コンピュータ不調 ●コンピュータ不調 (実際は翌日の記) 夜、ブログを書こうと思ったら、思いがけぬコンピュータの不調。亀のように遅くなる。警告画面がしばしば出るのが、それによると、Jワードのプラグインが悪さをしているらしい。「すべてのプログラムを見る」で調べると、たしかにそれがあったので、迷わず削除・再起動する。お蔭で、現在はほぼ回復しているが、まだトラブル発生以前の完調には至っていない節もある。 この頃のネット直結時代では、プログラム自動更新のさいに、勝手に新たなプラグインなどを付け加えてインストールしてしまい、それが自分のシステムとバッティングするようだ。Jワードのプラグインなど、導入したこともなく、またそのつもりもないので、一時はどうなることかと思った。 それで、早大エクステンションセンターのすぐ近くの、なかなか美味しい地鶏親子丼の店を紹介しようと思ったのだが、それはまた来週に回すことにする。 [0回]PR
模擬授業 ○模擬授業 今日は日曜日だが、オープンキャンパスで出校。模擬授業担当。 資料はすでに準備済みなので、あわてない。場数は踏んでいる。 会場の高校生や、その父母相手に、30分ほど語る。 まず「こんにちは」で掴み。「声が小さいですね。この学校は挨拶や礼儀をしっかりします、さあもう一度、大きな声で」これでもはや導入はOKだ。「大学の勉強というのは、まずことばの定義から始まります、今日のテーマのこのことばの語源は、それが日本語に入って……」これで本題に入る。それで最後は、「こうした勉強ができる、本学部にどうか来てください。それではこれで終わります。皆さん、ありがとうございました」で終わり。 終局のまとめを話しながら、よくこんなに都合よく起承転結をつけた言葉が流れ出てくるものだ、とわれながら呆れていた。もちろん場数ということもあるだろう。積み重ねというものはおろそかにはできないので、自分ならざる自分が勝手にしゃべっているという感じ。 「導入」「展開」「終結」教案作りの基本です。憶えている先生、誰かいるのだろうか。 私は忘れない。 [0回]
新生シーサーズ、最初のライブ ○新生シーサーズ、最初のライブ あらたに女性三人組となった島唄ユニット「シーサーズ」の最初のライブに行った。 場所は高円寺南口アーケード街にある沖縄ライブハウス、〈reef〉。大入り満員。高円寺の商店街は若者向けのファッションや雑貨の店がひどく多く、あまり生活臭というのはない感じだ。北口とか、あるいは路地とか、もっと入り込んでいかなくては分からないのかもしれない。中央線沿線は、駅ごとにこうしたディープな町が広がっていて、うらやましい。 新生シーサーズは、チームワークもよく、演奏も手馴れたもの。踊り子の振り付けもすっかり堂に入って、安心して見ていられる。お客さんたちもカチャーシーで大盛り上がりだった。 今後、シーサーズが、このシーサーズにしか表現できない、どのような新生面を開いていくか、楽しみに応援していくつもりだ。 ライブその他のお知らせは、シーサーズのホームページにあります。ブログもあります。どうかご贔屓に願います。 [0回]
高幡不動あじさい祭り ○高幡不動あじさい祭り 地元の氏神に、一日遅れのおついたち参りを済ませ、高幡不動へ、一年前に戴いたボルボ240オンマニ号の御札を返しに行く。 高幡不動の境内は、ちょうどあじさい祭りが始まったばかりで、写真を撮りに来ている人も多い。「ここの看板には、どれにもなんで〈可憐な〉山あじさいって書いてあるのかしら」と妻が怪訝な顔をするが、裏山の見学路に上がってみてその疑問は氷解する。あの大振りで、ときにはちょっとじめじめして気持ち悪いくらいに思われたりする普通のあじさいとはまるで違って、花も葉も小さく、色もとりどりに美しく、たしかに可憐という形容詞がぴったりなのだ。 参道の周辺には、土産物屋、菓子屋、それからなかなか美味い蕎麦屋など、小ぢんまりとしているが来るたびに飽きない店も並んでいる。下町には水天宮、深川不動、亀戸天神など、うらやましい町が多々あるが、ここ高幡不動も、東京西部すなわち多摩としては、なかなか捨てたものではないと思う。 