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9.11

●9.11
 実に蒸し暑く、また恐ろしいような雨。やはり何かが変ってきていると思う。
 午後から買い物。まず東急本店。ここの地下駐車場は、高級外車オンパレードだ。モーターショーへ行く必要などない。それからちょっと遠出をして、北総ニュータウンのジョイフル本田。あとはドライブをして帰宅。

 9.11から6年目。あの「グラウンド・ゼロ」(爆心地)ということばには、未だ違和感を感ずる。このことばは広島(そして長崎)にのみ使われるべきものだと思うからだ。アメリカ人は、きっと自分たちが核兵器を唯一使ったことなど忘れてしまっているのだろう。そちらが5千人ならば、こちらは20万人だ。それにアフガン、イラク。ビル2つと引き換えに国2つか。もう十分に釣り合いが取れたどころの話ではないだろう。
 6年前には、上海にいた。四川省チベット地区へ調査に入る前日、成田から着いてホテルに入り、テレビを点けたところ、FOXテレビの画面に高いビルが上から煙を吐いている光景が映った。最初は、きっと上海かどこか、つまり中国の超高層ビルが火災を起こしたのだろうとばかり思っていたら、そうではなかった。やがてもう1機が突っ込んだ。
 第三次世界大戦が始まる、と思った。と同時に、これで1年ばかりは中国から帰国できないだろうと考えた。中国は当然参戦するだろうし、もしこれからさらに奥地へと調査に入れば、もう航空路は閉鎖され、陸路、鉄路でしか海岸へは到達できない。こんなとき、パスポートなど何の役にも立たないことはよく知っている。
 1989年天安門事件の記憶が、一気に蘇った。精神状態は最悪になった。
 何とか日本に電話で連絡を取ったら、両親も妻も元気、だが父が言うには、アメリカの空港はすべて閉鎖、まだ10機ほどが乗っ取られたまま飛んでいるとのことだ。しかし心配せずに行ってこいと言う。
 その後もテレビとインターネットで情報を取り続け、どうやら直ちに戦争は始まらないと見極めをつけて、調査を続行することに衆議一決した。だが妻には書置きと水杯のつもりでFAXを送ったのだった。
 大げさと思われるかもしれない。北京大学で天安門事件、ヨーロッパで東欧崩壊と湾岸危機をダイレクトに体験した者の、大げさな心の動きだ。
 心覚えまでに書いておく。

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