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授業、鍼、カレー

○授業、鍼、カレー
 今日はエクステンションで講義、それから授業。今年は教案をよく整理してあるので、話すときも楽。基本的にパワーポイントもハンドアウトも使わないので、ホワイトボードに専ら書く、古い講義形式。しかし手は脳神経に直結しているので、学生としてもふうふう言いながら書いたほうが絶対ためになるはずだ、と経験上からも思う。
 夜は久しぶりに鍼に行く。呼吸法もやっています、と言うと、鍼の先生はそれも効果があるとおっしゃった。体重も減るそうだ。穏やかな心持を保つことが体調維持の秘訣だ。そのためには「感謝」というより「ありがとうございます」これがいちばん。
 鍼のあと、妻を呼び出して、行きつけのインドカレーの店でダルマサラ(インド豆のカレー)とナンを食べる。インドカレーの店はいくつか試したが、ここの店がカレーの量も多く、ナンも熱く厚く美味しい。

*ところで再び黄砂が日本上空に押し寄せてきているらしい。桑原桑原。浄化を念じよう。

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ボルボ240、小諸の旅

○ボルボ240、小諸の旅
 大学祭休講を利用して、5月11日、12日と、妻を連れ小諸に行ってきた。島崎藤村フィールドワークの旅。天気に恵まれ、快適だった。
 11日午後出発。中央道を取り、諏訪SAで軽食と給油。長野道~上信越道と走って、小諸で降りる。東京から4時間。
 藤村の恩師木村熊二が開いた鉱泉旅館、中棚荘に泊まる。もちろん現在では、すばらしく洗練された宿となっている。連休の次の週のこととて、宿泊客も少なく、静かで落ち着く。食事も地ビールもなかなか美味。風呂は別棟になっていて、お湯はとても滑らかでいいのだが、この季節の小諸はいまだ早春で、部屋から浴場までいくのはなかなか寒い。真冬ならどうなることだろうと思う。
 ロビー〈ここにも薪ストーブが赤々と燃えている〉には藤村関係の書籍も多数揃えてあって、重要なもの以外は部屋で閲覧することもでき、風呂に浸かって疲れを取った後は、ゆっくり読書した。それで面白かったのは、藤村は小諸での生活を、後にはあまり良い思い出としていないということだった。懐古園に歌碑が立てられたときの除幕式にも出席していないし、便乗して「藤村だんご」という土産ができたのを知るとかんかんに怒って「そういう所だ」と吐き捨てている。このあたり、賢治と花巻の関係にちょっと類似して面白い。
 12日翌朝、早起きして入浴と散歩。宿の直上に、木村熊二の寓居水明楼がある。昔はここから千曲川の岸と流れが見えたのだが、今では木も生い茂り、しかも旅館の真下には団地が作られていてほとんど見えなくなっている。何でこんなところに団地を作らねばならなかったのだろう。
 素晴らしくよく摺られたとろろをかける麦飯など、よく吟味されて美味しい朝食を取り、宿を出て、懐古園見学。土曜日だというのに、来ているのは台湾人観光客とスケッチに訪れている子供たちばかり。今年は大河ドラマを当て込んで、山本勘助ばかり。
 私たちは藤村詩碑と牧水の歌碑を見る。牧水の方は石垣に字を彫り込んであるだけで、「その慎ましやかさに比べ藤村の方は」と批判的に書いてある文章を昔読んだことがあるが、それはそれぞれだ。ただし小諸は藤村で食ってはいるな、と思うことは確かだ。まちそのものはすっかり寂れているのだから。藤村資料館には小諸時代の藤村使用品がさまざま寄贈されていて、それを見るのは楽しかった。最初の妻ふゆの父がわざわざ小諸まで提げて来て藤村の家の居間に掛かり、のちに訪ねてきた柳田国男から「あの時計はずいぶん遅れているよ」と言われる、その時計と思しき柱時計もあった。しかしどう考えても、いちばん哀れなのは、このふゆ夫人だと思う。
 懐古園を出て、小諸駅のすぐ横に移築保存されている、小諸義塾記念館を見学。ここの様子は、そこに集った教員の姿とともに、藤村の『千曲川のスケッチ』に詳しく描写されている。当時の写真も多数展示してあり、面白かった。創設者の木村熊二という人は、昌平黌で学んだエリートで、天狗党平定にも、第二次征長の役にも従軍し、勝海舟の部下として近藤勇とも面識があり、彰義隊に参加した後偽名でアメリカに逃れ、そこで留学して学位も取りプロテスタント牧師になり、帰国後は明治女学校を設立するという、波乱万丈の英雄的幕末明治人だ。新選組、透谷、中村屋、藤村、私が興味を持ったものがみんな木村熊二で結びつくのは不思議な感じがする。
 さて小諸をこのあたりで辞して、われわれはふたたびボルボ240に乗り込む。小諸ICに入ろうとすると、「事故閉鎖中」の表示。この日の午前9時ごろ、十数台の関係する大事故が起きていた。懐古園を見学せずにそのまま出発していたら、危うく巻き込まれるところだった。そこで次の東部湯の丸ICから入り、上信越道をそのまま北上する。妻がいまだ裏日本の日本海を見たことがないので、越後まで出るつもり。
 信濃ICでいったん降り、一般道を通って上越まで出ることにする。以前立ち寄って覚えていた、上越IC新都心のジャスコ内にある小嶋屋で、へぎそばを食べる。
 それから日本海を眺めながらドライブ、柏崎~七日町~小千谷と山を横切り、17号線に出て、スキー場を眺めながら三国峠を越え、渋川~前橋~高崎とひた走る。交通量も少なく、非常に快適。給油すると、リッター11キロ強まで行っている。加速も効くし、トルクフル。
 高崎近くで夕食を取り、それからまた17号線を南下。熊谷から道を東松山に取り、鶴ヶ島から圏央道に入って、あきる野で降り、八王子から中央道で高井戸、そして自宅へと帰り着いたのだった。

