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漫画雑感

 ここのところ、妻に吉田戦車『伝染るんです』を勧められて読んだ。
 それで芋のつるが引っ張られるように、久し振りに水木しげるの鬼太郎、桑田次郎のエイトマンを続けざまに読んだ。それに併せて、つげ義春、はるき悦巳を思い出した。
 つげ義春が水木のアシスタントとしてバックやキャラクターを描いていたことは周知だし、はるき悦巳はつげ義春に多大な影響を受けたこともまた知られている。現に、チエがテツを驚かすために髪のポッチリを取ってぱらりと垂らしたコマがあるが、その顔は鬼太郎に生き写しだ。さらに吉田戦車も、あるエッセイ(未読)で、つげ義春について書いているようだ。それにだいたい、水木しげるのアナーキーさ(とくに初期)は、吉田戦車の破天荒ぶりをはるかに上回っている。かっぱ、かわうそなど、土俗・民俗に着目するところも共通だ。
 また、墓場の鬼太郎時代の有馬汎博士らマッド・サイエンティストのキャラクターのタッチは、桑田描くところのエイトマンの製造者である谷博士を髣髴させる。意外なようだが、水木・桑田両者の絵柄は、非常に近いものを持っているのだ。
 それ以外にも、この人たちの絵の精密さと構図も含めた美しさ、とくにペン運びの艶はすばらしい。墓場の鬼太郎の初期のコマのいくつかなどは、ロートレックが束になってもかなわないだろう(匹敵し、あるいは上回れるのは、当然ながら江戸の浮世絵師のみだ)。
 こういうことを考えてくると、水木・桑田~つげ~はるき~吉田という、トータル芸術表現の系譜が私の脳裏に浮かび上がった。それに浦沢直樹(NHKで昨日取り上げていた)を加えれば、なお完全だろう。
 そしてもっと考えれば、西欧20世紀美術というのは、結局「マンガ」「コミック」を予告、あるいは準備するためだけの存在でしかなかったのではないか、という極論すら思い浮かんだのだった。
 蛇足ながら、手塚治虫、杉浦茂、みなもと太郎(たぶん鳥山明も加えうる)という流れは、むしろ「堂々たる正統派西洋美術の系譜」に属するものだろう。

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