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年の納めのブログ

○年の納めのブログ

 ついに今年も、あと一日を切った。やはりさまざまな感慨はある。時は移り変わっていき、またそれに対応して生きてもいくものだ。
 とはいえ、この押し詰まった時になると、決まって思い出す詩がある。この、いかにも「人恋しい」感じが、なんともいえない。
 今年のブログの納めには、それを載せておこう。

除夜の鐘

中原中也

除夜の鐘は暗い遠いい空で鳴る。
千万年も、古びた夜の空気を顫はし、
除夜の鐘は暗い遠いい空で鳴る。

それは寺院の森の霧つた空……
そのあたりで鳴つて、そしてそこから響いて来る。
それは寺院の森の霧つた空……

その時子供は父母の膝下で蕎麦を食うべ、
その時銀座はいつぱいの人出、浅草もいつぱいの人出、
その時子供は父母の膝下で蕎麦を食うべ。

その時銀座はいつぱいの人出、浅草もいつぱいの人出。
その時囚人は、どんな心持だらう、どんな心持だらう、
その時銀座はいつぱいの人出、浅草もいつぱいの人出。

除夜の鐘は暗い遠いい空で鳴る。
千万年も、古びた夜の空気を顫はし、
除夜の鐘は暗い遠いい空で鳴る。

謹んで旧年を送り、謹んで新年を迎えます。

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「坂の上の雲」第二部 第九回

○「坂の上の雲」第二部 第九回
 
 こちらの方が、ずっと「宇宙戦艦ヤマト」だ。
 いっそのこと、このスタッフで制作すればよかったのに。効果もCGも、これで十分だ。
 
 軍神広瀬中佐がこれほどまでに取り上げられたのは、平成の御世になって、おそらく初めてだろう。
 それにしても、最終部が来年12月だというのはひどい。もうここまで、つまりクライマックスまで来たのだから、あとは一気呵成に行くべきだろう。

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大田皇女の墓発見

●大田皇女の墓発見

 人の墓を暴いて、それを覗き込みに、朝早くから田舎の村で行列を作る。それが「ロマン」だそうだ。
 下司の根性だ。
 これも聖代の不祥事だろう。

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健康保険証切り替え

●健康保険証切り替え

 健康保険証の切り替えで、事務室で交換してきた。
 これまでは大判の紙のカードだったが、今年からクレジットカードなどと同一サイズのプラスチック製となった。長年の有難味も薄れ、使いにくいことおびただしい。しかも住所は本人が書き込むこととなったのだが、この欄がまた小さくて、老眼には極めて辛い。年末調整の文書の記入欄同様、役人のすることというのは、いつでもこのおためごかしだ。
 もっとひどいと思うのは、カードの裏面に、「臓器提供意思表示欄」というのがあることだ。「記入は任意であり義務付けるものではありません」とはあるが、問題だと思うのは、その順番と文面だ。
1.私は、脳死後及び心臓が停止した死後のいずれでも移植の為に臓器を提供します。
2.私は、心臓が停止した死後に限り、移植の為に臓器を提供します。
3.私は、臓器を提供しません
と、こうだ。(太字はもちろん筆者)
 これではまるで、1番を選んだ人はまことに自己犠牲・博愛的な聖人だが、2番を選んだ人はそれに比べてだいぶんしみったれ根性、3番にいたっては、お前はとんでもない利己主義者の冷血漢だと言われているのも同然といった感じではないか。これでは、3番を選ぶにはずいぶん気がとがめて、勇気が要りそうだ。
 じつに厭らしい心理誘導だ。

