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里山炭焼見学

○里山炭焼見学
 新居沿線にある里山で土曜日から炭焼をするということを知り、本日、妻と見学に出かけた。
 宮澤賢治も炭焼が一生の夢で、そんなところからもぜひ見ておきたかった。
 都合で夕方となり、もう炭焼小屋には関係者のおじさんたちしかいなかったが、親切に挨拶をしてくれた。「これから閉じるところだ」と言いながら、炭焼窯の焚き口に煉瓦を積み、練った土を塗りながら塞いでいく。「一晩中監視するのですか」と聞くと、「向こうの作業小屋にいながら、一時間に一遍見回りに来る、最終的には300度まで上がる」と教えてくれた。
 この里山地域には、他にも水田や畑を新たに開いてあって、友の会の人々がもっぱら維持管理に当たっているようだ。作業小屋では年配の女性が二人ほど夕餉の支度をしていたので、これから腹ごしらえをして、炭焼の寝ずの番に備えるのだろうか。規模は小さいが、ちょっと「房総の村」のコンセプトを連想させた。
 私が見るに、畑や炭焼小屋にいる男性たちは、いずれも会社リタイヤ組の新住民と踏んだ。ここはニュータウン開発の中でもわずかに里山の景観を残すべく計画された場所で、そうした関係から、新住民もこの地の環境をたいそう愛して、また誇りにもしているという話なのだ。
 みないかにも楽しくて仕方がないといった風情で焚き火を囲み、かつ作業に当たっている。これから一晩中、話に花を咲かせながら酒盛りとくれば、それは楽しいだろうなどと、不謹慎なことも考えたりした。
 

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地元の神社と寺院に参詣

○地元の神社と寺院に参詣
 転居した地のことをまだよく知らないので、今日は地元の鎮守と寺とを訪ねがてら散歩してみた。
 神社は小さなもの。神主も常駐していないが社務所はあり、本殿の中に御輿が置いてある。由緒を記した石碑を読むと、二つの村社を統合したとある。これは別に明治のときではなく、戦後の地域開発に伴うものだったようだ。
 それでも、この小さな神社が大晦日は参拝者で行列になるという話も、地域ブログで読んだこともある。旧住民のみならず新住民のよすがにもなっているということだろう。今日は花見を楽しんでいる家族連れもいた。
 この神社とちょうど谷を挟んで相対している寺も、鎌倉期からは存在しているらしく、またもうちょっと地域のくくりを広げると、縄文以来の遺跡も引き続いて存在しており、新しく転居したこの地も、以前の土地と同じく古いコンテキストを持っている。
 寺そのものはすっかり宅地開発された中にあるのだが、庫裏などは関東山地のどこの山寺か、と思うような風情とたたずまいを残していて、非常に面白い。またそこからさらに丘の上に登ると、反対側の谷底は恐ろしく深くて、開発される以前のこの辺り一帯の里山はすべてこんなアルカディアであったのではないかと思わせるパースペクティブだ。結構汗もかくハイキングルートでもある。
 私は神社と寺の両方に参詣し、「このたびこの地に住む者です、住まわせていただきありがとうございます」と神仏に挨拶をしてきた。

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ブログ復活

○ブログ復活
 やっとブログを復活できた。
 実は引越しをしていて、とうていブログにまで手が回らなかった。
 3月18日に転居して、今日、ようやくパソコンを生き返らせた。
 とはいえ、いまだ本調子とはいえない。
 サーバーも変っているし、その調整もしなければならない。
 家の中はダンボールだらけだし、家具もまだ完備されてはいない。
 諸変更手続も重なっている。
 一方では、大学のオリエンテーションはすでに開始されて、そちらに時間を取られている。
 すっかり落ち着くまでは、まだ当分かかりそうだ。
 ボルボ整備の記事もまったく落ちてしまった。
 おいおいに記していくつもりだ。

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ブログ再開

○ブログ再開
 やっとブログを再開する。読んでくれる人がはたしているのやら。
 目の回るような内外の仕事に追われ、とうていブログに手が回らなかった。採点だけでも労力を費やした。手帳のマス目が殆ど埋まっていた。
 
