忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

電車の音

 今住んでいるところからは、夜になると電車の音がよく響いてくる。それで、思い出を誘われる。鉄道の記憶を記しておく。
一.祖父母の家に、泊まりがけで連れて行かれる時があった。夕方に家を出る。井の頭線で渋谷駅を出発するころは、外は真っ暗だ。神泉のトンネルを出たら、もう駒場東大から永福町までの沿線は、ただの野っ原だ。走っていく電車のすぐ前の線路だけが、暗い前照灯に照らされてぼんやりと見えるだけだ。淋しいところへ行くものだ、と思って、小さいころの私は乗っている。
二.風呂に入る。風呂場の窓の外から、宮下公園あたりを走る、山手貨物線の蒸気機関車の汽笛が聞こえてくる。「ぼおっ」というふうに聞こえる。寝床に入る。寝室の窓からは、東横百貨店の時計塔の文字盤の明かりが見える。「長い針が上まで来たら寝ようね」と言われる。まだ寝たくないのだが、仕方ない。山手貨物線の音が聞こえる。
三.家族で鶴巻温泉に来ている。日帰りで来て、部屋で夕食を食べ、帰るのだ。客室の窓からは、小田急線が走るのが見える。もう海老名あたりから先は、茶色い旧型車両しか走らない。飽きず眺めているうちに日が暮れる。暗い中、窓の明かりをちらちらさせながら、小田急の電車が走ってくる。走っていく。
 こう書いている今も、電車の音が響いてくる。中原中也の詩も、頭に浮かぶ。

拍手[0回]

PR

感懐

 何も書く気が起きないというのが正直なところ。
 生活は少し流れ始めた。しかしまだ5割7、8分というところか。
 1972年石油ショック以前には決して戻れないと思ったし、事実戻れなかったのと同様に、3.11以前の日本と暮しには、もう絶対に戻れないのだ。それでも1972年以後、日本は牛歩のごとく歩み、それは少しは調子に乗りすぎたこともあったが、それでもようやっと2011年現状まで辿り着いてきていたのに、すべてが駄目になってしまった。政治・経済・人心には毒が回り、それは体内からは流れ出ては行かないだろう。

拍手[0回]

ボルボ240に関する最終の記述

 去年の3月11日以降、本当に長い間、何も書けなかった。何の言葉も無力に感じられた。止むに止まれず twitter に手を出してもみたが、あの世界は本当にとげとげしく、敵意と悪罵とに満ちて、毒の波動が全身に回って中毒していく感じがして耐えられなくなり、削除した。

 そうしたわけで、このブログにも何を書いていいかは分からない。日常も、感懐も、原発事故と放射能汚染の恐怖の前には、すべての意味を失う。その中で、かろうじてボルボについての記事を書いておく。

 過ぐる年、3月11日の東日本大震災は、日本中の、少なくとも東日本の人々の生活を完全に破壊顛倒させたと言っていいだろう。そして福島第一原子力発電所の四つの原子炉の恐ろしい爆発とその後の放射能汚染は、その程度の軽重について諸説はあれ、私たちの外面に、また内面に今なお暗雲を立ち込めさせ、恐怖の暗い影を投げかけ続けている。
 私もまた、一切の言葉を失った。愛車について日常を記すというような気分は全く出なくなった。自らの生活自身が、大きく変わってしまった。新潟で地震が起き、静岡でも起きて、関東がすっかり包囲されてしまったように思えたあの日の深更、家族を避難させるためにボルボ240オンマニ号に乗り込み、交通量の殆ど絶えた首都高速を羽田空港まで走らせたその気分は、もう二度と味わいたくない。道のバウンドもいつもとは違い、心乱れているらしいトラックの接近を二度ほど避けつつ必死の思いで走るフロントウィンドウの前方に広がるのは、灯火も消え果て、あの美しい夜景の面影もない、まるで廃墟のような東京の都心と湾岸の光景だ。それは、まさに文明の終末を描く近未来映画の世界だった。

