忠七めし ○忠七めし 今日は午後から、妻を連れ、鶴ヶ島のカインズホームへ、日用品その他買出しに行く。 その後気が向いて、小川町の老舗割烹旅館、「双葉」に「忠七めし」を食べに行く。 ここは幕末の英傑の一人、山岡鉄舟の知行地で、その関係から山岡鉄舟が双葉の主に作らせた名物茶飯が、今に伝わっている。 私は若い頃から知っているが、妻は初めてで、非常に喜んだので私も面目が立った。 昔はずいぶん古い建物で、ぎしぎし、みしみし言って、仲居さんが忙しくばたばたと立ち働いてお膳を運んだものだが、いまやその建物は文化財となって予約なしには入れない。隣の近代的な方で戴くことになる。それでも綺麗な庭園は見下ろせるし、またもう閉店近かったので他に客もおらず、静かにゆっくりと食事を楽しめた。古い宿場町だが、夜はもうひっそり。また和紙の里でもある。 「これで清河八郎と山岡鉄舟を制覇した」とか妻は豪語していたが、山深い武州にも、訪ねたいところはいろいろある。 [0回]PR
汗かき授業 ○汗かき授業 今日は3コマ授業。 けっこう夏日だったらしく、教室内も暑かった。100人余の出席だから、しかたない。 講義を終えたら、スーツの上着の襟のところは、洗濯したように汗でぐっしょりぬれてしまった。 研究室に吊るしておいて後の授業(ゼミなので少し楽)はシャツとネクタイだけで失礼したのだが、夜帰る時に、まだ乾いていなかった。 冬用のスーツなど、着る機会があるだろうか。 [0回]
長い会議 ●長い会議 10時から16時まで会議。休み1時間。へとへと。 しかし今日は着ている服がなかなか洒落ていた。黒地ピンストライプのスーツ。ノーネクタイでいける白地黒縦縞のドレスシャツ。赤革の靴。全部ORIHICA。ちょっと英語でもしゃべったし。 よくやったではないか。 [0回]
小田急4000形電車目撃 ○小田急4000形電車目撃 今日の授業の出だしでは、「鬼軍曹」にならなくて済んで、内心ほっとした。それでもまあ、ハインラインの『宇宙の戦士』でいうならば、ズイム軍曹ではなくて、デュボワ先生くらいのところだ。 通勤途中、新百合ヶ丘の駅で、小田急4000形電車目撃。いよいよ多摩急行運用が始まったようだ。JR中央線新型のそっくりコピーで、ただし裾を絞っていない狭幅形だと聞いているが、横から見た限り、3000形とあまり変らない、小田急標準型だ。 そのうち乗ることもあるだろうと、楽しみにしている。 他方では郵政民営化、諸式値上がりと、アメリカはほんとうに自国以外の人間を日干しにしようと動き出したのではないかと恐ろしく思っている。 [0回]
本格的授業開始 ○本格的授業開始 いよいよ本格的に秋の学期が始まった。 夜は鍼にも行った。おだやかに、ゆっくりとこなしていきたい。 とはいえ、こちらも「大和男児(やまとおのこ)」ではあるので、「撃ちてし止まむ」くらいのつもりも、ないわけではない。 火花のような一瞬一瞬の喜びと失意、賢治で言うならばまさに「かげとひかりのひとくさりずつ」の場所に、授業というのはある。 「プレゼンテーション」とは、若干の違いがあるわけだ。 寝る前(いまだが)、You TubeでLet It Beを何バージョンか連続で視聴する。涙が出かける。自分の「かげとひかり」を感じる。 [0回]
東京国立博物館見学 ○東京国立博物館見学 今日はゼミの学生を引率して、東京国立博物館見学。それぞれ得るものはあったようだ。 私は久し振りにガンダーラ仏や古朝鮮金銅仏などを見て、イメージ力を充電した。 とはいえどうも昔とは違うようなのは、自分の思いを投影、というか自分の思いたいところに無理やりに引き寄せて眺める、ということをしなくなったような気もする。 あれはそういうものなのだな、という温かい距離感、とでもいうか。 見学の後は、上野の韓国料理店で懇親会。見学の感想を一人ひとり述べさせて、楽しく話をして、解散。 [0回]
小沢さんの夢 ○小沢さんの夢 思い出したので書いておく。今朝の夢。 民主党の小沢代表とその秘書の女性、私の友人、そして私の四人で、どこかの家からタクシーに乗る。私は友人との関係で同席していただけで、帰るついでに乗せてもらったという状況のよう。 途中で大きな病院に寄る。大きく豪華で、金色やオレンジ色を使った、外資系ホテルのような感じ。私もなりゆきでついて行く。病院のロビー兼フロント、というか待合室は4階にあり、1階の車寄せから降りて、なぜか通用口の階段を登っていく。 階段はしだいにメインの階段になるが、皆どういうわけか、かなりの早足で駆け上がる。私も手すりにつかまって、足を前に勢いよく振り出しながら登る。私の後ろに小沢さん。たしか心臓をやっているのに、こんな階段を使って大丈夫なのか、と思う。また私だけどうもぼんやり上っているようで、後ろの小沢さんにぶつかりそうになり、怒らせてしまいやしないかな、と心配になった。 やがて3階の踊り場あたりから階段の手すりは真ん中に移り、私は階段右側の壁に付いている手すりを頼りに登るが、小沢さんはその真ん中の手すりの左側を上り、しだいに私を追い越すが、手すりはだんだん左の壁に寄って行く。