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オリンピック雑感

○オリンピック雑感
 映画『東京オリンピック』を観ると、当時の東京の大気は相当汚れているように見える。「スモッグ」というやつだ。ときどき60~70年代ビンテージカーの行進などあるが、後に残される排気ガスの臭いに、頭が痛くなる。小学生のころは、あれが一向に平気だったのだから、今の北京に心は痛むが、どうこう言えたものではないという気もする。ただ前車の覆轍に学び、繰り返さないことを祈る。それとも、それを一度通らないと、やはり学ぶこともできないのか。
 むしろ当時のオリンピックと今のそれとの違いは、選手の態度だ。前にも書いた記憶があるが、東京オリンピックのころ、勝った選手はむしろ悲しげな顔をしてうつむき、それを負けた選手が笑顔でねぎらい祝福する。はでに手を上げたり、国旗を体に巻きつけたり、フィールドで大の字になって喜びを表わすなどということはしない。
 つまり「満ちた月は欠ける、上がりきった水は下がる」わけで、頂点に立ったら後は落ちるしかない。勝者はそれを知るからむしろ悲しむ。敗者もそれを知るから「心配するな、これでもともとだ、またこれからがある」と、もう一度ゲンをかついでいたわるのである。「勝って兜の緒を締めよ」というのもこれだ。
 これがdecentというもので、昔は世界中の人にこの慎みがあった。
 これがなくなったのと、オリンピックが商業化したのとが、ちょうど重なるように思うのだが。
 そう考えると、棄権した選手を国賊扱いするなどとはもってのほかだ。だれが土佐選手を袋叩きにするものか。東京オリンピックでは、そんなことはしなかった。それでも円谷は自殺したのだから、そんな悲惨なことはしないがいい。
 

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