我が家のお盆 ○我が家のお盆 我が家の簡単なお盆。マンションで、ベランダも狭いし、迎え火も送り火も焚けない。 佐野のジャスコで買った茄子と胡瓜の飾り物。正月飾りやクリスマスのオーナメントと同じで、こんなものでも商売になるのだ。と同時に、こういうことをやろうという新家庭もまた増えてきたのかもしれない。神社仏閣参詣が隆盛になっているのと同じ流れだろう。このあたりが、私がティーンだった70年代との最大の違いだ。それで私も、まともな仕来りも知らないでこんな略式をやる。 後ろの額は、ガンダーラのミロク菩薩。手前の線香はインドのもの、そのすぐ背後の小さな蝋燭立てもやはりインドのもので、可愛らしい象がついている。蝋燭は土日の小旅行のさい、日曜日に新潟のホテル日航で買った地元土産のミニミニ蝋燭。「ありがとう」の文字が入っている。 [0回]PR
誕生日 ○誕生日 妻が誕生日を祝ってくれた。手製のちらし寿司に、チキン腿肉。デザートにはテオブロマのケーキだった。ありがたく戴いた。 誕生日だというのに、あまりめでたくもないニュース。全_世_界_株_安に、小_池_防_衛_相_ア_メ_リ_カ_訪問(しかも小_池は防_衛_族から総スカンを食っている)。これに先日の南_北_首_脳_会_談_実_施というものを考え合わせると、ひとつの流れが見えてくるような気もする。 取り越し苦労であればいい。 [0回]
熱中症寸前 ●熱中症寸前 今日は家の中にいても熱中症になりそう。エアコンがあるなしだけでもないような気もする。 夜散歩も、さすがに今日はあきらめる。気温がまったく下がっていない。 何年か前、エイサー調査に行ったときの沖縄の夜並みだ。一挙手一投足ごとに熱気が体に纏いついたことを思い出す。しかしそんな一夜、ある町のあるスナックで歌った「島唄」はわれながら素晴らしい出来だったと、いまでも思っている。島らっきょうさえあれば、泡盛がいくらでも入るのに。 東京の熱帯夜ではそんなことは望むべくもない。 いや、西瓜というものがあった。 [0回]
立秋、高野山別院参詣 ○立秋、高野山別院参詣 はや立秋だ。暑さは厳しいとはいえ、空、そして雲にははやくも秋の感じがあるのは不思議なものだ。 今日は祖父の祥月命日に当たる。我が家は高野山真言宗なので、妻とともに高輪の高野山別院に供養に行く。ボルボ240オンマニ号で出発。名前もぴったり。 去年まで自由に駐められたスペースにすべて番号が振られ、「契約駐車場」となっていたのには驚く。法事のときなどどうするつもりだろう。その他にも幼児供養塔など新しいモニュメントが作られ、そのあおりで仏足石が移動するなど、まったく商売熱心もいかがなものかと思わされる。しかし供養に来たのだから、今年も来られたのだからそれだけでありがたい。不平は控えよう。 本堂内はいつに変らず静か。静かに拝む人、読経をする人などちらほら。私たちも線香を上げ、数珠を手に般若心経を唱え、薄い経木の塔婆に祖父の戒名と施主つまり私の名を書き供える。南無大師遍照金剛。 さてその後は精進落とし。五反田のTOC(東京卸売センター)に行き、「レッサム・ヒリリ」というネパールカレーの店に入る。同じ密教系だからちょうどいいだろう。TOCは廉くて面白い店が沢山入っていて、私も妻もお気に入りだ。 遅めの昼食を済ませた後は、国道1号を北上し、高輪~霞ヶ関~大手町、そして靖国通りから岩本町~両国、墨堤を通って向島ランプから首都高速~東北道と取り、佐野のプレミアム・アウトレットへと向かう。ボルボ240オンマニ号はどんどん走る。エアコンもまずまず。 夏休みといえどもさすがにウィークデーらしく、広いアウトレットの中は比較的閑散。しかしおかげでゆっくりと店を見られた。敷地の隣りが田んぼなので、実りはじめた稲穂の香ぐわしい空気を吸ってリフレッシュもできた。 日が暮れてからプレミアム・アウトレットを出て、こんどは隣りのジャスコに行き、名物佐野ラーメンの店に入る。この辺り一帯はすっかり新都心化してたいていの郊外店は立ち並び、ゲームセンターやシネコンもあり、ジャスコの食料品フロアは24時間営業となって、まるで不夜城だ。 穏やかな気分で一日を過ごし、国道4号線でのんびりと東京まで戻ったのだった。妻は江戸見物までできたと喜んだ。 [0回]
