽風到達について触れている。その到達が、ちょうど今月24日、25日だというのだ。
 自分のダウンは、これらの影響を受けたのかもしれない、とも思った。また、それらの影響による地震の予兆でもあったのかもしれない。
 実は、3月20日朝、すさまじい高潮の夢を見た。私はさる超高層ホテルに泊まっていたのだが、その私の泊まっているホテルの部屋のところまで、つまり百数十メートルの高さのところまで、ざばあっと水が押し寄せて、窓の外に水の中が揺れるのすら見え、そのあおりで窓から少し水が漏れて滴った。この水はすぐに引いたのだが、その後は、目の下に土が溜まって、そこまで地面になっている。斜め上を見上げると、隣の建物(そんなものがあるというのがおかしいが)の軒のところにまで泥がついて、水がその高さまできたことを物語っている。
 目覚めてすぐに気づいたのだが、前日の夜、テレビで「アビス」という映画を観て、それには何百メートルの津波があわや世界を襲うというシーンがあったので、それが夢に出たのだろうと思った。しかしそれだけではなく、こうしたことすべてが何らかの予兆であったということもありうる。それに第一、ああした映画そのもの(企画も含め)が、隠された情報を小出しにして人間を操作する動きの一部なのかもしれないではないか。
 ただし、そうしたこととはまったく別として、人間の身体はミニ宇宙だから、天人相応で、互いに変化させ変化させられることは確かだろう。
 とはいえ、天候の予知も地震の予知もできない。それは、「現代の科学」と「現代の科学の範疇外にある<人間/世界把握の方法論>」のスキームが違いすぎるからだ。これの合一を、宮澤賢治も望んだのだったが。

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スポンジ・ボブ

○スポンジ・ボブ
 今日は会議のため外出。陽光がじつに滑らかで、空気や建物の外壁が、まるで真珠の発するような微光で被われているかのごとくに見えて美しい。このような天候やエネルギー状態をこそ、みなの祈念や総意で現出させられていると受け止めたいものだ。
 昨晩のテレビで(今晩も)、スポンジ・ボブという、最近人気の米アニメを観た。海の底の生き物たちのコミュニティにおけるシット・コムといえよう。主人公のスポンジ・ボブ(本当にスポンジ)をはじめ、グロテスクで悪趣味な作りだが、中身は辛辣で皮肉な批評精神がある。
 昨晩のは、スポンジ・ボブとその親友であるヒトデのパトリックとが、料理人世界一の座を賭けてリングで対決するというものだが、莫逆の両者が、それぞれの黒幕(パトロン/コーチ)たるカニとプランクトンとに焚きつけられてしだいにその気になり、さまざま馬鹿げたパフォーマンスで競い合って最後は取っ組み合いにもつれ込むのだが、そのクライマックスで両者のトランクスが脱げる。すると下に穿いているブリーフの色は、それぞれお互いのカラーのもの。それを知った二人は本来のうるわしい友情を取り戻し、黒幕を尻目に肩を組んで口笛を吹きながら会場より去っていく。
 これはもちろん、背後の大勢力に操られて代理紛争を繰り広げる小勢力という図式をおちょくった寓話だろう。

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2012年

○2012年
 2012年のことを、さまざまに言う人がいる。最大公約数的には、それは何らかの大きな節目、移行点に当たり、そこでアセンションと呼ばれる次元転換が起こるが、その際にはカタストロフが地球と人類とを襲う。そしてその大破局後には、次元上昇して浄化されたミロクの世が始まるのだが、この破局を通過して次元上昇するためには、人間は相当意識して心身を改善・浄化しなければならないという。
 さてこれを眺めてみると、やはり末法思想と弁証法的止揚による救済という、1000年前、2000前にも繰り返されたパターンのビジョンが仄見える。しかも破局を切り抜けられるのは、いち早く気づき「悔い改め」「回心した」人々だけというのだから、そこには選民思想もある。そして「アセンションに対して意識的になれたと自らを認識できると考えているつもり」の人の中には、たとえごく一部ではあっても、そうしたカタストロフの現実化を待ち望み、「破滅した人たち」に対する優越感に浸りたい人たちもないわけではないだろう。
 さらに、「いいえ、私はそんなひどいことは思いません」と言う人たちのためには、こんな心理緩解的言い訳も用意されている。つまり、「どんな人生を選ぼうとも、それはその人の選んだことであり、すべては学びの道程であり、意味があり、究極は一なるものの経験として救われている」というのだ。これで、「アセンションからこぼれ落ちた」人からの怨みも受けず、また気も咎めずに済む。
 ところで、こうしたビジョンというものは、1000年前を見ても、2000年前を見ても、実現したためしがないように見える。かりに百歩譲って実際に末世を通過したと認めたとしても、それがいったい、どのような形で実現していたのかは、少なくとも神ならぬ身の我々には判らないというのが正直なところなのである。
 そこで、そのことに対しても、あらかじめ説明がなされてある。それは、「皆の願い、愛、総意、祈りによって、具体的で恐るべき破局の現実化が避けられたのだ。思いは現実化するのであるから、恐怖を持つことによってそれを現実化することの無いようにせよ」というものである。
 加えて、ごく最近では、カタストロフとアセンションを説く予言の中には、こんなことを言っているものすら出てきている。すなわち、「皆の思いと宇宙の助けによって、実際の次元上昇のショックは、ごく短時間、かつほとんど感じられない程度で済むかもしれない」というのである。
 これではもはや、自分の「言挙げ」が当たらなかった場合に備えて張った「予防線」であると言われても仕方ないのではないだろうか。
 こんなことをやっているから、「ニューエイジ」は信用を持たれず、底の浅い、すぐに論破されるようなものとしてしか認識されえないのだ。人を予め恐怖に陥れておいて、それで救ったような顔をする、殴ってさするマッチポンプとしか思われないのだ。恐怖の波動を撒き散らしているのは、当の自分の方ではないか。
 だから結局は、「毎日を、しっかり生きなさい。できれば「妙好人」として」という、ごくごく当たり前のところに落ち着くということだろう。
 辛口になったが、私には、スピリチュアリティを否定したり排除したりするつもりは、毛頭ない。

