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小田急電鉄3000形電車

○小田急電鉄3000形電車
 いつも通勤に愛用している小田急3000形電車について書いてみる。この車両は、走りはじめたときから近頃出色のスタイルだと思って一目で気に入ったものだった。シンプルで機能的なデザインだ。
 中学生までは鉄道ファンだった。「鉄」でも「鉄オタ」でもない。だいいち、そうしたジャンルもカテゴリーもなかった。『鉄道ジャーナル』『鉄道ファン』『鉄道ビクトリアル』そして『鉄道模型趣味』は、毎月欠かさず購入していた。いまでもたまにケーブルテレビで観る「鉄道のある風景」などで、地方私鉄に譲渡された元首都圏私鉄電車などを一発で当てて、妻を驚かせる。
 それはともかく、こんなテーマでも一応と思ってネットを検索したら、たかが小田急の通勤車両に、ウィキペディアとはてなダイアリーに長文の記述があり、またブログのエントリーも相当数あることには驚いた。いまそれらの内容をまとめると、小田急3000形電車は、JR・私鉄を含めた最近の標準化通勤車両グループ、鉄道ファンいわゆる「走ルンです」電車の一員に属している、省エネ・リサイクルを重視した環境重視・効率化重視の車両だということだ。そのため、共通設計部品の流用も多い。「走ルンです」はもちろん使い捨てフィルムカメラの愛称のもじりで、要するにどれでも大して変りのない直線的・合理的な設計だということから来る愛称(貶称)だ。とはいえ、やはり各私鉄ごとに細かい違いはあり、3000形は正面上部に前照灯と尾灯を配置するなど、久々に伝統的小田急デザインを踏襲している。
 さてこの電車を最初に見たときときに私がすぐに思ったのは、国鉄63系にそっくりだということだった。63系は戦時中に設計製造された通勤型車両で、物資窮乏の折から、効率化と機能性の極限を追求したような、まさに「ハコ」だった。桜木町事件という大火災の惨劇を引き起こした悲劇の車両でもある。その反省から72系に改良され、その設計思想は、戦後高度経済成長を支える大量輸送という条件下に受け継がれて新性能国電101系、103系を生むことになった。私が鉄道ファンだったのは、ちょうどこの時代だ。
 この63系は、戦後鉄道復興の要請の中で私鉄各社にも譲渡されて路線近代化の役割を担い、小田急では1800系として、四角い姿のまま長らく走っていた(私も乗っていた)。なおこのあたりのことは他の私鉄の例も含めて、ウィキペディアに詳細に書かれている。
 こうした結果だと思うのだが、以後の小田急の新型車両は、国鉄の新性能国電の車体をあきらかにモデルにしており、それは2600系、5000系、9000系などまで続いていた。
 いまあらためて資源の保護が叫ばれ、エネルギー効率が重視される現代に、戦時中の設計思想が復活するのは考えれば当然のことで、部品の共用化などの進む現代通勤電車が「走ルンです」化するのはうなずかれる話だ。その意味からすると、小田急3000形は、現代標準電車としての条件を備えているのみならず、63系以後の戦後小田急通勤車両の血脈もまた、しつかりと受け継いでいるのだろう。伝統的な正面デザインに戻ったというところも、いっそうそれを感じさせる。私がバブル期の「迷走」気味の車両とは違って、3000形にどこか懐かしさの混じった愛着を覚えるのは、そうしたところにあるのかもしれない。
 それにしても、3000形と63系を関わらせて論じている記事は、そうそうはないものとひそかに思っている。

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