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スピリチュアル風

○スピリチュアル風

  スピリチュアル風です。不評なら消します。

「アセンション」とか「クオンタム・リープ」とかいうことを説いているサイトを見るたびに、どうも「選ばれた人」や「気づいた人」の優越感が潜んでいるような気がします。

「気づいた人」は「アセンション」できたり、「波に乗れる」が、そうでない人は救われないまま取り残されるか、はなはだしきは「消滅」してしまうかもしれないらしいのです。「消滅」まで極端ではないにせよ、要するにカルマを解消できぬまま際限なく転生を繰り返し、課題の解決ができずに人生学校を落第・留年し続けるというわけです。

 だから、そうならないために「気づけ」「生活を改善せよ」「生き方を改めよ」「自分を愛せ」「感謝せよ」と言われるのですが、それらは勿論、当然の上にも当然だと思う一方で、どうしても「先に気づいた人たち」に、幾許かの哀れみの念を以て見られているような気がしてならないところがあるのです。

 でも本来、宇宙は広大無辺の愛なのですから、そんな不公平・不平等があってはならないし、またあるはずもないと思うのですが、それでもまだ何となく、納得のいかない気持ちが残ります。

 わかりやすくするために、例を挙げてみましょう。
 いまあなたが、寒中水泳をしているとします。決められたコースを、決められた時間内に泳げば、岸に上がって、温かい汁粉が待っています。いや、最後には、どんなへまな奴でも必ず汁粉は貰えるのですが、ともかく標準タイムを突破できないので、なかなか岸には戻れません。どうもちょっとしたコツで早く泳げるらしいのですが、それがどうにも分からないのです。
 回りの人間はみんなどんどんタイムをクリアして上がっていき、笑いながら汁粉にありついているのが、波間から見えます。「××、手をこうすりゃいいんだよ」とか叫んでくれるのですが、なかなかどうして、そう簡単にいくものではありません。寒いし、うんざりしてくるし、腹は立つし……。
 そのうち、「××、もういいよ、上がれ」とかコーチに言われて、がたがた震えてタオルにくるまりながら汁粉をすすっても、課題をクリアできなかったのだから、ちっとも嬉しくありません。そんな感じでしょうか。

「いや、だから、不公平だとかぶつぶつ言っている間に、まず踏み出してしまいなさい、気がつく方に回ってしまいなさい」と畳み掛けられそうな気もするのですが、ではいったい、どうすればいいのでしょう。

 昔、子供の頃、自転車を練習していたときに、何度乗り出しても転ぶのです。というよりも正確には、転ぶことが怖くて「転ぶ前に足を出して」しまうのです。放課後のことで、しだい日は暮れてきます。遊び仲間にはからかわれます。とうとうやけっぱちになって、「もう転んで怪我をしてもいいや」と思ってペダルをぐんと踏むと、乗れました。

「もういいよ、まかせた、あとは勝手にしてくれ」と、自分でもがくのをやめる。すると手足が急に伸びて、楽になる。

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」ということばが頭に浮かびました。「放下」と言ってもいいでしょう。いや、なにもそんな過去のことば遊びで観念を固定し、抽象化しなくてもいいではありませんか。

 みんな最後の宇宙のゴールは同じなのだから、必ず汁粉は待っているのだから、くよくよするな、気にするな、安心していろと思った瞬間、実は泳げているし、自転車に乗れているし、「流れに乗れて」います。ぶつくさ言っていた自分は、消えています。「あいつらは優越感を持っている」と思っていた自分が、消えています。

