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●終戦記念日
敗戦記念日、と呼ぶ人もいる。その通りだ。しかし「じゃあ次は勝ちたいのか」と聞きたくもなる。「なぜ負けたか」を問うのは、「次に勝つため」だけでもなかろう。いや「次にまた戦争をしたい欲求に勝つため」かもしれない。その方がずっと賢い。
むかし母から聞いた、私の祖父の話。開戦の日、他の大人たちと笑いながら、「負けるに決まっている、勝ったアメリカ人たちがやってきたら、シルクハットをかぶって "How do you do?" と挨拶しに行くのだ」と言っていたそうだ。その同じ人が、敗戦の日、玉音放送を聞きながら涙をぽろぽろ流して「日本が負けた」と、(どういうわけか座敷に上げた)自転車を磨いていたそうだ。
何の論評も加えるつもりはない。明治生まれの人のエートスとパトスだ。
この日だけ参拝しに行く目立ちたがりの低劣人、軍服コスプレを見せびらかす莫迦、軍歌を演奏する勘違いの一団。今日の靖国は烏滸の沙汰だということは、フィールドワークをして知っている。じゃあ、参道の茶店で酒を飲んでいる老人たちは……? これについてはわからない、死んだ戦友や肉親とともに直会をしているのかもしれないから。戦争体験者の気持ちは軽々に忖度できない。
でも英霊は、いつも静かに悼んでもらいたいと思っているのではないか。ナルシスティックでファナティックな政治的現世的デモンストレーションは喜ばないだろう。いやもっとやれ、ってか? そんな風に現世の人を焚き付けるのは、長州の山縣とか、そんな人だけでしょう。乃木さんはけっして喜ぶとは思えないのだが。