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ボルボ240に関する最終の記述

 去年の3月11日以降、本当に長い間、何も書けなかった。何の言葉も無力に感じられた。止むに止まれず twitter に手を出してもみたが、あの世界は本当にとげとげしく、敵意と悪罵とに満ちて、毒の波動が全身に回って中毒していく感じがして耐えられなくなり、削除した。

 そうしたわけで、このブログにも何を書いていいかは分からない。日常も、感懐も、原発事故と放射能汚染の恐怖の前には、すべての意味を失う。その中で、かろうじてボルボについての記事を書いておく。

 過ぐる年、3月11日の東日本大震災は、日本中の、少なくとも東日本の人々の生活を完全に破壊顛倒させたと言っていいだろう。そして福島第一原子力発電所の四つの原子炉の恐ろしい爆発とその後の放射能汚染は、その程度の軽重について諸説はあれ、私たちの外面に、また内面に今なお暗雲を立ち込めさせ、恐怖の暗い影を投げかけ続けている。
 私もまた、一切の言葉を失った。愛車について日常を記すというような気分は全く出なくなった。自らの生活自身が、大きく変わってしまった。新潟で地震が起き、静岡でも起きて、関東がすっかり包囲されてしまったように思えたあの日の深更、家族を避難させるためにボルボ240オンマニ号に乗り込み、交通量の殆ど絶えた首都高速を羽田空港まで走らせたその気分は、もう二度と味わいたくない。道のバウンドもいつもとは違い、心乱れているらしいトラックの接近を二度ほど避けつつ必死の思いで走るフロントウィンドウの前方に広がるのは、灯火も消え果て、あの美しい夜景の面影もない、まるで廃墟のような東京の都心と湾岸の光景だ。それは、まさに文明の終末を描く近未来映画の世界だった。

 その後、私は単身で東京に暮らすこととなり、オンマニ号も日常の通勤とその帰り道の買い物以外に使うことは、もうなくなった。若い時とは違い、一人でどこをどう走っても、楽しくもなんともない。乗れば乗るだけ無力感に打ちひしがれ、メンテナンスにも十分な愛情を注げなくなってきた。するとやはり覿面で、車は少しずつ痛んでくるものだ。12箇月点検は無事に済んだが、16万キロオイル交換の直後にバッテリーが昇天し、その最後の過電流で前照灯が切れ、しだいに車自身の気持ちも荒んでいくのが分かった。自らの寿命を自覚したような感じが伝わってきた。駄目押しで、今年1月の寒さのせいか、ある日リアゲートのショックのガスが抜けていた。
 そうしてついに今年の三月、私の身辺の異動に伴い、6年間乗った愛車オンマニ号を手放すことにした。四月で車検も切れるし、オート・ボルタに引き取ってもらう。
 これまでで一番気に入った車、愛した車、運転する楽しみと満足を与えてくれた車だった。ほんとうに自前で、自分のものにした車だったのだ。
 しかし、もういいだろう。世界が変わってしまったのだ。地震と原発さえなければ、と思うが、詮方ないことだ。オンマニ号も、さぞ疲れたことだろう。

 ボルボ240オンマニ号よ、ほんとうにありがとう。

 そして、オート・ボルタとガレージにも、心から感謝します。

 心に暗い影が落ちずに、次に車に乗る喜びが感じられるのは、いったい、いつの時になることだろうか。

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