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「アド街」と「昭和の面影」

●「アド街」と「昭和の面影」
 今夜の「アド街」は、京急新子安駅周辺。
 「昭和の面影」と言っていた。
 このことばに、いつも引っかかる。
 「昭和」といっても、なかなか長うござんす。
 まず大きく分けても、「戦前」、「戦中」、「戦後」。まるきり違う。
 そしてわれらが戦後も、昭和20年代、30年代、40年代、50年代、60年代と、それぞれぜんぶ違っている。しかも東京と地方では、これもぜんぜん違うのだ。もっと言えば、東京の山の手と下町とでは、同じ時期でも天と地の相違だ。
 そのあたりが、テレビも映画も、平成のメディア製作者たちは考証がデタラメ、と言って悪ければ、まぜこぜだ。たぶん気鋭の30代は、もう昭和の末期の生まれなので、それ以前の時代のことは混然となって、またそれにエキゾチシズムを感じているのだろう。

 もっとも人のことは言えないので、昭和の、特に戦後の人間にとって、明治や大正のことを考えるとき、やっぱりそれと同様のことがあるわけだ。
 これが江戸になると……と遡っていって、ついには日本史年表の見開き2ページ分、てなことでまとめられてしまうのだ。

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