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映画「東京オリンピック」

○映画「東京オリンピック」
「ヒストリー・チャンネル」で「東京オリンピック」をやっていたので,最後まで観てしまった。私は同時代人として(といっても小学2年)、聖火点灯場面(感動してすぐさま絵に描いた)、ジェット機が描く上空の五輪(しかも予行演習の白煙のもの)、円谷とヒートリーのデッドヒートなど、生々しく記憶にある。何かのクーポンを貯めて送ってようやく手に入ったチケットが、戸田ボート会場の入場券で、当時としては「これはとても遠くて行けない」ということで諦めて、誰かに譲ったことも覚えている。
 映画そのものはたいへん象徴的かつ表現主義的手法で、古典的。長谷川町子の「いじわるばあさん」に、映画を観た後「よかった、感動したわあ」と話していたいじわるばあさんが、入った喫茶店では打って変わってくさすので、不審に思った友達が尋ねると、いじわるばあさんは「後ろの席に市川昆監督がいるのよ」と耳打ちする、というものがあったが、よくできているとは思う。3時間飽きなかったから。競歩の選手がゴールのテープをくしゃくしゃとつかみ捨てる場面など、小学校のとき映画館に引率されて見せられた当時から、強く印象に残っている。それにしても、当時の東京は、なんと空気が濁っていたものかと思う。70年代に公害問題がクローズアップされる前で、誰もなんとも思わなかったのかもしれない。そう考えると、今度の北京オリンピックのことを笑えない。そして今回のオリンピックに感動した中国の子供たちが、何十年か後に、見違えた北京で、当時のことを懐かしく思い出すのだろう。
 いま改めて観て思うのは、当時の人々の慎ましやかさだ。たとえアメリカ選手であっても、現在のように感情をあらわに飛び跳ねたり、こぶしを振り上げたりしない。国旗を纏ってグラウンドを走る姿など、想像だにできない。勝者はむしろ沈んだ顔をして、そこに敗者が歩み寄り、笑顔でねぎらう。「オレが一番、すべてオレの力、勝利がすべて」という奢った態度ではなくて、「皆努力は同じ、私はなにか大いなるはたらきに勝たせてもらった」という謙虚さだ。ナントカ社製の水着でなくては記録がどうとか、そういう時代ではなかったということだろう。
 ものを経済でしか考えないこのとげとげしい現在、たとえ東京でオリンピックが再び開かれたとしても、それは「太陽の季節」都知事が見るような古い夢の再現とは、とうていならないのではないかなどとも考えた。

今日の夢:宇宙戦艦ヤマトに乗り組んでいる。ただしクルーは例のキャラクターではなくて、まったく知らない人たち。どちらかというと、中学生同士のような感じ。制服もずっと地味な白い作業服風。
 敵艦隊(これもガミラスではないようだ)が、10隻の単縦陣で迫ってくる。私はあるクルーに中学生のようにはしゃぎながら纏いつき、思いついたばかりのアイデアを話す。「先頭の2隻に対してまずショックカノン砲を撃ち、同時に5隻目と6隻目に魚雷を発射する、そうして戦列を混乱させながら突破するんだ」「よし、そうしよう」
 あっさりとこのアイデアが受け入れられ、作戦に入る。コントロールデスクの前に行くと、大きなプラズマパネルがあり、年かさのオペレータが起動している最中。どうやらヤマト自身が、いまスリープ状態だったようなのだ。画面中央には「74、73……」と小さな数字が減って行っている。「(立ち上がるまで)1分以上かかるからね」と、オペレータが笑みを含みながら言う。
 

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