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吉崎昌一先生を悼む

●吉崎昌一先生を悼む

訃報:吉崎昌一さん75歳=元北海道大教授、人類学専攻

 78年に市民団体「さっぽろサケの会」を作り、豊平川にサケを呼び戻す「カムバックサーモン運動」を提唱した。旧石器発掘ねつ造問題を受けて、総進不動坂遺跡(空知管内新十津川町)の再発掘調査団長を務めたほか、アイヌ民族初の国会議員で昨年死去した萱野茂氏を囲む「学者の会」の中心的メンバーだった。
(毎日新聞 2007年2月20日 東京夕刊)

 吉崎先生とは、かつて私が奉職した札幌の女子大学で、おこがましくも「同僚」として席を並べたことがあった。もちろん、若い助教授など、先生の足元にも寄れるものではない。そうした生意気な駆け出し教員の私に、先生はいつも一人前扱いで親切に接してくださったというのは、得がたいことだった。アイヌ文化、縄文農耕、三内丸山などについて、示唆に富むお話をいくつも伺うことができた。学生からも慕われ、先生の周りに、彼女たちの楽しい声の絶えることはなかった。北方考古学全体を巻き込んだ、あの「ゴッドハンド」スキャンダルのときも、先生は身の処し方を誤ることはなかったと思う。
 美食家で、ワインにも詳しく、最初の顔合わせの教授会の自己紹介で、いきなり「私はワインについてはうるさいです」とお話しされたのを印象深く覚えている。
 そうしたところが、あるいは身体を痛められる遠因となったのかもしれないとも悔やまれるが、90年代の後半、私が東京に戻る直前のころ、脳梗塞で一度入院されたことがあった。知らせを聞き、あわててお見舞いに行くと存外にお元気で、痺れがわかったので自分でタクシーを呼んで入院した、知り合いの医者に頼んですぐに処置してもらえたよと威張っておられたのも懐かしく思い出す。
 その後は東京と札幌ということで音信も稀となっていたが、お元気だとばかり思っていたところ、このたびの訃報に接し、時の流れに言うべきことばもない。
 だが私の心の中には、吉崎先生はいつもお元気に生きておられる。
 メーテルリンクの「思い出の国」の住民となられた先生にこのブログで懐かしくお礼を述べ、ご冥福をお祈りいたします。ありがとうございました。

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