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テレビ雑感二題

○テレビ雑感二題
◆「明日はホームランだ」
 牛丼屋のコマーシャルで、食べ終えた松井がつぶやく。
「やったね父さん、明日はホームランだ!」
 お土産の牛丼に子供が叫ぶ、これはこの牛丼屋の最初期のコマーシャルだ。
 これを覚えている人が、どれくらいいるだろう。
(念のため検索してみたら、ウィキはじめ、もちろん出ていた。ただし「やったねパパ」だったようだ)
 思い出本歌取り。このCMのクリエイターはなかなかいいセンスだ。

◆テレビ朝日富川悠太アナウンサー
 福田ぶら下がり取材で、NHKニュースの画面にまで登場していた。路地ラーメンは食べに行かされるし、「報道ステーション」では事件のあるところ派遣されざるはない。
 そのうち、過労で体を壊さないか心配だ。

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9.11

●9.11
 実に蒸し暑く、また恐ろしいような雨。やはり何かが変ってきていると思う。
 午後から買い物。まず東急本店。ここの地下駐車場は、高級外車オンパレードだ。モーターショーへ行く必要などない。それからちょっと遠出をして、北総ニュータウンのジョイフル本田。あとはドライブをして帰宅。

 9.11から6年目。あの「グラウンド・ゼロ」(爆心地)ということばには、未だ違和感を感ずる。このことばは広島(そして長崎)にのみ使われるべきものだと思うからだ。アメリカ人は、きっと自分たちが核兵器を唯一使ったことなど忘れてしまっているのだろう。そちらが5千人ならば、こちらは20万人だ。それにアフガン、イラク。ビル2つと引き換えに国2つか。もう十分に釣り合いが取れたどころの話ではないだろう。
 6年前には、上海にいた。四川省チベット地区へ調査に入る前日、成田から着いてホテルに入り、テレビを点けたところ、FOXテレビの画面に高いビルが上から煙を吐いている光景が映った。最初は、きっと上海かどこか、つまり中国の超高層ビルが火災を起こしたのだろうとばかり思っていたら、そうではなかった。やがてもう1機が突っ込んだ。
 第三次世界大戦が始まる、と思った。と同時に、これで1年ばかりは中国から帰国できないだろうと考えた。中国は当然参戦するだろうし、もしこれからさらに奥地へと調査に入れば、もう航空路は閉鎖され、陸路、鉄路でしか海岸へは到達できない。こんなとき、パスポートなど何の役にも立たないことはよく知っている。
 1989年天安門事件の記憶が、一気に蘇った。精神状態は最悪になった。
 何とか日本に電話で連絡を取ったら、両親も妻も元気、だが父が言うには、アメリカの空港はすべて閉鎖、まだ10機ほどが乗っ取られたまま飛んでいるとのことだ。しかし心配せずに行ってこいと言う。
 その後もテレビとインターネットで情報を取り続け、どうやら直ちに戦争は始まらないと見極めをつけて、調査を続行することに衆議一決した。だが妻には書置きと水杯のつもりでFAXを送ったのだった。
 大げさと思われるかもしれない。北京大学で天安門事件、ヨーロッパで東欧崩壊と湾岸危機をダイレクトに体験した者の、大げさな心の動きだ。
 心覚えまでに書いておく。

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宗教に関する研究会

○宗教に関する研究会
 雨傘を用意して出かけたが、結局ほとんど使わず。
 夜は長年の先輩で友人であるお坊さんの主催する研究会に出席。もちろんれっきとした宗派の名のある老師。講師もカトリック系大学のやはり著名な教授の先生。こう書かないといけないのが、現代の宗教の抱える問題の一つだろう。
 今日の演題の中で感じたこと。
◎宗教そのものの持つ力(パワー)を、従来の/既成の宗教者はどう考え、かつ見ているのだろうか。宗教者こそが宗教を「宗教」として客体化・対象化しすぎたのではないだろうか。つまりむしろ宗教者にとって「宗教」が「まがまがしい敵」となっているのではないのか。
 お寺にお布施はしないのに、スピコンのブースでは喜んでお金を払う(個人的な趣味のツールとして消費される商品としてのスピリチュアリズム、という今日の説明だった)あたりに、既成仏教の考えるべき課題があると思った。

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終戦記念日

●終戦記念日
 敗戦記念日、と呼ぶ人もいる。その通りだ。しかし「じゃあ次は勝ちたいのか」と聞きたくもなる。「なぜ負けたか」を問うのは、「次に勝つため」だけでもなかろう。いや「次にまた戦争をしたい欲求に勝つため」かもしれない。その方がずっと賢い。
 むかし母から聞いた、私の祖父の話。開戦の日、他の大人たちと笑いながら、「負けるに決まっている、勝ったアメリカ人たちがやってきたら、シルクハットをかぶって "How do you do?" と挨拶しに行くのだ」と言っていたそうだ。その同じ人が、敗戦の日、玉音放送を聞きながら涙をぽろぽろ流して「日本が負けた」と、(どういうわけか座敷に上げた)自転車を磨いていたそうだ。
 何の論評も加えるつもりはない。明治生まれの人のエートスとパトスだ。

