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シーサーズ・世志恵さん追悼

●シーサーズ・世志恵さん追悼
 女性島唄ユニット「シーサーズ」のアーティスト、世志恵さんが世を去った。7月22日のことだった。詳しくは「yayoの気まぐれ徒然日記。」に譲り、ここには私の思い出を記しておく。
 世志恵さんとのつながりは、ピキけんじ氏の紹介で、新宿区役所裏にかの女が開いた店、「鍛冶(かんじゃーやー)」に行くようになってからのことだ。たいていそこで泡盛「瑞泉」を、カンバン近くまで飲んだものだ。
 そんな関係から、しばしばコンサートにも顔を出すようになった。舞台の世志恵さんは、八面六臂で太鼓を叩き、その姿はあたかも天岩戸のアメノウズメを髣髴させ、たしかに巫女さながらのカリスマの輝きを放射していた。やがて私もミルク神の役でちらりと出演したり、荷物運びに車を出したりするようにもなったのは、以前に記したとおりだ。
 そんな中でひとつ印象に残っているのは、たしか赤坂でのライブの後、いきなり世志恵さんから、締めの挨拶をしてくれと頼まれたことだ。まだシーサーズを知って間もない頃で、ずっと以前からのファンもサポーターもたくさんいるのにと思って、「とてもできないよ、ふさわしい人もいっぱいいるのに」と答えると、かの女は「いいえ、あなたはほんとによく分かっているんだから」と力を込めて言ったので、私はたしか何やらもぐもぐと不得要領のことをしゃべって壇を降りたのを覚えている。どうしてそんな風に私のことを見込んだものやら、今も見当もつかないが、そこがかの女の巫女的直感のなせる業だったのだろうか、不思議な有難さを感じる。
 24日には通夜に行った。焼香の後の精進落しはゆかりの人間が参集し、ちょっとないほどの「盛り上がり」となって、いかにも「かんじゃーやー」にふさわしく、2時間にもなったほどだった。その後の「二次会」もあったことは、言うまでもない。
 お別れの顔は美しく、眠っているがごとくだった。「いつも、いつまでも友だちですよ」と語りかけた。
 この人が、これからもつねに変らず私たちを力づけていてくれることを、私は信じて疑わない。

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