 そこで気づきました。「これこそがクオンタム・リープではないのだろうか」と。

 というか、帰りのバスに乗って、上に書いたようなことを考えているときに、そう「頭の中に浮かんだ」のでした。これもクオンタム・リープかもしれません。

 自分で思ったのか、それともガイドか何かが吹き込んだのかは分からないのです。
 きっと両方なのでしょう。

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小沢さんの夢

○小沢さんの夢
 思い出したので書いておく。今朝の夢。
 民主党の小沢代表とその秘書の女性、私の友人、そして私の四人で、どこかの家からタクシーに乗る。私は友人との関係で同席していただけで、帰るついでに乗せてもらったという状況のよう。
 途中で大きな病院に寄る。大きく豪華で、金色やオレンジ色を使った、外資系ホテルのような感じ。私もなりゆきでついて行く。病院のロビー兼フロント、というか待合室は4階にあり、1階の車寄せから降りて、なぜか通用口の階段を登っていく。
 階段はしだいにメインの階段になるが、皆どういうわけか、かなりの早足で駆け上がる。私も手すりにつかまって、足を前に勢いよく振り出しながら登る。私の後ろに小沢さん。たしか心臓をやっているのに、こんな階段を使って大丈夫なのか、と思う。また私だけどうもぼんやり上っているようで、後ろの小沢さんにぶつかりそうになり、怒らせてしまいやしないかな、と心配になった。
 やがて3階の踊り場あたりから階段の手すりは真ん中に移り、私は階段右側の壁に付いている手すりを頼りに登るが、小沢さんはその真ん中の手すりの左側を上り、しだいに私を追い越すが、手すりはだんだん左の壁に寄って行く。つまり小沢さんの上っている側は狭くなって塞がれてしまう。
 小沢さんは狭くなったところで驚いたようにそっくりかえって止まり、振り向いて私を見下ろして口を膨らませて息を吐き、苦笑いして手すりをくぐると階段を上りきって、ロビーに入る。
 ロビーは1階から吹き抜けになっていて、下を見下ろすテラスのようになったところにソファとテーブルが並んでおり、そのあたりもまるでホテル同様。小沢さんと秘書と友人はそのソファに腰を下ろし、忙しく白い封筒を取り出して文書の受け渡しなど始める。私は壁際に立ってその光景を見ながら、私はたまたま立会っただけだと思っている。
 というところで、電話の音で起こされた。
 夢の中の小沢さんは、優しい感じの人だった。

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ショウリョウバッタ

○ショウリョウバッタ
 今日も学校で会議。その後パソコン調整。かなりいけそうな雰囲気になってきた。キーボードもあまり音がせず、タッチも気に入っている。貧乏性なのか、フィルコだのミツミだのは、かえって使いにくい。自宅で使っているのも、サンワサプライの安物。
 帰りの駅、いつものベンチで電車を待っていたら、ヒラヒラと緑色の虫が飛んでくる。へとへとになって足もと近くに着地したのを見たら、近頃たいへん珍しい、ショウリョウバッタ。頭の尖った奴だ。そろそろシーズン終わりだろう。今夜の風は涼しかった。
 秋田・岩手で豪雨被害。稲もリンゴもやられた。賢治ならどうしただろう。また九州では酷暑、沖縄では暴風。MJO現象とやら。いずれ地球の波動が上がっているのだが、何も悪いこともしていない個々の人間のことを考えるとコメントを失う。

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休日出勤

 休日出勤で仕事をこなす。その後は、入れ替えになった研究室のパソコンを調整。vistaは初めて。ノートパソコンも、はるか昔のMS-DOS4時代以来。マウスは付属で、キーボードは自分で別に買った。これで実用上はほぼ問題ないだろう。あとはこれを持ち運びできるかどうか。またパワーポイントを使えるようになるか。これで多少、授業などのやり方も変ってくるのではないかとも思っている。
 夜は駅で電車を待つ。いつも坐るベンチの夜風は実に気持ちいいのだ。妻と待ち合わせ、お好み焼きを食べて帰宅。

