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2012年

○2012年
 2012年のことを、さまざまに言う人がいる。最大公約数的には、それは何らかの大きな節目、移行点に当たり、そこでアセンションと呼ばれる次元転換が起こるが、その際にはカタストロフが地球と人類とを襲う。そしてその大破局後には、次元上昇して浄化されたミロクの世が始まるのだが、この破局を通過して次元上昇するためには、人間は相当意識して心身を改善・浄化しなければならないという。
 さてこれを眺めてみると、やはり末法思想と弁証法的止揚による救済という、1000年前、2000前にも繰り返されたパターンのビジョンが仄見える。しかも破局を切り抜けられるのは、いち早く気づき「悔い改め」「回心した」人々だけというのだから、そこには選民思想もある。そして「アセンションに対して意識的になれたと自らを認識できると考えているつもり」の人の中には、たとえごく一部ではあっても、そうしたカタストロフの現実化を待ち望み、「破滅した人たち」に対する優越感に浸りたい人たちもないわけではないだろう。
 さらに、「いいえ、私はそんなひどいことは思いません」と言う人たちのためには、こんな心理緩解的言い訳も用意されている。つまり、「どんな人生を選ぼうとも、それはその人の選んだことであり、すべては学びの道程であり、意味があり、究極は一なるものの経験として救われている」というのだ。これで、「アセンションからこぼれ落ちた」人からの怨みも受けず、また気も咎めずに済む。
 ところで、こうしたビジョンというものは、1000年前を見ても、2000年前を見ても、実現したためしがないように見える。かりに百歩譲って実際に末世を通過したと認めたとしても、それがいったい、どのような形で実現していたのかは、少なくとも神ならぬ身の我々には判らないというのが正直なところなのである。
 そこで、そのことに対しても、あらかじめ説明がなされてある。それは、「皆の願い、愛、総意、祈りによって、具体的で恐るべき破局の現実化が避けられたのだ。思いは現実化するのであるから、恐怖を持つことによってそれを現実化することの無いようにせよ」というものである。
 加えて、ごく最近では、カタストロフとアセンションを説く予言の中には、こんなことを言っているものすら出てきている。すなわち、「皆の思いと宇宙の助けによって、実際の次元上昇のショックは、ごく短時間、かつほとんど感じられない程度で済むかもしれない」というのである。
 これではもはや、自分の「言挙げ」が当たらなかった場合に備えて張った「予防線」であると言われても仕方ないのではないだろうか。
 こんなことをやっているから、「ニューエイジ」は信用を持たれず、底の浅い、すぐに論破されるようなものとしてしか認識されえないのだ。人を予め恐怖に陥れておいて、それで救ったような顔をする、殴ってさするマッチポンプとしか思われないのだ。恐怖の波動を撒き散らしているのは、当の自分の方ではないか。
 だから結局は、「毎日を、しっかり生きなさい。できれば「妙好人」として」という、ごくごく当たり前のところに落ち着くということだろう。
 辛口になったが、私には、スピリチュアリティを否定したり排除したりするつもりは、毛頭ない。

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