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採点終了

○採点終了
 ようやく最後の採点を済ます。
 来年から、かなり教案計画を考えなければならないように思う。こちらの教えるべき材料と考察が増えてきたことと、学生の咀嚼能力との兼ね合いから、そうとうに刈り込む必要が出てきたと感じる。

 大学間も、完全に格差がついた。というよりも、大半の大学は、もはや必要ではないのでないか。
 即戦力のための人材を求めるならば、専門学校を充実すればいい。かれらは派遣社員として、求められた範囲の仕事しかこなさないし、またそれ以上のことは要求されない。それでいいし、それでなくては困る。つまり兵士だ。
 大学生は、即戦力である必要はない。かれらは Executive Personで あることが求められる。すなわち decision を make し execute する能力を持った人だ。つまり将校だ。
 ここから判るのは、現代日本では、いわゆるホワイトカラーの内の大部分が、デスク・ブルーカラー、あるいはオフィス・ブルーカラーとなっているということだ。
 高度経済成長期、雨後の筍のごとく大学が林立したとき、それは高度経済成長社会を支える事務職を大量に生産する必要からだった。だがこの人たちは、今よりはるかに平等に管理職、会社方針決定職になれるチャンスを持ち、またそれだけの需要もあり、そのためにこそ学科選抜試験を受け、合格し、入学し、高い専門性を持つ科目も曲がりなりにもこなして単位を取得し、卒業してきたのだ。だからこの人たちには「教養」があり、「知識」があり、なにより「判断力・決定力」が備わった。しかもそれは大学卒業後何十年にもわたってますます磨かれ、深められ、研ぎ澄まされていった。そうして全員で日本経済社会を支えたのだ。だから大量にホワイトカラーが出現しても、それはそれなりに社会的存在理由を持った。
 ところがバブル崩壊、構造「改革」、小_泉政権による日本破壊の中でこの構造は完全に崩壊し、教育の質の低下・少子化・格差社会化の現在、CEOだの何だのというアメリカ仕込の妙な称号を持つエグゼキューティブの数はほんの一握りでよくなった。したがって、そうした人材を養成すべき機関、すなわち大学の数もほんの一握りでよくなった。都合のいいことに、現実的に大学の二極分化、勝ち組大学と負け組大学がはっきりと存在し始めた。勝ち組大学は難解な学科入試で高い競争率のもとに選抜され、一方、負け組大学は「AO入試」で右から左に入学だ。すなわち、大半の大学は不必要となったのだ。時代・社会が変化しているのだから当然だ。
 ブルーカラーは移民、デスク・ブルーカラーは専門学校卒業生の派遣社員、そしてエグゼキューティブは「勝ち組大学」卒業生の正社員が、それぞれ担う。いずれこうした図式になるだろう。若年人口は減っていくのだから、ニートや職業難民は、どのみちどこかの職能カーストに吸収されていく。

 ところで、「組織力」が最も必要とされる「戦争」つまり「軍」において、最も重要な存在であるのは誰か。
 それは、「下士官」である。ローマ軍団は、百人隊長の力で勝ち進んだ。カエサルの『ガリア戦記』を読むといい。将校と兵士をつなぎ、組織を実効的な存在とするために不可欠なもの、それが下士官だ。かれらはブルーカラーであり、同時にホワイトカラーでなければならない。かれらは戦闘の猛者であり、デスクワークのエキスパートである。漢代中国の辺境における狼煙台警備隊の隊長に昇進するための最重要な資格は、「文書作成ができる」ということだった。下士官は千変万化の状況に対応して decision ができなければならない。でないと分隊は全滅し、それが小隊に及び、中隊、大隊……、はては全軍総崩れの壊滅だ。『コンバット』のサンダース軍曹を見よ、あるいはハインライン『宇宙の戦士』の機動歩兵隊ズイム軍曹を見よ。軍曹は兵士の面倒を見、同時に将校を鍛える。かれらはホワイトカラーの資質を持つブルーカラー、あるいはブルーカラーの働きを厭わぬホワイトカラーである。

 じつは私の本務校は、まさにこの「下士官たる人材」を育成してきた大学なのである。求人ポスターを見れば、そのことは一目瞭然だ。事務職員たちは、まさにその面魂だ。
 我が校は、これを強みとして、この格差社会に存在感を主張し、押し出していくべきなのではなかろうか。

「社会の軍曹を作ります」
 

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