一日、家 ○一日、家 今日は一日、家で過ごす。午後一杯かかって、文書を一つ作成。スピードが落ちている。 明日は広島原爆投下の日、一方イラクテロに備えたアメリカ新型装甲車MRAP開発というニュース。 [0回]
小_田_実告別式 ○小_田_実告別式 朝早くピキ氏より電話で起こされる。「小_田_実の追悼式があるので出ないか」との話。高校紛争世代なので思いが深いのだ。寝惚けた頭で承諾する。 昼、ピキ氏と待ち合わせ。追悼会だというので、しかも市民運動家でもあったひとのことなので平服(もちろん地味なもの)でも可だろうと思って行ったら、とんでもない、青_山_斎_場には喪服の人々が参列する、堂々の告別式。ちょっと見ただけでも土_井_た_か_子が新聞社のインタビューに答え、福_島_瑞_穂、志_井_和_夫、辻_元_清_美、井_上_ひ_さ_し、吉_岡_忍など勢揃い。最初の弔辞は加_藤_周_一。 いささかboldな言論者、というイメージだった小_田_実が、一貫してギリシア古典の専門家であったということは、ド_ナ_ル_ド・キ_ー_ンの弔辞で初めて知って、ああそれならこの人の民主主義認識は深く筋金入りだと、大いに認識を改めた。 出棺のさいには拍手が起こり、その後斎場から青_山一丁目手前の小公園まで、外_苑東通りをデモ行進。先頭は鶴_見_俊_輔葬儀委員長。「小_田_実追悼デモで倒れるなら本望」とのこと。"W_e s_hall o_vercome"を歌い、「戦争はしないぞ」とときにシュプレヒコールをまじえながら。キ_ン_グ牧師、公_民_権運動……、頭を去来する。あの頃のアメリカ人はいい顔、真面目な顔だ。 戦_後文化人、戦_後教養、戦_後民_主主義の時代が、また終わりを刻んだと思った。阿_久_悠のことも思い合わされた。列席の人々もほとんどが高齢。 この人たちが一貫して抵抗し「たたかって」きたのは国家権力であり、その抵抗の拠り所として、この人たちはつねに「市民の理想」を対置してきたと思うのだが、今の10代~30代の世代にとっては(「ニューア_カ」よりもう一つ下以降の世代、と大まかに考える、「ネ_ッ_ト_イ_ナ_ゴ」の中核部分も含まれるだろう)、この人たちこそが「オピニオンリーダーとしての思想的権威」であり「マ_ス_ゴ_ミ」であり、「教育権力」であり、抑圧者として忌避と憎悪と嫉視感情の投影対象になってしまった、ということを、この人たちはついに理解することはできないだろう。年輪の上につねに表皮が重なっていってしまう業。 現代はワ_イ_マ_ー_ル期を思い起こさせる状況だ、と弔辞を述べた人もいたが、その分析も直感も正しい。私の父は、現代を昭和初頭とよく対比する。閉塞状況を粗野な形で打ち破りたい社会的衝動は強まる一方だ。 けれども、今回の安_倍_政_権_大_敗と考え合わせて、小_田_実はあるいは自_民_党の命運を道連れにしたのかもしれない、などとも思った。それは民_主_党は所詮第二自_民_党だろうが、ア_メリカグ_ローバリズムの権化である小_泉ファッシズムの傾きを多少なりとも揺り戻した日本人の「公共哲学としての市民道徳」が、いまだ危げにまたたきつつもふたたび点りはじめているかもしれないのだから。いずれ一時代を画した人だ。決定的にはまとめがつかないが、「さまざまなことを考えました、ありがとうございました」。合掌。(敬称略) [0回]
スーパー・ジェッター ○スーパー・ジェッター 久し振りにCG絵を描いた。 「タイム・パトロール」と題して描いた。じつは「スーパー・ジェッター」の絵だ。版権物なのでご注意。ただし我がサイトは商業サイトではないし、観覧料、購読料を取っているわけでもないので、ご了承ください。 スーパージェッターは、私の小学生時代のテレビマンガ(まだアニメとは言わなかった)だ。30世紀の少年タイムパトロールであるスーパージェッターは、過去へ逃亡する悪人ジャガーを追跡中に、タイムマシン同士が衝突して、20世紀の日本に不時着してしまう。止むを得ず20世紀にとどまることになったジェッターは、そのすぐれた知力と身体的能力、そして30世紀の科学力を駆使して、科学省の西郷長官や少女カメラマンのカオルと協力して、数々の難事件の解決に取り組むのである。 