 この日だけ参拝しに行く目立ちたがりの低劣人、軍服コスプレを見せびらかす莫迦、軍歌を演奏する勘違いの一団。今日の靖国は烏滸の沙汰だということは、フィールドワークをして知っている。じゃあ、参道の茶店で酒を飲んでいる老人たちは……? これについてはわからない、死んだ戦友や肉親とともに直会をしているのかもしれないから。戦争体験者の気持ちは軽々に忖度できない。
 でも英霊は、いつも静かに悼んでもらいたいと思っているのではないか。ナルシスティックでファナティックな政治的現世的デモンストレーションは喜ばないだろう。いやもっとやれ、ってか? そんな風に現世の人を焚き付けるのは、長州の山縣とか、そんな人だけでしょう。乃木さんはけっして喜ぶとは思えないのだが。

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採点終了

○採点終了
 ようやく最後の採点を済ます。
 来年から、かなり教案計画を考えなければならないように思う。こちらの教えるべき材料と考察が増えてきたことと、学生の咀嚼能力との兼ね合いから、そうとうに刈り込む必要が出てきたと感じる。

 大学間も、完全に格差がついた。というよりも、大半の大学は、もはや必要ではないのでないか。
 即戦力のための人材を求めるならば、専門学校を充実すればいい。かれらは派遣社員として、求められた範囲の仕事しかこなさないし、またそれ以上のことは要求されない。それでいいし、それでなくては困る。つまり兵士だ。
 大学生は、即戦力である必要はない。かれらは Executive Personで あることが求められる。すなわち decision を make し execute する能力を持った人だ。つまり将校だ。
 ここから判るのは、現代日本では、いわゆるホワイトカラーの内の大部分が、デスク・ブルーカラー、あるいはオフィス・ブルーカラーとなっているということだ。
 高度経済成長期、雨後の筍のごとく大学が林立したとき、それは高度経済成長社会を支える事務職を大量に生産する必要からだった。だがこの人たちは、今よりはるかに平等に管理職、会社方針決定職になれるチャンスを持ち、またそれだけの需要もあり、そのためにこそ学科選抜試験を受け、合格し、入学し、高い専門性を持つ科目も曲がりなりにもこなして単位を取得し、卒業してきたのだ。だからこの人たちには「教養」があり、「知識」があり、なにより「判断力・決定力」が備わった。しかもそれは大学卒業後何十年にもわたってますます磨かれ、深められ、研ぎ澄まされていった。そうして全員で日本経済社会を支えたのだ。だから大量にホワイトカラーが出現しても、それはそれなりに社会的存在理由を持った。
 ところがバブル崩壊、構造「改革」、小_泉政権による日本破壊の中でこの構造は完全に崩壊し、教育の質の低下・少子化・格差社会化の現在、CEOだの何だのというアメリカ仕込の妙な称号を持つエグゼキューティブの数はほんの一握りでよくなった。したがって、そうした人材を養成すべき機関、すなわち大学の数もほんの一握りでよくなった。都合のいいことに、現実的に大学の二極分化、勝ち組大学と負け組大学がはっきりと存在し始めた。勝ち組大学は難解な学科入試で高い競争率のもとに選抜され、一方、負け組大学は「AO入試」で右から左に入学だ。すなわち、大半の大学は不必要となったのだ。時代・社会が変化しているのだから当然だ。
 ブルーカラーは移民、デスク・ブルーカラーは専門学校卒業生の派遣社員、そしてエグゼキューティブは「勝ち組大学」卒業生の正社員が、それぞれ担う。いずれこうした図式になるだろう。若年人口は減っていくのだから、ニートや職業難民は、どのみちどこかの職能カーストに吸収されていく。

 ところで、「組織力」が最も必要とされる「戦争」つまり「軍」において、最も重要な存在であるのは誰か。
 それは、「下士官」である。ローマ軍団は、百人隊長の力で勝ち進んだ。カエサルの『ガリア戦記』を読むといい。将校と兵士をつなぎ、組織を実効的な存在とするために不可欠なもの、それが下士官だ。かれらはブルーカラーであり、同時にホワイトカラーでなければならない。かれらは戦闘の猛者であり、デスクワークのエキスパートである。漢代中国の辺境における狼煙台警備隊の隊長に昇進するための最重要な資格は、「文書作成ができる」ということだった。下士官は千変万化の状況に対応して decision ができなければならない。でないと分隊は全滅し、それが小隊に及び、中隊、大隊……、はては全軍総崩れの壊滅だ。『コンバット』のサンダース軍曹を見よ、あるいはハインライン『宇宙の戦士』の機動歩兵隊ズイム軍曹を見よ。軍曹は兵士の面倒を見、同時に将校を鍛える。かれらはホワイトカラーの資質を持つブルーカラー、あるいはブルーカラーの働きを厭わぬホワイトカラーである。

