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ボジョレ・ヌーボー

○ボジョレ・ヌーボー
 ボジョレ・ヌーボー、買って飲んでしまいました。
 輸入量も半減、昔は解禁と同時に予約でほとんど売り切れというような状態だったはずだが、いまではニュータウンのそこらのスーパーでも楽に買える。
 ペットボトル入りのもあると聞いていたが、確かにあったが、それは大きいボトルで、私ひとりではまかないきれない。よって、月並みだがジョルジュ・デュブッフのドゥミ・ブーテイユにした。チーズ、クラコット、サーモンのマリネくらいで軽くやる。ほんとうはミモレットとかレッド・チェダーとか、好みのやつでやりたかったが、さすがにそこまでの輸入物は、ニュータウンではちょっとしたところにしか置いていないだろうから、そこは残念ながらあきらめた。
 味はもちろん、どうこういうべきものではない。新酒のお祝いだ。ただ今年は、日照もよく、よい出来だという。たしかに、酸味もえぐみもなく、いい口当たりで、いくらでもいけそうだ。

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奄美と沖縄をつなぐ

○奄美と沖縄をつなぐ

 午後から都心へ。
 新宿区牛込箪笥区民ホールで開かれた、「異種格闘技型トークセッションと新感覚シマウタ・コンサート 奄美と沖縄をつなぐ」という催しに行ってきた。
 奄美と沖縄、二つの地は文化的に近く、政治的に遠い。しかもその二つは歴史の中で綯い混ぜになってきた。
 そのあたりのところをまず四人のコメンテーターが自由に語り、その後のコンサートでは、同じ起源を持つ曲が、奄美で、また沖縄の各地でどのように変容していったかを、それぞれの演者が追う。
 心に残ったのは、沖縄が長調基調なのに対して、奄美は短調基調だということ。あまり奄美島唄を聴くことがないので、印象深い。
奄美と沖縄をつなぐ もうひとつは、トークの中で、藤木勇人氏が「いまや奄美に行くと沖縄らしさが残っている、沖縄は観光客向けに薄まってしまった」と述べていたことだ。それはまた同時に、沖縄と奄美との経済的発展の格差がついてしまつたということでもあるようだ。
 そんなことを、私はトークセッションの中から受け取った。そして、「沖縄はハワイ(エスニシティが多様化しすぎて全部薄まってしまった)になりつつあるのかも知れないな」というようなことを考えたのだった。
 コンサートのおしまいはカチャーシー。沖縄や奄美の出身の人たちも来ていたようで、観客席からも立ち上がって踊る年配者も多し。歌と踊りでこのように感懐を表わすすべを失ったわが身の悲哀を、こういうときはいつも感じる。

 さて打ち上げは例によって賑やかそのもの。舞台に出た人以外にも、シーサーズ関係者オールスターズがつめかけて、私もその驥尾に付した。多摩の奥地に越してからは、残念ながらいつも少々早めに暇を請うが、残った人たちはますます盛り上がったことだったろう。

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授業、風、雨、寒い

●授業、風、雨、寒い
今日は授業3コマ、雨、風、寒い。
疲れた。
晩御飯は玄米でよかったのだが、後でもの足りず、買ってあった助六寿司を食べてしまったのは悪かった。
ブログリンクの風写氏、湖水地方氏、みなここのところ、体調リアジャストメント中。他人事ではない。節食せねば。玄米、野菜、食べて魚か鳥。

ZARAのグレーのニットジャケット、着たくなった。

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新しいリンク

○新しいリンク

 新しいリンクを一つ紹介します。
月の光森の海」という、ロマンチックな名前のブログ。作者は高校以来の友人である、湖水地方氏。題名に恥じない、感性豊かな文章が綴られている。
 かれは心の優しい人間で、大学受験浪人中に旅行に行ったとき、旅館の食事が悪かったか、どういうわけか手の甲に蕁麻疹の出た私に、「なんだ、大丈夫だよ」と、その手の甲をいきなりさすってくれた。赤い蕁麻疹のある手の甲をさするなど、なかなかできることではない。それ以来、私はかれを大いに多としている。
 そんな美しい心根の人間の書くブログだから、その内容も、たいそう心に響くものになっています。 

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東京大神宮界隈

○東京大神宮界隈
 今日は授業の前の時間を見計らって、飯田橋の東京大神宮に参拝してみた。併せて付近をちょっと探訪するつもりもあった。
 東京大神宮は、明治時代に伊勢神宮を勧請したもの。とはいえ、やはり本家とはずいぶん雰囲気が違う。この頃は縁結びで知られているらしく、参拝者は若い女性ばかり。私のような仕事用スーツ姿の男は場違いな雰囲気だ。
 近くで昼食をできる場所を探した。一つは一間ほどの、夜はそのまま飲み屋になりそうな沖縄そばの店。もう一軒はタイ料理屋。三軒目はフレンチ。気が向いて、フランスレストランに入る。この近辺には在日フランス人学校があり、フランス関係の本屋などもあって、それでこうした店もあるのだろう。名前は「東京フランス食堂」。フランス語関係者など、知る人は知っているようだ。いかにもフランス好きが作ったビストロ、という感じ。ランチは、そう、私の感覚では、まあまあ、それなりというところだろうか。バゲットはぱさぱさ過ぎるし、一かけしか出さないのは流石に考える。いずれ、こうした店構えであれこれ言っても仕様のないことだ。それに夜はまた、ぐっといい雰囲気かもしれないし。