 その後、私は単身で東京に暮らすこととなり、オンマニ号も日常の通勤とその帰り道の買い物以外に使うことは、もうなくなった。若い時とは違い、一人でどこをどう走っても、楽しくもなんともない。乗れば乗るだけ無力感に打ちひしがれ、メンテナンスにも十分な愛情を注げなくなってきた。するとやはり覿面で、車は少しずつ痛んでくるものだ。12箇月点検は無事に済んだが、16万キロオイル交換の直後にバッテリーが昇天し、その最後の過電流で前照灯が切れ、しだいに車自身の気持ちも荒んでいくのが分かった。自らの寿命を自覚したような感じが伝わってきた。駄目押しで、今年1月の寒さのせいか、ある日リアゲートのショックのガスが抜けていた。
 そうしてついに今年の三月、私の身辺の異動に伴い、6年間乗った愛車オンマニ号を手放すことにした。四月で車検も切れるし、オート・ボルタに引き取ってもらう。
 これまでで一番気に入った車、愛した車、運転する楽しみと満足を与えてくれた車だった。ほんとうに自前で、自分のものにした車だったのだ。
 しかし、もういいだろう。世界が変わってしまったのだ。地震と原発さえなければ、と思うが、詮方ないことだ。オンマニ号も、さぞ疲れたことだろう。

 ボルボ240オンマニ号よ、ほんとうにありがとう。

 そして、オート・ボルタとガレージにも、心から感謝します。

 心に暗い影が落ちずに、次に車に乗る喜びが感じられるのは、いったい、いつの時になることだろうか。

拍手[3回]

ボルボ240コーナー・その13開設

○ボルボ240コーナー・その13開設

きぬのみち WEB SITE」の方のボルボ240コーナーに、「その13」を新たに開設・アップした。ボルボ240オンマニ号に乗り始めてから、早くも5年が経過しようとしている。全走行距離の半分は私が走り、ローンも済んで所有権も移転して、いまや名実ともに我が車だ。しかもガレージによる名人芸・職人芸の整備を受けて、ますます好調だ。それに、万が一ぶつかっても「クシャッ」とは絶対にいかないし、いやそれ以前に、無理や無茶な走りは、おのずからできない車なので、安心して安全運転に徹することができる。あおられもしないし、相手はあきらめてさっさと抜いて行ってくれるところもいい。車内は広く、取り回しはいいし、視界も良好だ。燃費も維持費も、そこそこ許容範囲だ。シティホテルだろうが、リゾートだろうが、ホームセンターだろうが、ショッピングモールだろうが、いや回転寿司だってどこだって、大手を振って横行できるクルマなのだ。

拍手[4回]

印象派覚え書き(BS朝日を観ていて)

●印象派覚え書き(BS朝日を観ていて)

kanume.jpg
 
 スーラとかピサロとかシニャックとかは、色彩を光点に分割したが、結局それが生んだのはカラーテレビで、それはハイビジョンにいたって、現実を越えて「リアル」になった。つまり、現代は、かれら印象派の理想が皮肉にも現前化・具現化した、そうした時代になったのだ。
 またドガやロートレックは、表現主義や未来派とも合して、二十世紀後半の、本の挿絵を生んだ。さらには、MANGAとなったと言ってもいいだろう。
 十九世紀末から二十世紀初頭の現代音楽が、映画のサントラになってしまったのと同様だ。
 結局、百年前のArtは、商業主義しか生まなかったのか?

