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第十九回萩・世田谷幕末維新祭り

○第十九回萩・世田谷幕末維新祭り
 オープンキャンパスで出校した帰り、松陰神社の前を通ると、「第十九回萩・世田谷幕末維新祭り」で、大変な賑わい。松陰神社境内には露店が立ち並び、お神楽は流れ、本殿前では神輿が担ぎ込まれて最後の手締めの最中。奇兵隊に扮した人々もいる。

shoin01.jpg松陰神社の鳥居です。向かって左に、会津の出店があります。

shoin04.jpg境内には、奇兵隊のものと思しき大砲まで飾られていました。

 今年はもちろん龍馬が人気で、関連書籍も多数販売していた。とはいえ土方のグッズもあるのがおかしい。
 隣の公園スペースには萩、山口の名産のテントが出て、酒や柚子汁を売っている。今年は会津はどうかな、と思っていたら、参道の一本隣側の通路に出ていたので、私は只見の「おやき」を買う。
 このフェスティバルは年々隆盛で、いまや世田谷の名物の一つだろう。松陰の墓所まで参る人はさすがに多くはないようだが、それでも神社に参拝の人々は列を成し、多少は敬神の復活かとも思え、ただのイベントに留まってはいないようだ。この十年で、すっかり境内が整備されて見違えるほど立派になったところに、そのことが伺えよう。
 世田谷線の駅までの松陰神社通りもにぎやかで、ヨサコイソーランの隊列も通っていった。

shoin03.jpgポスターです。下の方に、会津の協賛ということも書かれています。これを継続するというのも、大変な努力だろうと思います。










shoin02.jpg近くの若林小学校の子どもたちが作ったポスターです。境内に展示されているし、世田谷線の中吊りにもなっています。吉田松陰も、新選組も呉越同舟で、とてもいいではありませんか。

★ところで「龍馬伝」の近藤勇役、原田泰造はいいですね。あまり頻繁には観ていないのですが、旗本見回組の佐々木只三郎に足蹴にされ踏みつけられて、それでも不屈に目玉をきょろつかせる演技など、いかにも新選組の出自や悲哀まで感じさせて、なまなかのものではないと思いました。



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北池袋

●北池袋
 打ち合わせの用事があり、午後から池袋に出る。
 この街も、まったく知らないというわけではないが、あらためて北口を出ると、以前よりはるかに「場末化」が進んでいるような気がする。ガードレールに腰をかけ、歩道にたたずみ、あるいは動く人たちの姿、身なり、着崩し、どれも他の盛り場では、到底見かけられないものだ。
 通りの町並みは、風俗、連れ込み、飲み屋、中華屋、書いてあり聞こえてくるのはアジア語ばかり……。まっとうなニッポン人にはちょっと……な界隈だ。
 前世紀末、西欧諸都市で起こっていたことが、いよいよ現代の東京で、他人事でなく普通の姿になってきたのだ。
 入ったビルのエレベータは、着物展示即売会のおばさんたちに占領されているし、ホテルの二階にある喫茶店は昭和50年代かという古色蒼然ぶりの内装で、おまけに「喫煙のみ」という始末。

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JR中央線201系引退

○JR中央線201系引退
 スクラップになるそうだ。もったいない。京王線電車のように、ローカル私鉄に売れないのか。あるいは、海外に輸出できないのか。
 昔読んだ記事によると、201系はものすごく上等の材料を使って造られ、また頑丈でもあるそうだ。それで、二、三十年ごときではちっともこわれないので、逆に困るらしいのだ。つまり、メンテナンスの部品供給とか、技術継承とかが、逆に不自由になるのだ。そこに、かえってコストがかかる。
 それに比べて、現在の車両は、部品などでもむしろ廉く海外調達(ドアエンジンなどはフランス製だそうだ)し、耐用年数も敢えて短く抑え、どんどん更新し、償却していく方が、かえってリサイクルの実も挙がって「もったいなくない」らしい。20世紀とは経済発想が転倒してしまったのだから、詮方ないことだ。
 テレビでは、感傷的に別れを惜しむ鉄道ファンのインタビューが流れていたが、私などから言わせれば、201系など、ぜんぜん「新しい」たぐいでしかない。
 私にとっての中央線は、90系であり、101系だ。103系高運転台となったとき、もはや興味は失った。
 それで、いまのE233系とかいう「プラモ」はどうかというと、これがなかなか気に入っています。
 小田急新4000系や、千代田線直通常磐線2000番台と同一仕様(後二者は幅狭)というのも、効率的でいいではないか。