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夢の中の病院の話

○夢の中の病院の話
 これは15日土曜日に見た夢の話。夜、会合で酒を飲んで帰ってきて、ブログが書けなかった。
 地図(北海道のある港、埋立地の地形、だが「至品川」と記してありおかしい)を見ていると、その地図がいつの間にか現実になって、寂れた廃屋の暗い入口にスリッパか靴が並べられているのを見ながら歩いたりして、そこからよく分からないのだが、どうやら、どこか山の方にある病院に来ている。
 近代的な西洋医学の病院でもあるのだが、一方ではどうも修験か密教系のカウンセリングとヒーリングもやってくれる、代替医療も兼ねたサナトリウム的療養病院でもあるようで、その方でも有名らしく、どうやら私はそちらに申し込んでやって来たのだ(ということになっている)。
 空気は澄んで気持ちよい感じ。ごくありきたりの待合室のベンチに座っていると、案外早く「○○さん、××さん、……さん」と私の名が最後に呼ばれる。三人で壁のところのドアから別室に入る。そこはまた廊下の控室になっていて、壁には医療啓発ポスターとともに「○○寺護摩供養」などといった類の観光・イベント的ポスターがさまざま貼り付けてある。中に「白文鳥は桃の使い」と書いてあったものが印象に残る。
「……で……で、よく手を洗って消毒してくださいね」などと看護婦に言われるが、早口なのでよく理解できない。見ると、反対側の壁の下、床のところには白い石鹸、その隣にはミューズ石鹸が何個も重ねて積んで置いてあり、水か湯を張った洗面器(小さな金盥)もある。ここで手を洗うのか? それとも石鹸を食べろと言われたのか? どうもそのあたり、手順が不明だ。それをしないとカウンセリングにも入れないらしい。
 私より前に呼ばれた二人の女性は、もう何度も受けているらしく、一人は手馴れた様子で手を洗ったりしているし、もう一人はなにか銀細工のようなパワーペンダントを手でしきりといじって手を洗った女性に話しかけている。そのうち二人とも、廊下の先を曲がって次の部屋に入って行ってしまった。
 いつの間にか待合室の方から妻が私のいる廊下の控室に入ってきている。浮かない顔をしている。気の進まないときの顔だ。不安になり、「受けるのが怖くなってしまったよ、やめて帰ろうか」と言って妻を抱きかかえる。でもどうしようか、まだ迷っている。
 そこでいきなり玄関のチャイムが鳴って、急激に現実に引き戻される。
 ついにその病院の施療は受けず仕舞い。
 そのタイミングで目を覚まさせられたのも、なにかの知らせだろう。
 ただそれ以来、若干体調に変化がある。この何ヶ月、大きかった耳鳴りが、少し治まっているのだ。
 もし施療を受けていたら、どうなっていただろう。どんな内容だったのだろう。
 またこの病院に行けるだろうか

 

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テレビ雑感二題

○テレビ雑感二題
◆「明日はホームランだ」
 牛丼屋のコマーシャルで、食べ終えた松井がつぶやく。
「やったね父さん、明日はホームランだ!」
 お土産の牛丼に子供が叫ぶ、これはこの牛丼屋の最初期のコマーシャルだ。
 これを覚えている人が、どれくらいいるだろう。
(念のため検索してみたら、ウィキはじめ、もちろん出ていた。ただし「やったねパパ」だったようだ)
 思い出本歌取り。このCMのクリエイターはなかなかいいセンスだ。

◆テレビ朝日富川悠太アナウンサー
 福田ぶら下がり取材で、NHKニュースの画面にまで登場していた。路地ラーメンは食べに行かされるし、「報道ステーション」では事件のあるところ派遣されざるはない。
 そのうち、過労で体を壊さないか心配だ。

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天変地異

●天変地異
 スマトラでは相変わらず強い余震が続く。天人相応、天変地異。
 次期総_裁・総_理は福_田にどうも収斂しそう。テレビに出たときの表情と顔の色艶から、あの人に「旬」が来ているように見た。