今日感心したのは、フランス仕込のパティスリーの店、「Fujiu」だ。焼き菓子から生菓子まで品揃えも多く、味は上品で(私は洋菓子の水準を見るときには、たいてい〈オペラ〉というやつで試す)、なにより妙な野心が見えないところがいい。これからお遣い物にできると思った。 駅前には他にも「高幡ロール」が売り物の「マロニエ」という店もあり、手堅い需要があるのだろう。また京王の駅もモノレール駅と合体した総合店舗ビルとなって面目一新しているし、これからは多摩のひとつの要となっていくのではないかと思われる。 蛇足ながら、腐女子の聖地であることはもちろんだ。今日も新選組グッズの店に入っていっていた。 [0回]
クールビズ始動 ○クールビズ始動 実際は6月2日に書いている。 今日から衣替え。クールビズを大いに利用する。本務校でもホームページにちゃんと「6月1日より教職員は軽装で勤務します」と宣言してくれてあるので、ありがたい。私は汗かきなので、ほんとうに助かる。 例年通り、かりゆしウェアと、レイン・スプーナーのアロハシャツという、沖縄とハワイの二本立て。ただし、ビジネスコードにはしっかりと従う。すなわち、紺色や灰色のスラックスおよび革靴の上に合わせるのだ。かりゆしウェアは裾を出す。柄は織り柄など、極力おとなしいモチーフ。色も生成りとか紺など、とにかく地味にする。アロハシャツは裾を入れ、レイン・スプーナーのスプーナー・クロスの裏地使い、ボタンダウン、プルオーバーのスタイルのもののみ、デザインも「ラハイナ・セーラー」か、あるいはレイン・スプーナー社自身がフォーマルユースにもオーケーと言っているものに限る。 これで行くと、気分も爽やかですっきりするし、なにより汗のかき方がまるで違う。 よほどのことがない限り、仕事にはこれで横行するつもりだ。 一日しか着ない閣僚たちとは、大違い。 [0回]
みんなちがってみんないい ○みんなちがってみんないい 八王子市役所前、浅川河畔で開催された、「みんなちがってみんないい」のイベントに行く。出演する「かりゆし楽団」が、島唄ユニット「シーサーズ」や沖縄スナック「かんじゃーやー」以来の知り合いなので、それで知らせがあったのだ。ほんとうは竹富島のミルク役でお呼びがかかったのだが、あいにく都合がつかず、今回はパス。残念。 雨模様の中、イベントは盛んに行なわれている。サイトを検索すればすぐにわかることだが、多民族、多文化、それから健常者とチャレンジ・ピープル、みな金子みすずの童謡詩の一節「みんなちがってみんないい」をスローガンに集っている。 来ている人、屋台を出している人、当然ながらさまざまだが、どうしてもアジアン衣裳、ナチュラル、ロハス、スローライフ好みの雰囲気の人々の割合が多いように見受けられるのは、私の僻目か。「みんなちがって」の「違う」というのが、どうも「世間様と違って」いる感じに、こうしたイベントではどうしてもなりがちかもしれない(その世間とは何か、いいか悪いかの議論はここでは措く)。気を長く持って、まるで空気のように、縁日のように当たり前になれればいいのだが。 屋台はバラエティに富んでいる。「佐世保バーガー」も出店していた。昔だったら迷わずかぶりついているところだが、最近は健康をおもんぱかって魚・鶏以上は食べなくなっているので素通り。スリランカキーマカレー&ヌードルにする。小雨のそぼ降る河川敷のコンクリート階段に腰を下ろして、スリランカ瓶ビールをラッパ飲みするくらいの初歩的なワイルドさは、私も持ち合わせている。 天気はこのくらいの梅雨の走りの曇天の方が、かえってよかった。かんかん照りだと、熱中症続出だったろうから。 その後はさらに本務校の学園祭にも顔を出し、閉会式まで見て、帰宅。 [0回]
スペシフィック・カイロ・プラクティック ○スペシフィック・カイロ・プラクティック 今日は学校祭をちょっと覗いた後帰宅し、青梅にある「スペシフィック・カイロ・プラクティック」の専門療院に行く。腰痛がなかなか治らない。体が左右アンバランスに歪んでいるのだ。だが結局は、筋肉の付きどころに負担がかかった筋肉痛なのだそうだ。この療法は、体が本来記憶している正常なバランスを取り戻させる「自然治癒力」を導き出すためのものなので、信頼して、ゆっくり任せていくしかない。 今日はだいぶん時間をかけて調整してもらった。 また調子に乗ってパソコンの前に長時間いるような真似をしないようにしないと(といいつつ、こうして向かっているのだが)。 もうやめる。 [0回]