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チリ鉱山救出

○チリ鉱山救出
 CNNはもうひっきりなしに報道している。ショウアップされていると言ってもいい。たしかに、宇宙飛行士救出並みではある。お膝元だし、勢力範囲だし、アメリカ技術者が活躍したし、ということだろう。
 それで、救助された炭鉱夫の人たちが、手を打ち振り、飛跳ね、元気一杯なのが、担架に乗せられると突然病人ですとばかりに運ばれていくのが、何だか可笑しい。
 日本の専門家たちは、みな眉をひそめて、体力・気力ともに限界を超えますとか、そんな悲観的なことばかり言っていたと記憶しているが、だいぶんメンタリティが違うようだ。かなりタフのようだ。
 この後も、トラブルなく進んでほしいものだ。

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変なことばかりの一日

●変なことばかりの一日

 今日は、変なことばかりの一日だった。

 まず朝、ずっと昔に親しくしていただいた故人の夢を見た。
 どこか都内の、大きな通りに面した雑居ビルの二階にある小洒落た雑貨屋に入ると、その人がいる。
 その人が死んでいることは夢の中でも承知していて、それでも不思議ともなんとも思わず、「どうも、ご無沙汰しました」と挨拶して握手する。
 いろいろ話などをした後、その人とともに階段を下りて、通りに出る。私は再び店に行こうとするが、その人はもう上ってこない。「ああ(私は現実に戻っていくが)、この人は死んでいるから(来ないのだな)」と納得する。
 その後も夢は続くが、もう覚えていない。

 昼、某所の○○ダ珈琲店に入ると、休日なのでニュータウンファミリーで大混雑。コーヒーの他に野菜サンドを注文すると、調理場もてんやわんやだったらしく、大分待たせて持ってきたやつが、パンはふにゃふにゃでくねっている。それでも我慢して食べ始めたが、最後の方で、もうどこで取っていいのかわからないほど、身とパンとが入り混じっているのにはさすがに堪忍袋の緒が切れて、「ちょっと」と店員を呼びつける。「忙しいか知らないが、あんまりだろう。他の同じ店ではそんなことはないよ」「少々お待ちください」と残骸を調理場へ持っていって(わざわざそうして確かめるというのも怪しからん話だ)、ややあって戻ると「おっしゃるとおりですので、この御代は引かせていただきます」と言う。「(あたりまえだろう、とは言わずに)そうしてくださいよ」と、その場は穏便におさめる。
 ただのクレーマーと思われるのは業腹なので、また書類仕事も抱えていたし、さらにコーヒーを一杯注文して、なんとか作業を済ませて店を出る。その頃には人の波も引いて、戦争状態も終わっていた。