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安_倍_退_陣

●安_倍_退_陣
 今日の午前中も不定愁訴。天気も回復していなかったが、午後に安_倍_退_陣の大ニュース。さてはこの波動を受けていたかとも思った。これも今年の9.11以後のいわゆる大変動のひとつか。南洋でも大地震があった。
 もちろん裏には口に出せない事情がさまざまあるに決まっているが、ごくごく表面的には、国民の要望に応えるよりも、アメリカの要求に応ずることの方がはるかに大事なのか、と思われても仕方ないだろう。
 政治はすでに次_期_総_裁・総_理の人選に動いており、安_倍はもはや過去の人間として忘れ去られるほかない。
 はたして安_倍_晋_三にも「再チャレンジ」はあるか。小_泉とその子分、そして「チ_ル_ド_レ_ン」だけには出張ってきてほしくないものだが。

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9.11

●9.11
 実に蒸し暑く、また恐ろしいような雨。やはり何かが変ってきていると思う。
 午後から買い物。まず東急本店。ここの地下駐車場は、高級外車オンパレードだ。モーターショーへ行く必要などない。それからちょっと遠出をして、北総ニュータウンのジョイフル本田。あとはドライブをして帰宅。

 9.11から6年目。あの「グラウンド・ゼロ」(爆心地)ということばには、未だ違和感を感ずる。このことばは広島(そして長崎)にのみ使われるべきものだと思うからだ。アメリカ人は、きっと自分たちが核兵器を唯一使ったことなど忘れてしまっているのだろう。そちらが5千人ならば、こちらは20万人だ。それにアフガン、イラク。ビル2つと引き換えに国2つか。もう十分に釣り合いが取れたどころの話ではないだろう。
 6年前には、上海にいた。四川省チベット地区へ調査に入る前日、成田から着いてホテルに入り、テレビを点けたところ、FOXテレビの画面に高いビルが上から煙を吐いている光景が映った。最初は、きっと上海かどこか、つまり中国の超高層ビルが火災を起こしたのだろうとばかり思っていたら、そうではなかった。やがてもう1機が突っ込んだ。
 第三次世界大戦が始まる、と思った。と同時に、これで1年ばかりは中国から帰国できないだろうと考えた。中国は当然参戦するだろうし、もしこれからさらに奥地へと調査に入れば、もう航空路は閉鎖され、陸路、鉄路でしか海岸へは到達できない。こんなとき、パスポートなど何の役にも立たないことはよく知っている。
 1989年天安門事件の記憶が、一気に蘇った。精神状態は最悪になった。
 何とか日本に電話で連絡を取ったら、両親も妻も元気、だが父が言うには、アメリカの空港はすべて閉鎖、まだ10機ほどが乗っ取られたまま飛んでいるとのことだ。しかし心配せずに行ってこいと言う。
 その後もテレビとインターネットで情報を取り続け、どうやら直ちに戦争は始まらないと見極めをつけて、調査を続行することに衆議一決した。だが妻には書置きと水杯のつもりでFAXを送ったのだった。
 大げさと思われるかもしれない。北京大学で天安門事件、ヨーロッパで東欧崩壊と湾岸危機をダイレクトに体験した者の、大げさな心の動きだ。
 心覚えまでに書いておく。

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不定愁訴

●不定愁訴
 今日の学校の会議は、意外に時間を取られた。それでもう手一杯になり、昨日のことも妻に聞かねば思い出せない、という情けなさ。
 今朝は不定愁訴、台風10号はもう去ったはずだが、これから季節の変わり目で、気圧変動もあり、私にとってしばらくきついかもしれない。
 スピリチュアル系のいくつかのサイトを見ると、明日9月11日は、なにか大変動の始まりのようなことを書いているところもある。とすれば、気圧だけではなく波動の方も大荒れということではないか。ともかく、日々を確実にこなしていくことを心がけよう。休息を取り、穏やかな心でいることは大切だ。それでなくとも動揺しやすい性格なので。
 

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