クロを送る ●クロを送る 明るい雨の中、クロを送りに、ペット霊園まで妻と行く。病院に行く以外は、家から出たこともなかった。小さな菓子缶に納まったクロに、「お家にさよならだよ」と言って出る。 ひと月前にシロを送った同じ墓苑。今日も先客がいた。線香を上げて別れを告げる。 シロを合祀している供養塔に参り、「淋しくないぞ、クロもくるからな」と言う。そこにちょうど烏が二羽来て、まるで見るようにしていたのは、あるいはシロとクロだったのか。 近くのファミレスで精進落しをして、帰宅。鳥籠も、籠を載せていた台もすっかり片付けたので、妙にがらんとしてしまった。かれら二羽の気配というのが、いかに日常になっていたかということが、あらためてわかる。 [0回]
何も無し ○何も無し 今日は学校に行って、授業をして、帰って、食事をして……と、何も変哲無し。 そうそう、ボルボ240オンマニ号に給油。リッター8キロは常に超える。Wako'sのF-1を4回投入。これでエンジン内部は、ずいぶんクリーニングされたはずだ。 マスクパニックは、マスコミ・厚生労働省必死のキャンペーンによって、だいぶん納まったのではないか。要するに、他人に迷惑を及ぼさないということが大事なのだ。自分より他人、そうした観念を芽生えさせたのならば、これも雨降って地固まるだったかもしれない。そうなって欲しいものでもある。だからその点では、欧米のように、くしゃみ・咳のさいにはティッシュで口許・鼻を押さえるというのもまた合理的だ。だがそうするとすぐ、紙の浪費による資源問題の方は……という問題が出てくる。ハンカチだと手洗い拭きと共通になるので不衛生だし、悩ましいところだ。 クロの姿と声がないのは、なんにしても淋しく哀しい。 [0回]
文鳥クロ落つ ●文鳥クロ落つ 朝起きると、一足先に起きていた妻が妙な顔をしている。「クロが死んじゃった」と言う。 鳥籠を見ると、たしかに底にクロがひっくり返っている。目をつむり、両足は上を向いて突っ張っているところから推測するに、止まり木に止まっていて急死し、そのまま落ちたものだろう。前の晩は元気に餌も食べていたので、夜の間に、まさに「ぽっくり」逝ったと考えられる。おそらく苦しまなかったことが救いか。 シロが死んだのが先月の26日、今日が5月の26日だから、ちょうどひと月。シロが連れて行ったのだろうと、すぐに思った。 シロがいなくなってからは寂しかったのか、急に甘えるようになった。籠から出すと、妻の手の中に入って動こうとせず、しまいには寝始めるほどだった。ちょっと外出しようとすると、その素振りだけでもう盛んに鳴き立てて、こちらを呼んだ。帰宅してインタホンで「ただいま」と言うと、答える妻の背後から、ピッピッという声が聞こえていた。 元々体も小ぶりで、一度レントゲンを撮ったら、片足の指に十分神経が通っていなかった。そんなこともあってか、本能的にはしこく、しばしば「こすい」ところもあって、なんでも横入りをして一番に美味しいところをさらっていくので、やや鈍重なシロなどはいつも腹を立てていたものだ。とはいえ性格は優しくて思いやりもあり、よくシロの毛づくろいなどをしてやっていた。尤もこれも、最後にはしつこいので嫌がられたが。まあ「先生に取り入るチビの優等生」といった役どころか。好奇心も人一倍旺盛だった。 しかし最期はシロ同様、やはり雄々しかった。われわれには末期の姿を見せずに、その分悲しみを増させることもせず、さっぱりとして別れを告げた。ああもしてやればよかった、こうもしてやればよかったとも思うが、それはやはり後から思うわけで、まずは大往生と言えよう。まさに「寿」命だったのだろう。 最初に雛としてわが家に来たとき、シロとぴったり体を寄せ合っていた姿を思い出す。 本名、九郎。弘法大師に高野山で案内した狩場明神の遣い犬の名にあやかった。享年8。変わらず傍にいてくれてありがとう。シロとともに、元気で天に帰れ。 [0回]