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○夢の話
今朝の夢。場所はよくわからない。海岸。冬の銀色の海が右側に遠くはるかに広がっているのが見える。遠方は白く霞む。雪か霧か。
海岸は右前方へと湾曲し、遠くの松の疎林の中に、寺が見える。そこへ行こうとしている。急に増水し、道の上までかぶる。道の左側はかなり急勾配の小さな砂丘のようになっていて、まるで石垣のように雪が凍り付いているので、そちらへ上がるわけにもいかない。
しかし歩けるだろうと見当をつけて、水に入っていく。首尾よく寺の前まで行き着いたが、そこの砂丘はさらに急な崖になっていて、まるで通せんぼをされているよう。白く凍った壁に手を掛けてよじ登らねばならない。
……このあたりで、「どうも水の夢ばかり見るが、自分からそのつもりになって、あえて見ようとしているのかもしれない」という意識が入り込み、目が覚める。
解釈:というわけで、この夢は、真の無意識からのメッセージではない可能性もあり、さらにその裏をかいて、本当のメッセージを自我が捻じ曲げてニセのメッセージだと思わせている可能性もあり、解釈は不能。
ここのところ、妻に吉田戦車『伝染るんです』を勧められて読んだ。
それで芋のつるが引っ張られるように、久し振りに水木しげるの鬼太郎、桑田次郎のエイトマンを続けざまに読んだ。それに併せて、つげ義春、はるき悦巳を思い出した。
つげ義春が水木のアシスタントとしてバックやキャラクターを描いていたことは周知だし、はるき悦巳はつげ義春に多大な影響を受けたこともまた知られている。現に、チエがテツを驚かすために髪のポッチリを取ってぱらりと垂らしたコマがあるが、その顔は鬼太郎に生き写しだ。さらに吉田戦車も、あるエッセイ(未読)で、つげ義春について書いているようだ。それにだいたい、水木しげるのアナーキーさ(とくに初期)は、吉田戦車の破天荒ぶりをはるかに上回っている。かっぱ、かわうそなど、土俗・民俗に着目するところも共通だ。
また、墓場の鬼太郎時代の有馬汎博士らマッド・サイエンティストのキャラクターのタッチは、桑田描くところのエイトマンの製造者である谷博士を髣髴させる。意外なようだが、水木・桑田両者の絵柄は、非常に近いものを持っているのだ。
それ以外にも、この人たちの絵の精密さと構図も含めた美しさ、とくにペン運びの艶はすばらしい。墓場の鬼太郎の初期のコマのいくつかなどは、ロートレックが束になってもかなわないだろう(匹敵し、あるいは上回れるのは、当然ながら江戸の浮世絵師のみだ)。
こういうことを考えてくると、水木・桑田~つげ~はるき~吉田という、トータル芸術表現の系譜が私の脳裏に浮かび上がった。それに浦沢直樹(NHKで昨日取り上げていた)を加えれば、なお完全だろう。
そしてもっと考えれば、西欧20世紀美術というのは、結局「マンガ」「コミック」を予告、あるいは準備するためだけの存在でしかなかったのではないか、という極論すら思い浮かんだのだった。
蛇足ながら、手塚治虫、杉浦茂、みなもと太郎(たぶん鳥山明も加えうる)という流れは、むしろ「堂々たる正統派西洋美術の系譜」に属するものだろう。
●そのまんま東当選
わが国有権者は、青島・ノック・田中の教訓をまったく生かすつもりは無いらしい(マスコミはマスコミで、この三人が、あたかも官僚や議会という「抵抗勢力」にしてやられたかのようなストーリーをもう捏造している)。
だがこれは裏を返せば、役人に対する怒りとルサンチマンがいかに根深く強いかということのあらわれだ。エリートたちは、よほど襟を正して引き締めてかかる必要がある。
○ボルボ240、オイル交換より戻る
夜8時、ボルボ240オンマニ号が戻る。オート・ボルタの若い助手、M君が運んできてくれる。頭をかきながら、「じつはバンパーの締め付けがまだなんです」と言う。前部パンパー左の留め金のところがぐらぐらしていて、以前朝山さんが留めてくれたものをさらにしっかり締めてもらうことになっていたのだが、工場への申し継ぎを忘れていたらしい。「機構的には大丈夫です、次の点検のときに」と言うので、そういうことににした。
礼を言ってM君を帰し、地下駐車場に入れるためにあらためてエンジンをスタートさせると、じつに軽く、低い音で掛るのに驚き、あらためてほれぼれする。オイルとケミカルの効果だろう。メンテナンスは大切だ。
今回のメンテナンス内訳:1.オイル定期交換。バルボリンMaxLife10W-40、交換距離101556キロ。 2.WAKO'sのFV、F1、シールコート添加。 3.シートヒータ修理。シートを外し、めくって修理したというので、この工賃が心配。
○夢の話
今朝見た夢の話を、忘れないうちに書いておく。
一 W大学にいる。とはいえ、いつもの夢同様、さまざまな学校が混合した感じ。トタン屋根で昔の市場みたいな生協に小物がいっぱい売られているのを見ながら、校舎に入る。私は黒くて薄い素焼きの、身長ほどもある、漢代のものと思われる「生命の樹」と「鳳凰」とが混ざったような置物と、もうひとつ別な茶色い素焼きの陶器を背負っている。生協で買ったのか?