 そこで穏やかな話題から。
 NHK大河「篤姫」。
 ガトリングガンを撃ちまくっていた河合継之介が、いまや嶋津のお殿様だ。

 ヒロシ様:ボルボ240オンマニ号、ガレージ入りしたままです。長引きそうです。セルモータの不調のようです。戻り次第、ブログにアップします。

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小田急新ロマンスカーMSE目撃

○小田急新ロマンスカーMSE目撃
 今日は強風。今年始まって一番にきつい天気だと思う。低気圧に弱い私としては、すごろくで言えば「一回休み」の気分。小田急ロマンスカー01
 1月10日のことを書く。学校の帰り、午後4時半頃、新百合ヶ丘駅で急行乗り換えのため下車したら、向こうの多摩線のホームに変な色のロマンスカーが止まっていた。すぐに東京メトロ乗入れ用の新型だろうと気づく。
 試運転のようで、技術員が車内でこまごまと働いている。写真を撮ろうと思い、携帯を出すと、他にも何人か撮っている人間がいた。若い女性もいるのには感慨を催す。やがて急行が来たので乗り込むと、向こうも発車したらしく、カタンカタンと、意外に貧弱な音を立てて去っていった。「(ハリボテでなく)一応は動くのだな」と、非常に皮肉に考える。
 後で調べたら、このロマンスカーはMSE60000型といって、レンゾ・ピアノの弟子の日本トップの建築デザイナーのデザインだそうだ。
 だが私には、ドイツの新幹線を思わせる、同じデザイナーによるVSE50000型ロマンスカーの方が、はるかにいいように思える。フェルメール・ブルーだか知らないが何だか青蛇のようで、あのセンスのないEXEロマンスカーのさらに趣味の悪い焼き直しにしか見えない。
 このロマンスカーは千代田線のみならず有楽町線にも乗り入れて、新木場まで走るそうだが、つまりディズニーランド往復客を取り込もうという算段だろう。さらにはつくばエクスプレスとの連携も考えてのことだろう。
 凄い時代になったものだ。東京の地下鉄が、いよいよパリRER化してきたことを、改めて感じる。
小田急ロマンスカー02

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卒論口頭試問

●卒論口頭試問
 今日、明日と、卒業論文口頭試問。
 みんな、卒論は提出したら終わりだと思っている。
 ザルのように、内容がそっくり頭からこぼれ落ちている。
 なまじワードなどで作成させるから、このようなことになる。
 やはり私などがやった昔のように、万年筆、手書き、400字原稿用紙、文具店で製本、という方がずっとよさそうだ。
 少なくとも忘れないだろう。
 口頭試問の日ぐらいまでは。

 夜は風邪気味なので、インドカレー。

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高崎だるま市

○高崎だるま市
 6日夜から7日早朝にかけて、高崎だるま市に行ってきた。これも毎年の恒例で、行かないと何となく物足りない。
 夜10時半くらいに出発、関越道で一路高崎まで。ボルボ240オンマニ号は好調、交通量も少なく、ぬあわキロで飛ばすも、びくともしない。関越は道が広いので、高速走行を試すにはもってこいなのだ。
 高崎インターで降り、国道18号線に入ってしばらく走ると、碓氷川の対岸に、少林山達磨寺の参道の灯りが煌々と見える。これもいつもどおり小学校校庭の駐車場に車を止めて、国道横の野良道を歩き、橋を渡って参道に入る。例年ほど寒くないが、人出もそれほど多くないようにも感じる。まだ午前0時過ぎだから、夜通しやるだるま市としては、まだたけなわの筈なのだ。帰省して久し振りに仲間と会う、在の若者たちの数も少ない。あるいは、次の日がもう仕事始めの出勤なので、そうした事情も手伝ってのことかもしれない。
 それでも大きなだるまの入った袋を提げた参詣者と何人もすれ違い、境内の急な階段を上る。鐘が撞かれ、雑踏の中、だるまに目を入れる御祈祷の声も聞こえる。

*向かって左から昇り、右から降ります。昔は野良道に出ていた易者が、出世したのか、境内に座っています。
高崎だるま市少林山達磨寺境内







*向かって右側、だるまの開眼御祈祷をやっています。お坊さんたちは今夜は徹夜です。
達磨寺本堂前







*本堂周囲に並ぶ、だるまを売る店です。
だるま市風景







*本堂のお守り・御札授与所です。大きなだるまが見えています。
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 私と妻は境内のだるま店をひやかしながら一周し、本堂階段下の寺務所でお香とお守りを戴いて、反対側の参道を大回りで下る。やはり人が少ないような気がする。午前2時くらいまでは開けていたはずの露店が、次々と畳んでいる。昼間にだいぶん稼いでしまったのだろうか。
 満天の星を眺め、清新な空気を吸って、駐車場に戻る。ここもすでに管理の人たちが帰って、焚火も消されて真っ暗で、残る車の数も少ない。
 帰りは一般国道をひた走り、午前4時に帰宅したのだった。