つまり小沢さんの上っている側は狭くなって塞がれてしまう。 小沢さんは狭くなったところで驚いたようにそっくりかえって止まり、振り向いて私を見下ろして口を膨らませて息を吐き、苦笑いして手すりをくぐると階段を上りきって、ロビーに入る。 ロビーは1階から吹き抜けになっていて、下を見下ろすテラスのようになったところにソファとテーブルが並んでおり、そのあたりもまるでホテル同様。小沢さんと秘書と友人はそのソファに腰を下ろし、忙しく白い封筒を取り出して文書の受け渡しなど始める。私は壁際に立ってその光景を見ながら、私はたまたま立会っただけだと思っている。 というところで、電話の音で起こされた。 夢の中の小沢さんは、優しい感じの人だった。 [0回]
ショウリョウバッタ ○ショウリョウバッタ 今日も学校で会議。その後パソコン調整。かなりいけそうな雰囲気になってきた。キーボードもあまり音がせず、タッチも気に入っている。貧乏性なのか、フィルコだのミツミだのは、かえって使いにくい。自宅で使っているのも、サンワサプライの安物。 帰りの駅、いつものベンチで電車を待っていたら、ヒラヒラと緑色の虫が飛んでくる。へとへとになって足もと近くに着地したのを見たら、近頃たいへん珍しい、ショウリョウバッタ。頭の尖った奴だ。そろそろシーズン終わりだろう。今夜の風は涼しかった。 秋田・岩手で豪雨被害。稲もリンゴもやられた。賢治ならどうしただろう。また九州では酷暑、沖縄では暴風。MJO現象とやら。いずれ地球の波動が上がっているのだが、何も悪いこともしていない個々の人間のことを考えるとコメントを失う。 [0回]
休日出勤 休日出勤で仕事をこなす。その後は、入れ替えになった研究室のパソコンを調整。vistaは初めて。ノートパソコンも、はるか昔のMS-DOS4時代以来。マウスは付属で、キーボードは自分で別に買った。これで実用上はほぼ問題ないだろう。あとはこれを持ち運びできるかどうか。またパワーポイントを使えるようになるか。これで多少、授業などのやり方も変ってくるのではないかとも思っている。 夜は駅で電車を待つ。いつも坐るベンチの夜風は実に気持ちいいのだ。妻と待ち合わせ、お好み焼きを食べて帰宅。 [0回]
夢の中の病院の話 ○夢の中の病院の話 これは15日土曜日に見た夢の話。夜、会合で酒を飲んで帰ってきて、ブログが書けなかった。 地図(北海道のある港、埋立地の地形、だが「至品川」と記してありおかしい)を見ていると、その地図がいつの間にか現実になって、寂れた廃屋の暗い入口にスリッパか靴が並べられているのを見ながら歩いたりして、そこからよく分からないのだが、どうやら、どこか山の方にある病院に来ている。 近代的な西洋医学の病院でもあるのだが、一方ではどうも修験か密教系のカウンセリングとヒーリングもやってくれる、代替医療も兼ねたサナトリウム的療養病院でもあるようで、その方でも有名らしく、どうやら私はそちらに申し込んでやって来たのだ(ということになっている)。 空気は澄んで気持ちよい感じ。ごくありきたりの待合室のベンチに座っていると、案外早く「○○さん、××さん、……さん」と私の名が最後に呼ばれる。三人で壁のところのドアから別室に入る。そこはまた廊下の控室になっていて、壁には医療啓発ポスターとともに「○○寺護摩供養」などといった類の観光・イベント的ポスターがさまざま貼り付けてある。中に「白文鳥は桃の使い」と書いてあったものが印象に残る。 「……で……で、よく手を洗って消毒してくださいね」などと看護婦に言われるが、早口なのでよく理解できない。見ると、反対側の壁の下、床のところには白い石鹸、その隣にはミューズ石鹸が何個も重ねて積んで置いてあり、水か湯を張った洗面器(小さな金盥)もある。ここで手を洗うのか? それとも石鹸を食べろと言われたのか? どうもそのあたり、手順が不明だ。それをしないとカウンセリングにも入れないらしい。 私より前に呼ばれた二人の女性は、もう何度も受けているらしく、一人は手馴れた様子で手を洗ったりしているし、もう一人はなにか銀細工のようなパワーペンダントを手でしきりといじって手を洗った女性に話しかけている。そのうち二人とも、廊下の先を曲がって次の部屋に入って行ってしまった。 いつの間にか待合室の方から妻が私のいる廊下の控室に入ってきている。浮かない顔をしている。気の進まないときの顔だ。不安になり、「受けるのが怖くなってしまったよ、やめて帰ろうか」と言って妻を抱きかかえる。でもどうしようか、まだ迷っている。 そこでいきなり玄関のチャイムが鳴って、急激に現実に引き戻される。 ついにその病院の施療は受けず仕舞い。 そのタイミングで目を覚まさせられたのも、なにかの知らせだろう。 ただそれ以来、若干体調に変化がある。この何ヶ月、大きかった耳鳴りが、少し治まっているのだ。 もし施療を受けていたら、どうなっていただろう。どんな内容だったのだろう。 またこの病院に行けるだろうか。 [0回]