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ボルボ240、三浦半島・房総半島ドライブ

○ボルボ240、三浦半島・房総半島ドライブ
 3月20日は私の勤務する大学の卒業式が横浜であった。妻とホテルにチェックインして、妻は横浜町歩きに出て、私は夕刻の卒業記念パーティまで出席した。
 3月21日春分の日は、ドライブに出ようという心積もりをしていた。チェックアウトの後、ボルボ240でまず横須賀まで行く。快晴、ようやく空気も暖かさを増す。三笠公園でトンビの鳴き声を聞いた後、市内を歩いて、横須賀海軍カレーを食べさせる店に行く。チキンを注文したのにビーフを持ってきたのには驚いたが、もちろんすぐに換えてくれた。人手が足りないのか。しかも換えた後のチキンカレーにもビーフのかけらが入っていたことから、ルーは共通で基本的にはビーフカレー、チキンは後から放り込んでいるものと推測する。味そのものは悪くなく、名物にして町おこしを狙っているのだから、残念ながらこのあたりをしっかり改善しなければならないだろう。これがクレーマーだったら、いったいどうなったことか。
 横須賀の町を出発して、オートバックスでボッシュのオイルフィルターとWAKO'sのガソリン清浄剤F1を購入する。105000キロを過ぎて、そろそろオイル交換を考えている。前回の交換からは、まだ3000キロくらいの走行でしかないが、5000キロずつで交換ということを目安にしているので、できれば分かりよい距離数に合わせておきたいのだ。もうエンジン内部も汚れてはいないだろうし、ガソリン清浄剤もオイル交換ごとに1本投入でいいだろう。あとの問題は、すでに20000キロを走行したプラグの交換のタイミングをどうするかだ。
 さらに走って、観音崎を散歩する。干潮のときで、岩礁からなる磯に出ることができる。小指の先ほどの小さな巻貝、水の残った場所に張付いている小さなイソギンチャク、赤や黄色や緑の海草、波の音、日の光、潮の匂い……。五官を満遍なく働かせて、心身のエネルギーを回復させた。また灯台の上からは、東京湾遥かにみなとみらいのランドマークタワー、ベイブリッジ、アクアラインの風の塔と高架橋、さらに房総半島の鋸山まで、鮮明に一望できた。大小の船も行きかい、その眺めは退屈しない。
 どうせなら海の一日を、と考え、久里浜から金谷までのフェリーに乗ることにする。久里浜港に着くと、ちょうど出港直前で、すぐにチケットを買って乗り込む。金谷までは40分ほど。タグボートを従えた大きな貨物船、また珍しい潜水艦の艦影など、船長が手馴れたサービスでアナウンスしてくれる。日本武尊と弟橘媛の話を観音崎でしていたので、妻はそれを思い出したらしく、「ヤマトタケルに勝った!」などと意味不明のことを口走って喜ぶ。
 金谷からは内房を一般道で一路北上、多少渋滞に苦しんだものの、途中で夕食も取って、ほぼ順調に東京まで戻ったのだった。ボルボ240オンマニ号は快調、加速も効くし、ASBとストラットタワーバーのお蔭でロールもせずに、進路変更もきわめて楽だ。

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