校舎に入って2階へ上がりたいのだが、エレベータが廃止になっていて、口はあるのだがボタンが無い。横の狭い階段口から上がることにする。階段は狭く曲がっている。2階入り口がまた狭く、しかも衝立で誘導されている。後ろにピキ氏がいて、「私が持ちますよ」と言ってくれるので先に身体を出しふたたび荷物を持って行くと、衝立の出口にもうひとりピキ氏がいて、また荷物を受け取ってくれる。後ろのピキ氏に「ピキさん、もうひとりのピキさんがいますよ」と言うと、後ろのピキ氏は「あれは……で、……の奴なんです」と、いかにもしょうがなさそうに、いつもの打ち明け話の口調で答える。この部分失念。
2階に出ると、そこは四川省チベット。ベンチに腰掛け、空を見上げる。青空と刷いたような白い雲。「今回はこんなに急に3000メートルの地帯まで来てしまって、高山病は大丈夫かな」と、ちらと思う。傍らに、今回の調査とは関わりの無い、知らない丸顔の若手研究者がやってきて、親しげに仲間に入ろうとする。水色と白のTシャツを着て小太り。ピキ氏「君は新選組も知らないのか、……なんだぞ」といつもの調子で突っかかる。若手研究者「さあ……」とまごまごする。私「そのTシャツをみたらわかるでしょう、青くてダンダラで」と取りなすあたりで目が覚める。
解釈:生命の樹、狭い入り口、階段、衝立、出口、青空と雲、チベットがまず霊性覚醒のシンボルとしてのキーポイント。2人のピキ氏、若手研究者は自分の内部の反映。新選組はなんだかわからない。青と白に関係か。
この夢を反芻しながら、また寝入る。
二 夕方。高麗神社(現実のそれではない)にいつものお参り(現実にはいつものお参りなどしない)。今日はちょっと遅れて、暗くなりかかっている。私は銀色新素材のランニング用スウェットスーツ。広い参道から境内に入り、枯葉を踏みながら軽くジョギング(現実にはジョギングなどしない)。
拝殿に近づくと、なにか身体が軽いような感じを受ける。スーと踵が浮き、そのまま前にすべる。「浮いちゃったよ」思い切って身体を上に伸ばしながら横にすると、飛ぶ。「ああこんなことがやっぱりあるのだな」と思いながら飛んでいく。拝殿の横で、前を歩いていた親子を、3~4メートル上から追い越す。向こうもこちらを見上げているが、驚き騒ぐほどでもない。というあたりで目覚める。
解釈:見たままだと思う。
○サイト報告
メインサイト「きぬのみち」の中の「友人作品」コーナーに、ピキけんじ氏の詩「不戦ふぉーく 命は宝」をアップした。
ピキ氏はもちろん私の心友で、某有名大学の社会人類学教授。只の詩ではなくて、かれはギターを抱え、ナムファティーグ(ベトナム戦争時代の米兵の戦闘服)を羽織り、「ディア・ハンター」のクリストファー・ウォーケンばりに頭にバンダナを巻いて、ブルースコード進行で弾きかつ歌うのだ。
元来これは、私と仲間たちが作っていた同人サイト「ソムニウム」に掲載していたのだが、諸事情でサイトを閉じることになり、「きぬのみち」に移植したものだ。
これから少しずつ、「ソムニウム」に載せていた私の作品も転載していく。