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ボルボ240、電気系メンテナンス

○ボルボ240、電気系メンテナンス
 午後から気が向いたので、ボルボ240オンマニ号の電気系のメンテナンスをする。バッテリーを上げたので、少しでも糊塗しておこうという姑息な根性。
 嶋田電装から「嶋電スプレー」という新製品のDMが来たので、早速注文したら、すぐに届いた。これを使ってみる。ナノテク使用で電気接点の改善ができるものだという。興味のある方は、嶋田電装のHPをご参照の上、あくまで自己責任でお願いします。
 まずボンネットを開けてバッテリー端子を緩めて外し、、ビニール袋で絶縁しておく。それからヒューズにかかる。ボルボ240のヒューズボックスは助手席左前にあり、ヒューズは「イモムシ」と呼ばれる旧式のもの。これを一つ外すたびにクランプ式の端子を磨き、そろそろ危うそうなものは、かねてオート・ボルタに頼んで準備してあるものに交換し、接点を磨いてから嶋電スプレーをかけて、ふたたび一つずつ取り付けていく。全16本。
 この作業を終えてからエンジンルームに戻る。ULTRAのシリコンプラグコードを一本ずつ外し、プラグ側とデスビ側双方の端子にスプレーする。さらにセンターコードのデスビ側とコイル側のそれぞれの端子にもスプレーする。プラグを外したりデスビキャップを外すのは、いまのところ私の手に負える範囲を超えるので、これはいずれオート・ボルタに立ち寄って、社長の監督の下でということにする。またそれまでにバッテリー延命デバイスを注文しておいて、併せて取り付けてしまおう。
 ここまで終えて、あらためてバッテリー端子に取り掛かる。嶋田電装によれば、このスプレー液は圧着圧力を加えることによって本領を発揮し、電導効率が改善されるということなので、あらかじめ少し緩めておいてワイヤーブラシで磨き、そこにできた隙間にスプレーした。しかしあまり緩めると、カミナリや嶋電アースやプラスチャージラインといったごてごてした端子が外れてしまいそうで、そこまでは思い切れなかった。
 再び端子をしっかりと締め付けて、エンジンルームは終了。最後にダッシュボードのライター端子のところに取り付けてあるHotInazmaの接点にも吹き付け、これでよしとする。
 それ以外の作業としては、エアコン清浄スプレーをかけ、リヤゲートに貼ってあった高幡不動のステッカーを剥がした。まだ新しいお札を貰いに行ってはいないが、ちょうど一年になるので、いずれ行くつもりをしている。今度はステッカーをガラス窓に貼るか、それともエンジンルームに貼るか(そうした例の写真がVolvo Styleムックに載っている)、その何れかにしようと考えている。しかしガスとか埃で不浄なエンジンルームにありがたいステッカーを貼るのもいかがなものか、とも思ったりするので迷うところだ。
 さてこれで、本日の電気系のメンテは2時間ほどで終了した。とりあえずはエンジンもかかるし、車も動く。しかし駐車場内でしか動かしていないし、1時間弱通電していなかったので、コンピュータに再度学習させねばならないだろう。それで試運転の結果とインプレッションについては、稿を改めて書くことにする。

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ボルボ240、バッテリー回復

○ボルボ240、バッテリー回復
 W大学、麻疹で閉鎖。よって非常勤は休講。合間を利用して、北総ニュータウンのジョイフル本田へ日用品の買出しに行く。千葉県内、道が混んで難渋する。2車線の旧街道で右折車あり、踏み切りありでは仕方ない。
 ジョイフル本田の駐車場でボルボ240オンマニ号のボンネットを開けてバッテリーをチェックしてみると、ありがたやインジケーターは「緑」に戻っている。助かった。しかしやはり、延命デバイスはつけた方がいいだろう。タイミングを見計らって注文するつもり。
 ジョイフル本田はウィークデーということもあって、ゆとりある買い物ができた。妻によれば、ティッシュペーパーが値上がりしているとのこと。またドライクリーニング代も来月から値上げとのことで、ガソリン代が再び上昇していることとも考え合わせ、つまりは石油の値上がりが響いているということだろう。
 要するに、遅効性の石油ショックが来ているのではないだろうか。しかも今度はOPECを傀儡に使うこともなく、アメリカの直接の差し金で。