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炭火焼肉

○炭火焼肉
 妻が風邪気味だというので、夕食は栄養をつけに繰り出す。
 炭火焼肉がいいだろうと、ほんとうに久し振りに焼肉の店に入る。
 私も特別に戒を破り(大げさ)、ほんの三切れほどカルビを口にする。
 十分に温まって帰宅。
 明日からは少し暖かくなるらしいが、ともかく気候の変化に伴う風邪には注意が必要だ。

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初詣

○初詣
 午前10時半、妻とボルボ240オンマニ号で出発。吉例で、茨城県日立市入四間町にある御岩神社へ初詣。あるときドライブの途次にふと心を引かれて立ち寄って以来、毎年のこととなった。
 都内を脱出するまでに1時間。後は快調に飛ばし、日立中央インターで降りて山道を登り、トンネルを抜け、峠を降りると、そこが御岩神社。ここも年々参詣者が増え、明らかに豊かになりつつある。巫女さんの数は増え、おみくじや絵馬も作り始めた。若い神主さんの努力の賜物だ。旧幕時代は神仏混淆の修験で栄えた歴史を持つところだし、復興するのはいいことだ。われわれは例年通りお札を戴く。

御岩神社参道







入四間、賀毘礼の山に射す陽光







御岩神社由緒資料









 さらに車を飛ばし、袋田~大子~馬頭と山道を走って、那須湯津上の光丸山法輪寺に辿り着く。ここは八溝山の天台修験の寺で、巨大な天狗面で有名。ここでもいつものように火防守りをいただく。
 後は高速の帰省ラッシュを避け、ひたすら一般国道を南下して、柏のジャスコで初売り風景を楽しみ食事をして、帰宅。

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謹賀新年

○謹賀新年

 明けましておめでとうございます。旧年中の御厚誼に感謝し、また本年も御訪問くださらんことを感謝いたします。

 ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートを視聴しながら作成している。毎年着物姿の日本婦人の姿を客席に見かけ、うらやましく思う。今年のダンスはサッカーに題材をとった趣向。アマリ感心しない。

 大晦日は恒例で、妻を連れて夕方より浅草寺に出かける。6時になると本堂の門が閉められてしまうので、それまでにお参りを済ませてしまう。同じことを考えている人が年々多くなると見え、たいへんな賑わいだ。外国人が多いことも目立つ。本堂階段のところではしゃいで写真を撮ったりしている。日本人がノートル・ダーム大聖堂で同じことをしていたら、どう思われるだろうか。しかしそれを許すところが日本の懐の深さだとも思う。
2007年大晦日浅草寺仲見世







2007年大晦日浅草寺山門







 伝法院通りにある大和屋で佃煮を買い(私は鮒の甘露煮が好み)、お参りも無事済ませ、この一年、来る一年に感謝する。
2007年大晦日浅草寺伝法院通り







 その後はこれも吉例で、柴又葛飾帝釈天まで足を伸ばす。ここはいまだひっそりとして、訪れる人もまばら、露天商が場所取りをしているくらいだ。参道の店もあまり開いておらず、狙っていたべったら漬を買えなかったのは残念。おでんと草だんごで体を温め、銀座と表参道の大晦日風景を、ボルボ240オンマニ号の車窓から眺めて帰宅する。
2007年大晦日葛飾柴又帝釈天鐘楼







 夜はお笑いテレビを観て過ごす。国民低脳化の根元だと考えていたが、最近、暗いニュースよりはるかにマシだと思えるようになって来た。若手芸人の中には洗練された人々も多いし、もしも笑いで世界平和をリードできるのだったら、それも日本の尊い使命かもしれない。

 新年が明けて、地元の代々木八幡宮に初詣。ここも年々参詣者が増えて、山手通りの参道上り口のところから長蛇の列。拝殿まで2時間もかかったのは前代未聞。このあたりにもここ数年来マンションが林立し、人口が増えたこともあるのかもしれない。参道の両側には、近くの小学校の生徒の書初めが並ぶ。外国籍の子供の名前も多く、国際化の実例を見る。正殿の左側には、お札の臨時売り場も今年は開設されていて驚く。お神楽も例年はすぐに終わるのに、今年は入れ替わり立ち代り、休むことなく演奏していた。後継者作りもここの町会では順調なのだろう。都市化が進みつつ伝統も保持されるとは、過疎の地域との格差も、こんなところに現われていそうだ。
 さすがに冷え込みがきつく寒くなり、古いお札を返し、新しいお札をいただいて帰宅。

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