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オメガ因子

 その昔のアトムに、「アトラスの巻」という作品があった。後のリメイクアニメでは、アトラスは「裏アトム」という設定になっていたが、オリジナルではそんなことはない、別のロボットだった。
 ただしアトラスの意味合いとして昔から変わらずユニークだったのは、「オメガ因子」という回路を組み込まれていたことで、つまりその回路は、悪いことができるというプログラムなのだ。それとは反対に、アトムをはじめとする他のロボットたちは、すべていいことしかできないように設計されている。だからスカンク草井というニヒルな悪役が、アトムに向かって「悪いことができなきゃ、完全じゃないぜ」と喝破するのである。子ども心にも、よく覚えている。
 アトムとアトラス、善と悪、昼と夜、光と陰。二つ揃って、初めて世の中は成り立つ。生死もそうだろう。
 そんなことはよくわかる。自分が不遇だと思っていたとき、「日向ばかりだと日射病だ、日陰の涼しさが人を救うときもある」と考えが浮かび、慰められたこともある。
 ひるがえって、自分はどうかと思うと、悪の要素はほとんどない。悪いことを考えたり、悪意を持つ回路というものが、自分の心のなかには、どだいないのだ。善意を持ち、人を善意で見て、その人にも善意しかないとしか考えられない。人が自分に悪意を向けてきたりするとは、毫も考えないのだ。どんなに手ひどい目に遭ってもだ。そもそも回路がないのだから。それで何もわからないまま、傷つき、裏切られたと思う。人がその人同様、私がその人に悪意を持ち、その人を騙しにかかってくる、裏切ってくるという目で私を見ているのだとは、私は毛筋ほどにも思っていないのだ。後でそのことに、はじめて気が付くのみだ。そして、その体験を経験に変えるということも、またしない、いやできない。そんな学習回路も、また持ち合わせていないから。昔からロボットになりたいと思ってきたことには、そうした側面もあったのかもしれない。私は、アトムになろうとしたのだ。アトラスになることは、選ばなかったのだ。
 だが神は完全だ。なぜなら、善も悪も持っているから。そして、私は不完全だ。アトムと同様、善しか持っていないから。
 しかしそれゆえに、私が不完全なゆえに、いや私を不完全に作ったゆえに、神は私を憎み、妬み、嫉み、迫害を加えてくる。天馬博士がアトムをいじめたように。神は天馬博士だ。
 
 なぜなら、私はアトムだから。
 善人だから。
 「善」という「不完全」だから。
 オメガ因子を持っていないから。

*だがそうすると結局、私はパスカルの言うごとく、「天使の行いのつもりで外道をやっている」ことになるのか? それで人は私を煙たがるのか? 私は酷吏なのか? 孔子の輩が嫌われるのは、そのためか? 「預言者は、郷里では敬われない」のは、そのためか?

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