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スーパーオートバックス

○スーパーオートバックス
 授業の帰り、スーパーオートバックスに立ち寄る。夜9時まで開いているので都合がよいのだ。
 ボルボ240のバッテリーのリサーチ。エキサイドはけっこう高い。ボッシュももっと高い。オプティマとか何とかと言うものになると、格好もデザインも飛びぬけていいが、値段もさらにその倍もする。オーディオも使わないし、点火系もそこまでいじってはいないし、やはりネット通販でブライトスターにしよう。そして延命デバイスをつけても、まだボッシュよりも廉いのだ。ナノテクで接点もよくして、全体のバランスを持ち上げよう。
 あとはボルトとナットが錆びて固着しているバッテリー・ターミナルを換えたいのだが、スーパーオートバックスの店員に聞くと、バッテリー側は大丈夫なのだが、コード側の取り付け方が外車は特殊なので、おそらく国産既製品は合わないだろうと教えてくれる。「自分も外車に乗っているので判るのですが……」と親切だった。
 とりあえず寿命の来たTOTOの光触媒脱臭Boxを買って、あとは考えあぐねて帰宅。回復しきっていないバッテリーのはずなのに、ボルボ240オンマニ号はますます軽快で、まるでクルマ自身が鼻歌混じりに走っているかのようで、あんたそんなに調子に乗っていいのか、と運転者が怪訝に思うくらいだ。
 ネットで「バッテリー・ターミナル」を調べているうちに、ipdを思い出す。ページを開いて検索してみたら、案の定、品物がある。手許のカタログを紐解くと、同じものが載っている。日本からダイレクトに注文もできる。まずはここからいこう。

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ボルボ240、バッテリー上がり

●ボルボ240、バッテリー上がり
 実に初歩的でお恥ずかしい話。
 5/22火曜日の朝、出勤しようとしてリモコンキーのボタンを押すと、アンサーバックの点滅が弱く怪しい。ドアを開けてキーを回すと、エンジンがかからない。見るとルームランプが点いたまま。先週木曜日、帰宅したときに車内でメモをつけ、そのさいにルームランプを点けて消し忘れたのだ。大容量のエキサイドバッテリーで、まだ1年しか使っていないのに、しかも「大切に使う」などと書いておきながら、その舌の根も乾かぬうちに、もうこのざまだ。しかしすべて前向きに考え、愚痴はこぼしてはいけないと、呼吸法の心得も言っている。大難を小難にと考える。幸い早めに出発していたので、学校へは電車出勤で間に合った。
 オート・ボルタに連絡を取って、帰宅後、中古バッテリーで充電してもらえることになった。「昼間100キロくらい走らないとだめですよ」と社長に言われる。水曜日、学校往復で60キロ走ったが、インジケーターはようやく「透明」から「黒」といったところで、「緑」には戻らない。
 この分では、バッテリー交換の手当てを考えねばならない。エキサイド? ブライトスター? ネットで頼むか? 接続端子もすっかり錆びて固着しているようなので、これも銅製のものに交換するか。さらに「ナノパルサー」という延命デバイスもつけよう。最近メールで紹介があった「嶋田電装」の「嶋電スプレー」もついでにかけておくか。
 どの手順で、どういう風に、いちばん効率よくやるか。