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超新星大爆発

○超新星大爆発
 今日は午後から嵐。東京は雨はほとんど降らなかったようだが、風は強かった。これで黄砂も吹き飛ばされたろう。まだ鼻はむずむずするのだが。ともかくこうして日本を清浄に保ってくれている神祇諸天善神に感謝する。
 あるサイトによれば、超新星が大爆発したそうだ。またあるサイトによれば、想念波、電磁波などが不安定になってきているという。おそらく双方なんらかの関連があることだろう。
 天の神様も大忙しだ。

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本州各地真夏日

●本州各地真夏日
 非常に暑い。空も白く、もやったよう。「五月晴れ」などということばがあったことを忘れてしまいそうだ。
 日本列島から、春という季節がなくなってしまった。冬から夏だ。内陸砂漠気候ではないか。黄砂アレルギーも治らない。テレビニュースでも新潟に光化学スモッグ注意報が出たことを伝え、その中で、中国からの化学汚染物質飛来の可能性にも触れていたから、もはや一般にも無視できない要素となっているのだろう。

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ふたたび黄砂

●ふたたび黄砂
 授業も済み、新宿に出てかんじゃーやーに寄る。ピキ氏が来るかと思ったが、今夜は顔を見せなかった。
 腹が減ったので、インドカレーの店「シディーク」に入る。野菜とチキンのカレー、それにナンが美味。
 かんじゃーやーでも、また帰り道の電車の中でも、アレルギー性のくしゃみが出たのでおかしいと思っていたら、帰宅後見たあるサイトの情報によれば、今日は黄砂が再び押し寄せて来ているそうで、なるほどさもありなん、と納得が行った。
 黄砂のアレルギー体質になってしまった。しかしかつての北京留学中には、黄砂の襲来はこんなものではなかったのに、びくともしなかった。ということは、アレルギーの原因は黄砂そのものではなく、黄砂の中に最近とみに含まれるようになったとおぼしき、化学物質がアレルゲンなのだろう。恐ろしや。自分の体がそれを浄化してくれることを信じ、また念じなければ。
 5月9日午前0時42分追記:
 気象庁HP黄砂情報を見たら、5月9日午前0時現在、朝鮮半島38度線南あたりに観測情報が集中している。さてはこれの先駈けを感じたのだろうか。