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Wikileaksと統合失調症

●Wikileaksと統合失調症
 Wikileaks創設者が捕まり、サイトがダメージを受けても、ハッカーたちの手によってミラーサイトが雨後の筍のごとく群り起こって、収拾が付かない。ネットワークのコントロールがもはや効かないのだ。
 そこで、こんな風に考えた。
 つまり、もしもこれを人間の脳に置き換えてみると、要するに、一つの声で考えようとしても、次から次へと別の声が聞こえてくる、そんな状態だ。それをわれわれは、統合失調症と呼ぶ。
 電脳世界は、いわば人間の脳あるいは心理システムのひどくスケールダウンされた雛形だから、しかしもしも、このネット無秩序無収拾状態をどうにか修正できる処方、治療法、修正プログラムのようなものを作り出せたら、それは案外、医学的・脳生理学的に統合失調症の治療法のヒントになるのではないだろうか。
 逆に言えば、精神的疾患とは、脳神経細胞がみんなハッカーになって、勝手に情報をリークしまくっている、そうした状態なのではなかろうか。

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朝鮮半島有事

●朝鮮半島有事
 今日は卒論提出日。私のゼミは無事全員提出したが、それでも締め切りまであと30分となってから、ようやく駆け込みで出した人間もいて、冷や汗ものだった。
 朝鮮半島有事とか騒いでいるが、《ジョージ・ワシントン》一隻でぐうの音も出ないではないか。酔っ払ってうっかりからんだら、たちまちブロック塀に押し付けられてしまったようなものだ。海老蔵の比ではない。しかも、裏の裏のその裏くらいでは、ちゃっかり元締め同士で話が付いているはずだ。
 かくて世はなべて事も無く、祐ちゃんとかマー君とかの話題ににすっかり隠れて、コメンテーターたちがしたり顔で、あるいはしかつめらしくしゃべり、一時間いくらのギャラを貰って、それでおしまい。

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Space Battleship ヤマト覚え書き

○Space Battleship ヤマト 覚え書き

 初日の夜、観に行ってしまった。
 最終回だというのに、南大沢のシネコンプレックスでも四分ほどの入り。若いカップルもいる。後は40代のもとオタクらしきオッサンたち。「なにか」を確かめに来ているのだろう。だが、こっちもそんなものだ。
(以下ちょっとだけネタバレあり)
 観終わっての印象というのは……とくになし。「宇宙戦艦ヤマト」と「さらば宇宙戦艦ヤマト」を足して二で割った形。お約束のシーン(私には、加藤〈だったか山本だったか〉が敬礼しながら撃墜されていくシーンが鮮やか)とセリフ、それに楽屋落ちを交えた作りだ。ただし、真田の「こんなこともあろうかと」というのはない。あれは実際には話されてない、という話だから。ともかく、「みんな死んじゃうヤマト」が健在というか、構想として復活したのには驚いた。公開直前に故人となった原作者も、以て瞑すべきかもしれない。
 こう書くといかにも批判的のようだが、そうでもない。それなりによく出来ているし、役者たちも楽しんで演技している。脇役たちは、どれもいい。印象に残るのは、矢柴俊博扮する南部だ。オリジナルとはまるで違うが、現われるシーンでは、かならず見過ごされない形でフレームに入っていて、場面を取る。プログラムの経歴を見ても、芸達者な人のようだ。他のベテラン陣は、言うまでもない。緒方直人も、かれなりの島大介を演じている。宮沢賢治役といい、なんでもこなしてしまう俳優だ。ヒロインの黒木メイサという人も、誠実に演じているとは思う。
 映画全体としては、ヤマト艦内も含めて、円谷特撮(「海底軍艦」とか)や「ミカドロイド」などをいかにも連想させる、日本SFお得意の、あの陰々滅々たる雰囲気を、うまく醸し出している。これもプログラムによれば、山崎監督は「エイリアン」も好きだというし、そうした作品へのオマージュであるかもしれない(ガミラス星での空間騎兵の戦いは、「スターシップ・トゥルーパーズ」〈こちらこそがハインライン原作の元祖機動歩兵〉へのオマージュ)。あるいは、新東宝「戦艦大和」などもその一つに入るだろうか。注文をつけるなら、ヤマトの船体を、もうすこし重量感をもって動かしてほしかった。つまり、画面に微細な振動を入れたり、音響で感じさせたりという効果のことだ。マンガのコマに、「ズ・ズ・ズウ~ン」などと入っているようなものだ。
 ここまで書いて、主役のことに触れてこなかったが、まあ、もし「キムタクでなかったら」とは、誰しも思うことだろう。だがこれも別に、木村拓哉を批判しているのではない。よくやっているし、雰囲気も出している。ただ、「もしかれでなかったらどうであったろう」、と思うだけのことなのだ。いずれにせよ、名脇役たちに支えられた「かれのための映画」なのだろうから。
 最後に感じたのは、インターミッションも入れて3時間くらいの長尺にしたら、もっと作り込めたものに仕上がったのではないか、ということだった。それに、画面的には、DVDホームシアターで十分だろう。かえってその方が、迫力が出るかもしれない。
*蛇足を付け加えるならば、帰りに寄ったコンビニで店員の制服を見ているうちに、「ヤマト」の服に見えてきてしまった。