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ボルボ240、オイル交換

○ボルボ240、オイル交換
 午前中の非常勤の授業を終えた後、オート・ボルタに電話してボルボ240を持ち込む。多摩ニュータウンの一角にある学校を出たときにはすごい雨降りだったのに、鶴川街道を北上して深大寺のオート・ボルタについたころには小止みとなり、そのうちに青空が覗いて日も射してくる。これもまた、黄砂および化学物質浄化の一環だと思って、天に感謝する。
 オート・ボルタは商売好調で、かなりの車が売約済み。私のとそっくりな赤い240もあって、社長が「あれも買ったお客さんが〈きぬのみちさんみたいに〉という感じで、そうとう手を入れましたよ、きぬのみちサイトをずいぶん見ている人もいるようです、ヒット数もかなりでしょう」と言う。いやそれほどに大した数ではないが、たしかにアクセス解析で見ると、ボルボサイトを見ている人がいちばん多いことは確かだ。
 オフィスでコーヒーをもらいつつ社長と話をしている間に、オイル交換をしてもらう。ここまで走行距離106788キロ。オイルはValvolineMaxLIFE 10W-40。他にはWAKO'S ESC(シールコート)、 WAKO'S S-FV(添加剤) を入れる。WAKO'S F-1(清浄剤)は購入済で、こんどガソリンを満タンにした際に添加する。
 末石さんのサイト掲示板で目にしたものをさらにネットで詳しく調べ、印刷した資料を、オート・ボルタに渡す。和光テクニカル(WAKOと紛らわしいがまったく別会社)のイグニッションコイルと、フュージョンテクニカルが販売元のCOLD12という、ノンフロン・カーエアコン用冷媒だ。「うちのガレージ(オート・ボルタの提携整備工場)は純正派だからなあ」と言いながらも、「検討してみましょう」ということになる。
 最後にエンジンルームの清掃をしながらチェック。ウォーターポンプの結合部からほんのわずかLLCが漏れて乾燥した跡が見られ、またエンジンオイル補給キャップのところからオイルが流れていた。「(ウォーターポンプは)社外品だからやはり純正に比べて耐久性が劣るようだ、今のところは大丈夫だがいずれ交換のときは純正にしましょう」ということになり、またオイルの方はシールコートも入れたし、お咎めなしとなった。いつもLLCの具合の点検と、それからオイルチェックは欠かさないようにしないといけない、というアドバイスをもらった。素晴らしい車なのだから、大切に使って部品にもこまめに気を遣い、長持ちさせなければ。それにその方が、車検のときに一挙部品交換などということになって高くつく危険も避けられるというものだ。
 さてオイル交換も済んで再び走り出したボルボ240オンマニ号はまことに好調。きびきびと走り、エンジン音も低くかつ軽快。次回のオイル交換は110000キロ強というところだろう。プラグ交換は30000キロ走行あたりで考える。そのためにSplitfireのプラチナプラグを調達し、ニッポンエミールでコーティングしておかねば。まあ徐々に準備していこう。それもまた楽しみの一つだ。

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ボルボ240、小諸の旅

○ボルボ240、小諸の旅
 大学祭休講を利用して、5月11日、12日と、妻を連れ小諸に行ってきた。島崎藤村フィールドワークの旅。天気に恵まれ、快適だった。
 11日午後出発。中央道を取り、諏訪SAで軽食と給油。長野道~上信越道と走って、小諸で降りる。東京から4時間。
 藤村の恩師木村熊二が開いた鉱泉旅館、中棚荘に泊まる。もちろん現在では、すばらしく洗練された宿となっている。連休の次の週のこととて、宿泊客も少なく、静かで落ち着く。食事も地ビールもなかなか美味。風呂は別棟になっていて、お湯はとても滑らかでいいのだが、この季節の小諸はいまだ早春で、部屋から浴場までいくのはなかなか寒い。真冬ならどうなることだろうと思う。
 ロビー〈ここにも薪ストーブが赤々と燃えている〉には藤村関係の書籍も多数揃えてあって、重要なもの以外は部屋で閲覧することもでき、風呂に浸かって疲れを取った後は、ゆっくり読書した。それで面白かったのは、藤村は小諸での生活を、後にはあまり良い思い出としていないということだった。懐古園に歌碑が立てられたときの除幕式にも出席していないし、便乗して「藤村だんご」という土産ができたのを知るとかんかんに怒って「そういう所だ」と吐き捨てている。このあたり、賢治と花巻の関係にちょっと類似して面白い。
 12日翌朝、早起きして入浴と散歩。宿の直上に、木村熊二の寓居水明楼がある。昔はここから千曲川の岸と流れが見えたのだが、今では木も生い茂り、しかも旅館の真下には団地が作られていてほとんど見えなくなっている。何でこんなところに団地を作らねばならなかったのだろう。
 素晴らしくよく摺られたとろろをかける麦飯など、よく吟味されて美味しい朝食を取り、宿を出て、懐古園見学。土曜日だというのに、来ているのは台湾人観光客とスケッチに訪れている子供たちばかり。今年は大河ドラマを当て込んで、山本勘助ばかり。
 私たちは藤村詩碑と牧水の歌碑を見る。牧水の方は石垣に字を彫り込んであるだけで、「その慎ましやかさに比べ藤村の方は」と批判的に書いてある文章を昔読んだことがあるが、それはそれぞれだ。ただし小諸は藤村で食ってはいるな、と思うことは確かだ。まちそのものはすっかり寂れているのだから。藤村資料館には小諸時代の藤村使用品がさまざま寄贈されていて、それを見るのは楽しかった。最初の妻ふゆの父がわざわざ小諸まで提げて来て藤村の家の居間に掛かり、のちに訪ねてきた柳田国男から「あの時計はずいぶん遅れているよ」と言われる、その時計と思しき柱時計もあった。しかしどう考えても、いちばん哀れなのは、このふゆ夫人だと思う。
 懐古園を出て、小諸駅のすぐ横に移築保存されている、小諸義塾記念館を見学。ここの様子は、そこに集った教員の姿とともに、藤村の『千曲川のスケッチ』に詳しく描写されている。当時の写真も多数展示してあり、面白かった。創設者の木村熊二という人は、昌平黌で学んだエリートで、天狗党平定にも、第二次征長の役にも従軍し、勝海舟の部下として近藤勇とも面識があり、彰義隊に参加した後偽名でアメリカに逃れ、そこで留学して学位も取りプロテスタント牧師になり、帰国後は明治女学校を設立するという、波乱万丈の英雄的幕末明治人だ。新選組、透谷、中村屋、藤村、私が興味を持ったものがみんな木村熊二で結びつくのは不思議な感じがする。
 さて小諸をこのあたりで辞して、われわれはふたたびボルボ240に乗り込む。小諸ICに入ろうとすると、「事故閉鎖中」の表示。この日の午前9時ごろ、十数台の関係する大事故が起きていた。懐古園を見学せずにそのまま出発していたら、危うく巻き込まれるところだった。そこで次の東部湯の丸ICから入り、上信越道をそのまま北上する。妻がいまだ裏日本の日本海を見たことがないので、越後まで出るつもり。
 信濃ICでいったん降り、一般道を通って上越まで出ることにする。以前立ち寄って覚えていた、上越IC新都心のジャスコ内にある小嶋屋で、へぎそばを食べる。
 それから日本海を眺めながらドライブ、柏崎~七日町~小千谷と山を横切り、17号線に出て、スキー場を眺めながら三国峠を越え、渋川~前橋~高崎とひた走る。交通量も少なく、非常に快適。給油すると、リッター11キロ強まで行っている。加速も効くし、トルクフル。
 高崎近くで夕食を取り、それからまた17号線を南下。熊谷から道を東松山に取り、鶴ヶ島から圏央道に入って、あきる野で降り、八王子から中央道で高井戸、そして自宅へと帰り着いたのだった。

