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小_田_実告別式

○小_田_実告別式
 朝早くピキ氏より電話で起こされる。「小_田_実の追悼式があるので出ないか」との話。高校紛争世代なので思いが深いのだ。寝惚けた頭で承諾する。
 昼、ピキ氏とoda02b.jpg待ち合わせ。追悼会だというので、しかも市民運動家でもあったひとのことなので平服(もちろん地味なもの)でも可だろうと思って行ったら、とんでもない、青_山_斎_場には喪服の人々が参列する、堂々の告別式。ちょっと見ただけでも土_井_た_か_子が新聞社のインタビューに答え、福_島_瑞_穂、志_井_和_夫、辻_元_清_美、井_上_ひ_さ_し、吉_岡_忍など勢揃い。最初の弔辞は加_藤_周_一。
 いささかboldな言論者、というイメージだった小_田_実が、一貫してギリシア古典の専門家であったということは、ド_ナ_ル_ド・キ_ー_ンの弔辞で初めて知って、ああそれならこの人の民主主義認識は深く筋金入りだと、大いに認識を改めた。
 出棺のさいには拍手が起こり、その後斎場から青_山一丁目手前の小公園まで、外_苑東通りをデモ行進。先頭は鶴_見_俊_輔葬儀委員長。「小_田_実追悼デモで倒れoda01b.jpgるなら本望」とのこと。"W_e s_hall o_vercome"を歌い、「戦争はしないぞ」とときにシュプレヒコールをまじえながら。キ_ン_グ牧師、公_民_権運動……、頭を去来する。あの頃のアメリカ人はいい顔、真面目な顔だ。

 戦_後文化人、戦_後教養、戦_後民_主主義の時代が、また終わりを刻んだと思った。阿_久_悠のことも思い合わされた。列席の人々もほとんどが高齢。
 この人たちが一貫して抵抗し「たたかって」きたのは国家権力であり、その抵抗の拠り所として、この人たちはつねに「市民の理想」を対置してきたと思うのだが、今の10代~30代の世代にとっては(「ニューア_カ」よりもう一つ下以降の世代、と大まかに考える、「ネ_ッ_ト_イ_ナ_ゴ」の中核部分も含まれるだろう)、この人たちこそが「オピニオンリーダーとしての思想的権威」であり「マ_ス_ゴ_ミ」であり、「教育権力」であり、抑圧者として忌避と憎悪と嫉視感情の投影対象になってしまった、ということを、この人たちはついに理解することはできないだろう。年輪の上につねに表皮が重なっていってしまう業。
 現代はワ_イ_マ_ー_ル期を思い起こさせる状況だ、と弔辞を述べた人もいたが、その分析も直感も正しい。私の父は、現代を昭和初頭とよく対比する。閉塞状況を粗野な形で打ち破りたい社会的衝動は強まる一方だ。

 けれども、今回の安_倍_政_権_大_敗と考え合わせて、小_田_実はあるいは自_民_党の命運を道連れにしたのかもしれない、などとも思った。それは民_主_党は所詮第二自_民_党だろうが、ア_メリカグ_ローバリズムの権化である小_泉ファッシズムの傾きを多少なりとも揺り戻した日本人の「公共哲学としての市民道徳」が、いまだ危げにまたたきつつもふたたび点りはじめているかもしれないのだから。いずれ一時代を画した人だ。決定的にはまとめがつかないが、「さまざまなことを考えました、ありがとうございました」。合掌。(敬称略)

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