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○地元の神社と寺院に参詣
転居した地のことをまだよく知らないので、今日は地元の鎮守と寺とを訪ねがてら散歩してみた。
神社は小さなもの。神主も常駐していないが社務所はあり、本殿の中に御輿が置いてある。由緒を記した石碑を読むと、二つの村社を統合したとある。これは別に明治のときではなく、戦後の地域開発に伴うものだったようだ。
それでも、この小さな神社が大晦日は参拝者で行列になるという話も、地域ブログで読んだこともある。旧住民のみならず新住民のよすがにもなっているということだろう。今日は花見を楽しんでいる家族連れもいた。
この神社とちょうど谷を挟んで相対している寺も、鎌倉期からは存在しているらしく、またもうちょっと地域のくくりを広げると、縄文以来の遺跡も引き続いて存在しており、新しく転居したこの地も、以前の土地と同じく古いコンテキストを持っている。
寺そのものはすっかり宅地開発された中にあるのだが、庫裏などは関東山地のどこの山寺か、と思うような風情とたたずまいを残していて、非常に面白い。またそこからさらに丘の上に登ると、反対側の谷底は恐ろしく深くて、開発される以前のこの辺り一帯の里山はすべてこんなアルカディアであったのではないかと思わせるパースペクティブだ。結構汗もかくハイキングルートでもある。
私は神社と寺の両方に参詣し、「このたびこの地に住む者です、住まわせていただきありがとうございます」と神仏に挨拶をしてきた。
○謹賀新年
明けましておめでとうございます。旧年中の御厚誼に感謝し、また本年も御訪問くださらんことを感謝いたします。
ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートを視聴しながら作成している。毎年着物姿の日本婦人の姿を客席に見かけ、うらやましく思う。今年のダンスはサッカーに題材をとった趣向。アマリ感心しない。
大晦日は恒例で、妻を連れて夕方より浅草寺に出かける。6時になると本堂の門が閉められてしまうので、それまでにお参りを済ませてしまう。同じことを考えている人が年々多くなると見え、たいへんな賑わいだ。外国人が多いことも目立つ。本堂階段のところではしゃいで写真を撮ったりしている。日本人がノートル・ダーム大聖堂で同じことをしていたら、どう思われるだろうか。しかしそれを許すところが日本の懐の深さだとも思う。
伝法院通りにある大和屋で佃煮を買い(私は鮒の甘露煮が好み)、お参りも無事済ませ、この一年、来る一年に感謝する。
その後はこれも吉例で、柴又葛飾帝釈天まで足を伸ばす。ここはいまだひっそりとして、訪れる人もまばら、露天商が場所取りをしているくらいだ。参道の店もあまり開いておらず、狙っていたべったら漬を買えなかったのは残念。おでんと草だんごで体を温め、銀座と表参道の大晦日風景を、ボルボ240オンマニ号の車窓から眺めて帰宅する。
夜はお笑いテレビを観て過ごす。国民低脳化の根元だと考えていたが、最近、暗いニュースよりはるかにマシだと思えるようになって来た。若手芸人の中には洗練された人々も多いし、もしも笑いで世界平和をリードできるのだったら、それも日本の尊い使命かもしれない。
新年が明けて、地元の代々木八幡宮に初詣。ここも年々参詣者が増えて、山手通りの参道上り口のところから長蛇の列。拝殿まで2時間もかかったのは前代未聞。このあたりにもここ数年来マンションが林立し、人口が増えたこともあるのかもしれない。参道の両側には、近くの小学校の生徒の書初めが並ぶ。外国籍の子供の名前も多く、国際化の実例を見る。正殿の左側には、お札の臨時売り場も今年は開設されていて驚く。お神楽も例年はすぐに終わるのに、今年は入れ替わり立ち代り、休むことなく演奏していた。後継者作りもここの町会では順調なのだろう。都市化が進みつつ伝統も保持されるとは、過疎の地域との格差も、こんなところに現われていそうだ。
さすがに冷え込みがきつく寒くなり、古いお札を返し、新しいお札をいただいて帰宅。