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北池袋

●北池袋
 打ち合わせの用事があり、午後から池袋に出る。
 この街も、まったく知らないというわけではないが、あらためて北口を出ると、以前よりはるかに「場末化」が進んでいるような気がする。ガードレールに腰をかけ、歩道にたたずみ、あるいは動く人たちの姿、身なり、着崩し、どれも他の盛り場では、到底見かけられないものだ。
 通りの町並みは、風俗、連れ込み、飲み屋、中華屋、書いてあり聞こえてくるのはアジア語ばかり……。まっとうなニッポン人にはちょっと……な界隈だ。
 前世紀末、西欧諸都市で起こっていたことが、いよいよ現代の東京で、他人事でなく普通の姿になってきたのだ。
 入ったビルのエレベータは、着物展示即売会のおばさんたちに占領されているし、ホテルの二階にある喫茶店は昭和50年代かという古色蒼然ぶりの内装で、おまけに「喫煙のみ」という始末。

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JR中央線201系引退

○JR中央線201系引退
 スクラップになるそうだ。もったいない。京王線電車のように、ローカル私鉄に売れないのか。あるいは、海外に輸出できないのか。
 昔読んだ記事によると、201系はものすごく上等の材料を使って造られ、また頑丈でもあるそうだ。それで、二、三十年ごときではちっともこわれないので、逆に困るらしいのだ。つまり、メンテナンスの部品供給とか、技術継承とかが、逆に不自由になるのだ。そこに、かえってコストがかかる。
 それに比べて、現在の車両は、部品などでもむしろ廉く海外調達(ドアエンジンなどはフランス製だそうだ)し、耐用年数も敢えて短く抑え、どんどん更新し、償却していく方が、かえってリサイクルの実も挙がって「もったいなくない」らしい。20世紀とは経済発想が転倒してしまったのだから、詮方ないことだ。
 テレビでは、感傷的に別れを惜しむ鉄道ファンのインタビューが流れていたが、私などから言わせれば、201系など、ぜんぜん「新しい」たぐいでしかない。
 私にとっての中央線は、90系であり、101系だ。103系高運転台となったとき、もはや興味は失った。
 それで、いまのE233系とかいう「プラモ」はどうかというと、これがなかなか気に入っています。
 小田急新4000系や、千代田線直通常磐線2000番台と同一仕様(後二者は幅狭)というのも、効率的でいいではないか。

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チリ鉱山救出

○チリ鉱山救出
 CNNはもうひっきりなしに報道している。ショウアップされていると言ってもいい。たしかに、宇宙飛行士救出並みではある。お膝元だし、勢力範囲だし、アメリカ技術者が活躍したし、ということだろう。
 それで、救助された炭鉱夫の人たちが、手を打ち振り、飛跳ね、元気一杯なのが、担架に乗せられると突然病人ですとばかりに運ばれていくのが、何だか可笑しい。
 日本の専門家たちは、みな眉をひそめて、体力・気力ともに限界を超えますとか、そんな悲観的なことばかり言っていたと記憶しているが、だいぶんメンタリティが違うようだ。かなりタフのようだ。
 この後も、トラブルなく進んでほしいものだ。

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