 最後は、もう夜、ボルボ240オンマニ号で帰宅途中、コンビニに寄って買い物を済ませ、さてエンジンをかけようとすると、うんともすんとも言わない。ラジオや警告灯は点くので、バッテリーではない。給油直後だったので、さては燃料ポンプか、セルモーターか? JAFと言ってもこの年式のボルボは手に負えないかもしれない、まずはオート・ボルタに電話、と思って社長にかける。
 とっくに閉店の時間だが、すぐ電話に出てくれて、症状を聞くと、「まずシフトレバーを一番下まで(つまり1速まで)降ろして、そしてまたPまで戻してください」と言われる。電源は入っているので、ブレーキペダルを踏んだらギヤは動き、指示通りにできた。「それでセルを廻してください」「廻します」とキーをひねると、見事にエンジンがかかる。
 狐に抓まれた気分で「どうなったんですか」と問うと、社長曰く「普通、そんな風にセルモータが頓死することは、まずないんです。一番考えられるのは、車を止めた際にギヤがPレンジの位置に十分に入りきらず、それで接触不良を起こしたというケースです」と、事もなげに、見事に説き明かしてくれた。要するに、こちらのポカ、不注意だった。以後気をつけなければ。
「いやありがとうございました、まるで神様に会ったみたいです」と、これはお世辞でもなんでもなく、本当の気持ちだった。「困ったときは何時でも結構ですからね」と明るい声で言うオート・ボルタ社長に心から礼を言って、それから後は、無事に帰宅。何かの大難を小難に切り抜けたかもしれない。

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地球文明に対する農民反乱

●地球文明に対する農民反乱
 編集者の人から漏れ聞くと、出版業界は壊滅的なようだ。同様な状況は、音楽業界にも波及しているようだ(自殺した社長もいる)。文明の末期、末世乱世だと思う。
 コンピュータとネットワーク社会の到来も、地球全体の大脳化や情報共有の理想郷ではなかった。低レベル教育の実施によってまず愚民化のお膳を整えておいて、そこに誰でも簡単にアクセスできる場とデバイスをあてがえば、いったいどうなるか、火を見るより明らかだ。要するに、今起きていることは、「地球文明に対する農民反乱」とでもいうべき状態なのだ。
 ローマが滅亡してフランク王国がまともな状態になるまで、優に二百年以上かかっている。その間、文明は、修道院にのみ細々と生き続けた。だからテレビも、料理番組でも観ているしかない。
 文明の破壊による脱構築が新たな世界を生むなどというのは綺麗事で、その間の二百年には生きたくないものだ。

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ボルボ240、オイル交換

○ボルボ240、オイル交換
 ボルボ240オンマニ号のエンジンオイル交換をした。距離15万5千キロ強。オイルはいつもどおり、バルボリンMaxlife10w-40。エレメントはボッシュ。今回は、これまでずっと続けてきたし、だいぶん綺麗になっているでしょうということで、諸ケミカル投入は無し。まあ、4月には早くも12箇月点検も待っているし、そのときと考えている。
 先月初めには、法事や墓参で、淡路島や高野山へ、酷暑の中往復をしてきたが、冷房全開にもかかわらず、オーバーヒートも、エンジンストールも、トラブルは何一つなく、リッター10~11キロの燃費で、元気一杯走ってくれた。新名神高速道というのはすごい道で、じつに快適だった。民営化以後の諸SAの設備の充実振りというのも、目を見張る。そのかわり、レストランは24時間営業ではなくなり、あの豚汁定食的雰囲気の面影はなくなった。あれはあれで、懐かしいものではあった。
 考えてみると、私がボルボ240オンマニ号に乗り始めてからでも、ほぼ4年半経つ。オート・ボルタ社長も言っていたが、店にこれだけボルボが並んでいて、「240は3台ですよ」というような状態で、しだいによい個体も少なくなりつつある。そうとう手を入れておいても、どうしてもトラブルが出やすくなる。オンマニ号は、中でも非常によいものだったのだと、改めて感謝する。
 それでもなお乗りたいというオーナーの車が、整備を待って、オート・ボルタに置いてあった。いったん運転してみれば、それだけのものを、ボルボ240は持っているということだろう。
 とはいっても、クルマというものに対する考え方や観念が、まるきり、そして急激に変わってしまったご時勢だから、今後はどうなることだろうか。
 超高級車と、エコ一般車の差は開くばかり、そして軽はそれとはぜんぜん違う意味合いを持っているし、ファミリーはバスみたいなRVを、もっぱら選ぶ。
 何から何まで、拡散しきった世の中だ。