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今日は雨

○今日は雨
 今日は雨。Uターンの人々も大変だったろう。
 もう氷雨というわけではあるまい。とはいえ肌寒いのはたしか。
 それでも、雨が汚染を清めてくれていると思えば、それもありがたい。
「夢も希望もない」方が望ましい、と説くセラピストがいるという。つまり、夢や希望というのは、現状に不満があるから持つ(不満はその状態を引き寄せる)のであり、むしろ必要なのは「感謝」なのだという。なんでも完了形で考えろとは、よく言われることだ。
 このあたりのマジックというか、「認識の転換」の感覚は一瞬の「呑みこみ」で、いわば「不立文字」だろう。
 私はこの間の試験の前のとき、学生に「大いにあきらめろ」と言った。つまり「あきらめる」とは「絶望」ではなく「明らめる」のであって、「明らめ」れば試験準備で何が足りないか、どこを復習すればいいか、すっかりはっきりする。
 ちょっとそのあたりと似ているかもしれない、とも思った。

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髪を切る

○髪を切る
 今日も25度を越えたようだ。もう寒くなることはないだろう。日も長くなった。
 今日は髪を切ってきた。これまでとはまったく違う風にした。妻は似合うという。
 来週、学校に出たとき、どんな反応があるか。これも一つの変化、やってみたかったことはやってみよう。

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ディスカバリー・チャンネル

○ディスカバリー・チャンネル
 今日はずいぶん暑い。やっと服の入れ替えもした。だがこのままだと、合服の季節は短そうだ。
「ディスカバリー・チャンネル」で元寇のことをやっていたので観る。海洋考古学者の林田先生が出てくる。先生のことばに合わせてかぶさる英語が、いかにも日本人発音の英語であるのが可笑しい。この日本人英語は、アメリカではだいぶんポピュラーになっているようだ。時代考証もデタラメ、相変わらずステレオタイプ。
 それはともかく、元寇の失敗の原因は、日本軍の防戦により橋頭堡を築けなかったこと、拙速な計画により軍船の品質が悪かったこと、竜骨のない川舟まで動員したこと、そしてそれらの失点が台風で一挙に露呈して壊滅したことだという。
 その結果、モンゴル帝国の威信は揺らぎ、やがては衰退に繋がっていったというのが結びだった。
 日本と戦って失敗し、ついには滅びた国といえば、元、そしてロシアが挙げられる。日本は世界史の関鍵となる国だ。世界は日本に対して火遊びをしないほうがいい。
 でもアメリカには負けた。アメリカは文明史的に、十分研究を重ねて臨んできたのだろう。
 いやしかし、まだわからないかもしれない。歴史は百年単位で見るものだから。

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高校野球特待生334校

●高校野球特待生334校
 家が経済的に苦しくて、一つの才能が極めて秀でており、なおかつ学校の名声を高めることのできる生徒に奨学金を出すのはそれほど不都合ではないだろう。しかしこう言うと、「奨学金をだすほどの余力もない学校に入って、しかも優れた才能を持った生徒と不公平が出る」その他さまざま異論も出るだろう。
 むしろ重大な問題は、利権に群がる中高野球指導者とプロとの金銭的癒着の方で、それがいつの間にか別のテーマにすり替わっている、という指摘もあるようだ。きっとそこを追求すると、リトルリーグまで行ってしまうのではないか。
 私が思うに、もうプロ・アマなどというブランデージ的区別は有名無実、雲散霧消しているのだから、いっそのこと高校野球もスポンサードシステムを導入してしまうのはどうだろうか。それでユニホームに協賛企業の広告を縫い付ければいいのだ。ちょうどF1のスーツのようなものだ。
 子供に商売を教え込む「キッザニア」などというものも大当たりしているのだから。

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5月の入り

○5月の入り
 5月の入りは雨模様で肌寒く始まったが、そろそろ青空も覗いて、いっそさわやかで気持ちいい。天の神様が化学物質を吹き飛ばしてくれていると思えばありがたい。これから妻と散歩にでも出よう。それで一杯飲んで帰ってこよう。
 龍榮クリニックブログからリンクしている「ホウホウ先生の開運ブログ」を読んだら、4月はマイナスのエネルギーがひどく流れてきて、それは4月2日、3日満月ごろから始まり、17日新月のころがピークだったと書いてある。
 思い出して4月の自分のブログを見たら、なるほど4月2日、3日ごろは完全に体調ダウンしている。それで、忙しいこともあったが、延べ2週間というもの、ブログを書いていない。しかも内容といえば、挙動不審の人物を見かけたことばかりだ。
 やはり波動がおかしくなっていたのかもしれない。だとすればなおのこと、悪い「気」を浄化してくれていることに感謝しなければ。

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