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ボルボ240、三浦半島・房総半島ドライブ

○ボルボ240、三浦半島・房総半島ドライブ
 3月20日は私の勤務する大学の卒業式が横浜であった。妻とホテルにチェックインして、妻は横浜町歩きに出て、私は夕刻の卒業記念パーティまで出席した。
 3月21日春分の日は、ドライブに出ようという心積もりをしていた。チェックアウトの後、ボルボ240でまず横須賀まで行く。快晴、ようやく空気も暖かさを増す。三笠公園でトンビの鳴き声を聞いた後、市内を歩いて、横須賀海軍カレーを食べさせる店に行く。チキンを注文したのにビーフを持ってきたのには驚いたが、もちろんすぐに換えてくれた。人手が足りないのか。しかも換えた後のチキンカレーにもビーフのかけらが入っていたことから、ルーは共通で基本的にはビーフカレー、チキンは後から放り込んでいるものと推測する。味そのものは悪くなく、名物にして町おこしを狙っているのだから、残念ながらこのあたりをしっかり改善しなければならないだろう。これがクレーマーだったら、いったいどうなったことか。
 横須賀の町を出発して、オートバックスでボッシュのオイルフィルターとWAKO'sのガソリン清浄剤F1を購入する。105000キロを過ぎて、そろそろオイル交換を考えている。前回の交換からは、まだ3000キロくらいの走行でしかないが、5000キロずつで交換ということを目安にしているので、できれば分かりよい距離数に合わせておきたいのだ。もうエンジン内部も汚れてはいないだろうし、ガソリン清浄剤もオイル交換ごとに1本投入でいいだろう。あとの問題は、すでに20000キロを走行したプラグの交換のタイミングをどうするかだ。
 さらに走って、観音崎を散歩する。干潮のときで、岩礁からなる磯に出ることができる。小指の先ほどの小さな巻貝、水の残った場所に張付いている小さなイソギンチャク、赤や黄色や緑の海草、波の音、日の光、潮の匂い……。五官を満遍なく働かせて、心身のエネルギーを回復させた。また灯台の上からは、東京湾遥かにみなとみらいのランドマークタワー、ベイブリッジ、アクアラインの風の塔と高架橋、さらに房総半島の鋸山まで、鮮明に一望できた。大小の船も行きかい、その眺めは退屈しない。
 どうせなら海の一日を、と考え、久里浜から金谷までのフェリーに乗ることにする。久里浜港に着くと、ちょうど出港直前で、すぐにチケットを買って乗り込む。金谷までは40分ほど。タグボートを従えた大きな貨物船、また珍しい潜水艦の艦影など、船長が手馴れたサービスでアナウンスしてくれる。日本武尊と弟橘媛の話を観音崎でしていたので、妻はそれを思い出したらしく、「ヤマトタケルに勝った!」などと意味不明のことを口走って喜ぶ。
 金谷からは内房を一般道で一路北上、多少渋滞に苦しんだものの、途中で夕食も取って、ほぼ順調に東京まで戻ったのだった。ボルボ240オンマニ号は快調、加速も効くし、ASBとストラットタワーバーのお蔭でロールもせずに、進路変更もきわめて楽だ。