脚本作製には、後の日本SF界の巨匠たちが加わっていたことでも有名なこの作品は、空中に浮くことのできる反重力ベルト、時間を30秒停止させることのできるタイムストッパー、撃っても人を傷つけないパラライザー銃、そして宇宙から海底まで行けない所のない、マッハ15のスピードを持つ万能タイムマシン流星号などのさまざまな舞台立てで、子供の心をわくわくさせた。また活躍の舞台は20世紀にとどまらず、ときには同僚のタイムパトロールなどもあらわれて盛り沢山だった。私が覚えているのは紀元前4世紀のマケドニアに行き、アリストテレスや若きアレクサンドロスに会うというストーリーだ。私が歴史好きになった遠因の一つには、こうしたタイムトラベルストーリーが大いに与っているものと、今にして思う。また感動的な話としては、ジェッターが少年野球のピッチャーに「30世紀の変化球」を教えて自信を取り戻させるというものもあった。 この番組は、たしかふりかけの丸美屋が提供しており、ふりかけの何かを集めると景品としてジェッターが身につけているタイムストッパー兼トランシーバー兼時計が当たるようになっており、私はそれを持っていたのを覚えている。ふりかけ自体はあまり食べた記憶がなく、周りの大人たちが困りつつ処理したことだったろう。今思えば、勿体ないことをしたものだ。 タイムマシン「流星号」のプラモデルも発売されていて、ちょうどその頃猩紅熱にかかり入院していた小学三年生の私は、回復安静期に、祖父が買ってきてくれた流星号の模型を、何個も作ったものだった。もちろん退院後のことだろうが、一緒に入った風呂の中で、祖父が湯に浮かべた流星号をゆらゆらと揺らしていた光景を今思い出したので書いておく。祖父の命日も近い、何かの供養だろう。 過日、妻とカラオケに行き、そこでつい「スーパー・ジェッター」の主題歌を歌ったのだが、科白のところまで克明に覚えていた。それだけイメージが鮮烈なのだ。もちろん、ジェッターの姿も流星号の形も、ありありと脳裏に浮かべることができる。それでそのときに思いついたポーズを大事に温めていて、ようやく時間的にゆとりができたので描いたというわけだ。腰の反重力ベルトに手をかけながら空に浮き、トランシーバーで流星号を呼んでいるところだ。ほんとうは向きが逆なのだが、うっかりして左利きに描いてしまったので、左右を逆転させた。そのため若干構図が乱れたが、まあ仕方ないだろう。人体を描くときに丸を連ねる「マンガ描き」技法で下書きしてみた。 昔は漫画家になりたいときもあったのだが、それなりに描けたので、まあまあ満足だ。 [1回]
台風の明暗 ●台風の明暗 今日も会議を二つこなす。その前後の打ち合わせもある。教師の最も不得手な部分。政治好きでもないし。ともかくこれで大掛かりなものはしばらくないはず。夕食後は気が緩んで、ラジオをつけたまま寝てしまう。そのラジオはずっと台風情報。台風というものは明暗をはっきりさせる。西日本で惨害、東京は何年ぶりで見る輝かしい夏空。 家に桃がたくさん到来している。桃は魔除けでもあるし、ありがたく戴いている。 [0回]
採点票提出 ○採点票提出 午後、採点票を学校に提出しに行く。 帰り道、電車を待ちながら駅のホームのベンチにもたれかかっていたら、夕焼けの雲はきれいだし、黒くこんもりした木からは降るような蝉の声はするし、涼しい風は吹いてくるし、郊外通勤ならではのすがすがしい開放感を味わった。 [0回]
甚平は快適 ○甚平は快適 昨日買った甚平は着やすくて非常に快適。作務衣よりもずっとよい。 採点をもうひとつ片付ける。まだ多数残っているので、力を分散しながら、少しずつこなしていきたい。 政局については、十分注意して見て行きたい。特に前原。岡田はもうダメかもしれない。 今日は土用の丑の日、しかも満月。「ホウホウ先生のブログ」には、「少し疲れている方や、何かいつもと違うマインド(ちょっと不安定)の方は、「う」のつく物を食べて夏バテ防止を!そして満月の夜にバナナを!」そして「「う」のつく物は、うどんや鰻、瓜、牛、うに、ういろでもOKです!」と書かれている。 牛・豚はほとんど食べられなくなってしまったので、ベジタリアンとしての滋養のつけ方とは、どういうものだろう。 [0回]