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恩寵か

 試練、苦難は、成長のための修練と鍛錬としての神の恩寵だ、という考え方がある。
 何のための成長か。どこでその成長は終わるのか。その果実は、いつどこで味わうことができるのか。

「ああこれで成長しきった」と思った瞬間に死んだら、その成長は、いったい何のためなのか。この世でその成果を回収し、体験し、楽しむことはできないのか。だったらそこに、何の意義と意味があろうか。「この世のことはこの世で片が付く」のではないのか。一生苦しみ、悩みぬいて死ぬことが、はたして成長のための恩寵なのか。そんな考え方は、所詮は不条理で残酷なサディストである神にいじめられ、迫害される敗者や殉教者のマゾヒズム、自己慰藉に過ぎないのではないか。
 それは試練や苦難ではない。神からのしごきであり、いじめであり、拷問であり、ハラスメントだ。意味のない嫌がらせだ。なぜなら、そこには成長の契機のかけらも見いだせないからだ。私は、しごきは大嫌いだ。

 こうした考えが、どうしても頭から離れない。自我もしくは末那識の、強烈な自己防御の絶叫かも知れないが。
 私には、自我の破壊される「回心」など先途程遠いどころか、もはやあり得ないかもしれない。

 

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