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ボルボ240、熱海往復

○ボルボ240、熱海往復
 午後、妻を乗せて、ボルボ240で熱海まで軽いドライブ。東名~小田原厚木道路~西湘バイパス~真鶴道路というコース。ボルボ240はきわめて快調で、ATミッションの切り替わりも、すっかりよくなった。快晴だが強風で、波飛沫がかかる。
 途中、真鶴岬に寄り、小休止。海、波しぶき、初島の光景、それに夕日を眺め、潮騒と松籟と鳶の鳴き声を聴き、潮の匂いをかぎ、深呼吸をして、五官を徹底的に働かす。一朝一夕で行くものではないと重々承知の上で、それでもホリスティックなデトックスと心得る。
 熱海海岸の駐車場(もう山桜が咲いている)に車を止め、レストラン「スコット」に行く。ここは有名な古い洋食屋で、ずっと昔から知っている。旧い店の方を妻に見せたかったのだが、あいにく水曜定休ということで、新しい「本店」の方で食べる。割合年配層の客が何組か入っている。私は海老フライ、妻はカニクリームコロッケと、古典的メニューを注文する。味はまあ、可もなく不可もなく、つまりまさに洋食の味ということだ。
 店を出て、熱海銀座を少し歩く。オフシーズンということもあるだろうが、ほとんどの店は7時だというのにシャッターを下ろして、歩く人もまばら。ただ、私の印象だが、熱海は衰退したといっても、綺麗で洒落た店やビストロなどもぽつりぽつりとはあるし、ホテルや旅館の代替わりとリニューアルも少しずつは進んでいるようだし、どだい高度経済成長のビルとコンクリートの群がおかしかったのであって、失われた10年も過ぎ、いまや不景気が一巡して、これから熱海は立て直し、しみじみした風情を取り戻せばいいのではないかと、むしろ感じたところだった。
 さて帰りは西湘バイパスから先は一般道をのんびりとドライブし、潮水に当たったボルボ240オンマニ号を洗車してから帰宅したのだった。

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ボルボ240、快調さを取り戻す

○ボルボ240、快調さを取り戻す
 土曜日だというのに、学校で会議。今日はボルボ出勤。
 会議終了後、研究室で少し仕事をして、学校を出る。時間があったので、深大寺のオート・ボルタに顔を出すことにする。ボルボ240オンマニ号は、ブレーキ交換以来、快調さを取り戻した。ともかく、エンジン音が静かなのには驚く。それに加え、どうもオートマチックミッションの切り替わりがひどくスムースになっている。懸案だったものが解決した形だが、どうも謎だ。ガレージがこっそりなにかやったのではないか。
 オート・ボルタは今日は閑のようで、エマージェンシー・タイヤの収納の具合を調整してもらう。この間のパンク事件以来、しっくりしていなかったのだ。どうやら、ゴムバンドの引っ掛け位置が違っていたらしく、長さも調整してぴったりと止った。しかもそこにジャッキの把手棒を見事に引っ掛けて押さえたので、もう、カタとも言わなくなった。
 オフィスで代表の朝山さんと世間話。「HPによれば、一台商談中で売れそうでよかったですね」と水を向けると、嬉しそうに「(買おうとしているお客さんは)きぬのみちWEB SITEのボルボ240コーナーを見て、よし俺も、となったそうですよ」と言う。さすれば、こちらも少しは商売に貢献できたわけで重畳だ。ATのことについて聞くと、「ケーブルワイヤーのことはうるさく言っておいたので、もしかしたら工場の方も調整をしたのかもしれないですね」と言うので、やはり睨んだとおりか、と思った。
 その後は三鷹のスーパーオートバックスでしばらく遊んでから、帰宅。WAKO'sのF-1をバラで売っていたので2本購入した。これを満タンごとに足せば、エンジンはクリーンアップされるはずだ。
 

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