 じつは私の本務校は、まさにこの「下士官たる人材」を育成してきた大学なのである。求人ポスターを見れば、そのことは一目瞭然だ。事務職員たちは、まさにその面魂だ。
 我が校は、これを強みとして、この格差社会に存在感を主張し、押し出していくべきなのではなかろうか。

「社会の軍曹を作ります」
 

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妻から聞いた話

●妻から聞いた話
 今日は午前中に打ち合わせ、合間に採点、夕方に会合。したがって二度も外食。昼はさすがにドライだが、夜は中ジョッキ一杯に、黒ビール小瓶三本。若者、不良、外人で溢れかえる渋谷の町を通り抜けて帰宅。反省しきり。
 妻から聞いた話:散歩がてら明治神宮に参拝したら、韓国人観光客ばかり、奉納御神酒樽の前でポーズを取って記念撮影だそうだ。
 なんで靖国を嫌って、明治神宮では大喜びなのだ? 明治天皇をお祭りしているのだぞ。意味合いとしてはほとんど変らないではないか。
 歴史を知らないという点では、日本人も韓国人も変わりない。ましてやイデオロギーを意識しているというわけですらない。
 気分なのだ、要するに。

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新選組! メンバー登場

○新選組! メンバー登場
 27時間テレビ「クイズ・ヘキサゴン」に新選組! メンバー登場。隊服をまとって局長、副長、源さん、永倉、胴鎧の左之助、非常に珍しく阿比留。沖田、山南が出ないのは残念だが、バラエティ向きではないからかもしれない。
 もちろん総合司会の香取慎吾にあやかってのことだろう。スマップの力恐るべし。
 とはいえ、3年前のドラマがいまだに売り物としての力を保っているとは、大河としてなんのかんのと言われても、やはり一世を風靡したということなのだろう。
 かつて私のサイトを閲覧してくださって、もしも久し振りにこのブログを読まれた「腐女子」の方がおられたら、「組!」のため、ともに喜びたいと思います。
 

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光化学スモッグ

●光化学スモッグ
 今日は非常に蒸暑い。
 雨も少しは降ったが、渋谷や世田谷では夕立とまでは行かなかったようだ。
 夜に入ってからも蒸し暑さが去らない。
 おまけに光化学スモッグが襲ってきているようだ。
 これは中国からの大気汚染物質の影響だと、ニュースで言っていた。
 春は汚染黄砂、夏は窒素酸化物と、最近の中国はろくな贈り物を寄こさない。朝貢貿易どこへやらだ。
 60年代の日本が天に唾したものが、70年代、自らに落ちかかってきて、大変な苦労でそれをようやく克服したと思ったら、まったく同じ高度経済工業成長下のお隣の中国から、また同じものを降らされている。気流の関係で、自分には落ちてこないのだ。
 いやそんなことはない、今の中国の汚染は目を覆うばかりだ。メイド・イン・チャイナ、だれも手に取らないではないか。
「前車の覆轍」どうして同じ過ちを繰り返さねば気が済まないのか。後発組だから、うまくコストダウンしながら、工業化と環境保全とを同時に進められるではないか。
 去年、ベトナムである高名な先生と話したときにそう言ったのだが、「それは既に工業化に成功した国の人のことばだ」としか受け止めてもらえなかった。
 これが「進歩の段取り」というものか。この場合ですら、「飛び級」はやっぱりダメなのか。
 

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NHK「風林火山」

○NHK「風林火山」
「人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり」
 ついにこの科白が今日出た。板垣さんも甘利さんも、「新選組!」の源さんみたいに幽霊で現われてお疲れ様でした。
 ところでこの有名なことばをネットで検索すると、けっこう「会社、組織での愚痴」的な記述とともに出てくる。つまり「今の組織も、またそうしたシステムに乗った管理職も、〈人は城〉ということをまったく重視しなくなった、その日本企業の惨憺たる現状」ということを縷々述べているのだ。
「人を信用するな、なにも信用するな」こんな世界だ。どこにどういう罠が仕掛けられているか判らない。信仰や宗教やスピリチュアリズムですらそうだ。
 まったく同様の戦国時代、信玄も家康も蓮如も「人を城」として闘い、生きた。
 さっと諏訪まで車を飛ばして行ってきたくなった。

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