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銀座遠征

○銀座遠征
 今日は恩師の個展に顔を出しに、銀座へ遠征。
 日曜の銀座など、いまどきまともな東京人の行くところではないと思うが、最終日なので仕方ない。
 日比谷で千代田線を降りると、改札といい出口といい、ポリスマンばかり目につく。パパブッシュ来日のためかと思ったら、天皇陛下ご即位20周年記念式典とオバマ大統領来日のための特別警戒らしい。70年安保のころはさておき、銀座でこんな治安警備などあまり記憶がない。
 もうこれで少し気が重くなったので、まず気つけに、スターバックスでエスプレッソを一杯。店内には早やクリスマス・ソングが流れている。お歳暮もまだなのに、とてもそんな気分ではない。だいいち、今日は暑い。
 先生に挨拶をしてギャラリーを出た後、でもやっぱりZARAとかH&Mを覘いてしまう。案外に年配の男性が服を選んでいる。私も試着してみたら、どれも結構似合ってしまう。どちらも黒白茶基調の渋めなので、若いとかえって「らしく」なりすぎるかも。とは言っても、上から下までZARAとかいう人を見たことはない。
 さて日も落ちて、三越のクリスマスツリーのイルミネーションが美しく、ダロワイヨでテリーヌとマカロンを買って帰宅する。

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カセットの音楽

○カセットの音楽
 カセットテープに録音した音楽をパソコンに落とせる機械を手に入れたので、早速使ってみた。不慣れなままだが、何とかハードディスクに入った。これをCDに焼けば、今後もかなり保存できるだろう。
 それで、パソコンに入れたのは、今から30年も前と、22年前のカセットからのもの。カセットのブランドは、TDKとSONY。びくともしていない。音質も当時のまま。この時代の日本製品はすごい。73年ごろのAgfaのテープは、何年か前にリーダーテープの糊がダメになって巻き付き、ワカメにしてしまったことがあった。
 懐かしい音楽を聴いて、記憶が蘇る。孤独な留学生活時代、これらの音楽だけが心の支えであったときもあった。家庭教師のアルバイトをしていた日本人企業駐在員の御宅を夜遅く辞して、北京大学宿舎まで、凍てついて人影もない郊外の道を、ナップザックに入れたウォークマンのスイッチを入れ、イヤフォンから流れるメロディを聴きながら、ひたすら自転車をこいで帰るのだ。

 

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上野松坂屋

○上野松坂屋
 今夜は鍼に行ったので、その前にちょっと上野の松坂屋に寄って、地下で惣菜などを買い物。
 多摩の田舎から来ると、品数の多さと豊富さに、目移りして途方に暮れるばかり。下町がいいなと思うのは、こんなときだ。
 鍼が終わった後の夜の根津界隈が、またいい。飲み屋、小料理屋、洒落た今風の小さな欧風店。
 会社帰りでも、このあたりのマンションでも、それでもなかなかいいだろうが、もし仮に現在の経営がそれぞれ苦しくとも、このあたりで自営業を営んで、実直に一日働いた日の晩、ぶらっと歩いて顔見知りのところで一杯。
 これが町の生活ではないだろうか、と思った。

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書籍装丁

○書籍装丁
 今日は午後から神保町に出て、書籍装丁デザイナー二人の展覧会を見る。
 両人の経歴からも分かったが、スペシャリストとジェネラリストの特性というものが、それぞれのデザインからはっきりと浮き上がってくる、と私には思えた。
 もちろん、どちらがいいとか優れているとか言っているのではない。そんなことを言える訳もない。どちらも優れた業績だ。
 今日は最終日で、ギャラリートークもあり、その中で、本の装丁を見てから、組版も文章も変わる場合もあるとデザイナーが述べていたのは首肯できた。
 まさに本は、総合アートなのだということだ。
 その後のレセプションで、旨い日本酒とワインを飲んで帰宅。

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米豪比較文化論

○米豪比較文化論
 友人の新車、VWティグアンに同乗させてもらう。大きくて背も高いのに、見通しはよく、同じような形の国産車ならフロントピラーの死角が大きくて困るのに、さすがVWで、そんなこともない。ハンドルの取り回しもよさそうだ。
 かれは豪州人で、面白い文化論を聞いた。同じような移民の国で、市民革命後の西欧共通理念、「自由、平等、博愛」を持つ豪州と米国だが、米国が「自由」を重んじるのに比して、豪州はむしろ「平等」を尊重するという。
 その理由は、北米大陸は肥沃で個人的成功の余地が大いにあったのに対して、豪州大陸の条件は過酷で水も少なく、人々は分け合い、助け合わねばならなかったからだ、というのだ。だから豪州では個人的チップの習慣もないし、またたとえ何事かに失敗しても、それは努力の結果だと考えてむしろ尊敬するのだという。
 それで私も考えて言った。私たち日本人の考える米国とは、やはり正直者ワシントン、努力家フランクリン、理想家リンカーンの国だが、そうしたかつての米国は、豪州などともむしろ通じたモラルもあったのではないか。今みたいにディーリングルームでキー一つを押しただけでプール三つの豪邸に住めるような米国が、むしろおかしいのではないか、と。
 するとかれも同意して、やはり60年代から70年代のどこかで、決定的に違うスイッチが入ってしまったのではないか、と言った。
 そのあたりで今日は時間切れとなってしまったが、なかなか実のある話だったと思う。

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