拍手[1回]

BS日本・こころの歌はシュルレアリズムだ

○BS日本・こころの歌
 1月10日の話だが、夜、BS日テレにチャンネルを合わせたら、「BS日本・こころの歌」という番組をやっていた。
 出演しているのは、「フォレスタ」という音大卒業生からなる合唱グループで、グーグル検索すれば沢山説明が出てくるが、私はこのたび初めて知った。
 実力はありそうだし、声は綺麗でよく通るし、信頼も置けそうで、それはもう全然問題ないのだが、番組そのもの構成というか、作り方が何というか、私には衝撃的だった。
 まずかれらは背筋を伸ばして直立不動、しかもそれぞれ離れて独立した台になっている小ステージの上に立ち、マイクは顔の前に水平に構えて朗々と歌い上げ、そのスタイルは、近年実に珍しい。
 さらに驚くのはスタジオの舞台背景装置で、とにかく観てほしいと言うしかないが、私が思うに、かれらの姿勢、発声、演奏スタイルに、この背景、スポットが当たったり、また暗くシルエットになったりする古典的照明技法、これらがすべて相俟って、およそこの世のものとは思われない、むしろ超現実的空間がそこには現出しているように見えてしまう。
 マグリットやエルンスト、キリコなどのシュルレアリストたちにこの番組を見せたら、大いに喜ぶか、それとも「負けた!」と臍を噛むか。ともかく二十世紀前半にかれらの感性がいちはやく感得したビジョンが、おそらくそんなことは毫も考えていないであろうテレビマンによって実現どころか、大真面目に、そしてはるかに乗り越えられてしまう、ついにそんな時代に来たのだと、私は感じたのであった。
 ちょうど国立新美術館でシュルレアリズム展が開かれる、その予告のポスターを駅で目にしていたので、しかも酔余の帰宅ということもあって、余計にそう感じたのかもしれない。

拍手[15回]

賀詞交換会

○賀詞交換会
 本務校の新年賀詞交換会に出席。昼から懇親会。いわば学校の「仕事始め」だから、少しは酒も出る。いい日本酒がありそうだと遠目に期待していたら、一升瓶は一升瓶だったが、焼酎の方だった。それで日本酒は、小さな一合瓶ばかり。この頃は日本酒党は少ないのだし、どうせ余るのだから、その分の予算で、いい酒を用意しておいてくれればいいのに、などと卑しいことを考えた。
 他学部や部署の教職員とも久し振りに顔を合わせて挨拶を交わし、帰りは梅が丘駅前の洋菓子屋「アルパジョン」でケーキを買って帰宅。

拍手[0回]

正月らしさ

○正月らしさ

 箱根駅伝は母校の優勝。どきどきするので、ラジオをつけたり消したりしながら聴く。ただ雰囲気が好きなので、あまり勝負がかかるものはいやだ。節目節目の、風物詩とでもいうものだ。
 同じことで、NHKラジオ第一放送の「新春おめでた文芸」も、なくてはならない。これを聴かないと、やはり正月らしさが、いまひとつ物足りなくなるのだ。

拍手[0回]

ウィーン・フィル・ニューイヤーコンサート2011

○ウィーン・フィル・ニューイヤーコンサート2011

 やはりこれがないと、一年が始まった気がしない。今年の演出は、いつにも増して優雅だったような気がする。
e7239adc.jpg

 年が明けてほどなく、地元の神社に御札を戴きに参る。都心の有名どころの神社には較ぶべくもないが、それでも深夜に何十人もが行列を作っている。尤も、若い者は深夜にこうして大っぴらに集まれるのがそもそも楽しみなのだろう。そうして、おみくじばかりを気にする。本末転倒ではあるだろう。

 夜が明けてからは、まず朝日を浴びて、富士山を望む。新年の天気がよいのは、東京周辺のみだ。それから、家族で氏神に初詣参拝。道を挟んだ、かつてのそこの別当寺にもお参りしてから戻る。
ohaku01.jpg hi.jpg ren.jpg
 夜は、ウィーン・フィル・ニューイヤーコンサートを楽しみ、またいつもどおり、富山の銘酒「満寿泉」を開ける。今年の出来も格別。去年も書いたと思うが、日本酒というよりも「米で造ったネクトル」とでも言った感じ。
masu.jpg

拍手[0回]