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ノーベル賞受賞記者会見

●ノーベル賞受賞記者会見

 長らく書くことができなかった。他のことに集中すると、ブログに廻す体力も気力も残らなくなった。
 ちょっとそれも一段落したので、少しずつでも記していく。

 ノーベル賞受賞は、もちろんめでたいことだが、今夜のニュースを観ていてまず思ったのは、いくらお丈夫な学者先生とはいえ、80歳というご高齢ののお年寄りを、次から次に各チャンネルのニュースに引っ張り出して、テレビマンは気がとがめないかということだ。
 せっかくの受賞が、翌日疲労で倒れられたりしたら、とんでもないことに暗転するではないか。気遣いというものだろう。
 北大も北大だ。後ろの校章を見せんがための記者会見だ。ああいう市松模様のCIを見せる戦略は、悪しき商業主義の典型だ。日本には、F1グランプリあたりから入ってきたと記憶しているが、いまや政党から、各省庁まで、猫も杓子もオンパレードだ。卑しいかぎりだ。
 どうせ同じ切り口の、同じ編成の、同じニュースしかやらないのだから、NHK一本に絞ってもいい。
 それで他の番組……と思ったら、これもスペシャルとひな壇芸人しかやっていない。

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酷暑、立秋、ねぶた、ヒロシマ

○酷暑、立秋、ねぶた、ヒロシマ

 立秋だというのに、たいへんな酷暑だ。だがしかし、季節は争われぬもので、風は少しそよそよと涼しく、ツクツク法師が鳴きはじめた。夕刻の南多摩は、ともすればアルカディアを思わせる。私のところからは、高尾山がまるで比良のお山のように、つまりは近江の国のように感じられたり、丘陵地の住宅街には京都と奈良の間、つまり山城の国の空気があったり、そして南の空には相模の海の輝きが照り映えたり、まるで万華鏡のようだ。

 いま、NHKBSテレビでは、ねぶたの中継をやっている。いつも不思議なのは、坂上田村麻呂とか阿倍比羅夫とか、大和の征服者がでかでかと尊崇されていることだ。ここに「魂おぎ」「鎮魂」という作用の不思議さがあるだろう。

 後はもちろん、広島の日だ。米英仏国連が姿を見せたというところに、やはりひとつの「変わり目」を感じる。したたかな国々だから、もちろん「平和」とかの理想論ではない。核以外のやり方による世界維持と支配の方策を、もう私たちは見つけましたよ、だからそんなもの無力だし無用ですよ、という、核後追い国へのメッセージだろう。

 だがそうではあれ、お盆は死者祖霊が語りかけてくる。
 だから景色も、不思議な光を帯びて懐かしく映る。空気も輝いている。
 そのときに戦勝国たちが集ったというのも、もしかしたら「鎮魂」のため呼び寄せられたのかもしれない。

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子どもたちの悲惨なニュース

●子どもたちの悲惨なニュース
 いたいけな子どもたちの悲惨なニュースには涙がこぼれるばかりだ。
 もちろん、こんな話は、安寿と厨子王(山椒太夫)物語時代からあるに決まっているし、今の時代が特別に例が多いわけでも悪いわけでもない。世界中で毎日のように、子どもたちはひどい目に遭い続けている。マスコミは、ここぞとばかりに扇情的に扱いがちだ。
 とはいえ、報道されればやはり哀れを誘われる。とくに、遺棄された二人の幼児は、三歳の姉が一歳の弟をかばうように倒れていたとも見受けられる。そして、虐待された女の子は、ベランダに放り出されて横になりながら「ひまわりを探している……」と手を伸ばし、やがて「部屋に入らないのか」と聞かれて「もういい、ここで寝る、おやすみなさい」と言ったのが最期だったという。
 子どもの心のどこから、どうして、こんなに優しい諦念が湧き出でるのか。子どもはやはり、神に近いのか。
 人の魂の底知れない深さには、ただおのずから手を合わせるしかないではないか。

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