学生の質問 ○学生の質問 授業の後、学生が質問にやってきて(これはこの学校では珍しいことなのだ)、 「昔の人は、今と同じような、国民とか国とかと考えていたのでしょうか」と言う。 「それは、自分は……国の人間だ、とか、となりに……国がある、などとは考えてはいただろうが、パスポートだの、国籍だの、納税だの、国民国家になってからのような感覚とは違うだろうね、半分くらいずれて半分くらい重なっているだろうね。僕らは今の知識で過去のことを当てはめ分類しているに過ぎないからね」と答えた。 するとまた、 「世界史で得た知識なども、危ないですね」と言うので、 「危ないこともある。でも知識は必要だ。『知識は使うもので、知識に使われてはいけない』ということだろうね、君はたいへん良い質問をしてくれた」と答えた。 いい質問に答えているうちに、「いい答え」になっていくわけで、ダイアログが久し振りにできた。 [0回]PR
副都心線 ○副都心線 体調がほぼ回復した。今日から授業復帰。しかし無理せず、ストレスを溜めず、いたわりながらやっていきたい。 また今日から衣替えをした。例年通り、レイン・スプーナーのアロハ「ラハイナ・セーラー」のボタンダウン・プルオーバースタイル。下はごく普通のスラックス。アロハの裾はスラックスの下に入れ、黒革靴を履く。これで十分、ビジネス・ドレス・コードに合致する。尤も、それはホノルルのダウンタウンでの話だ、と言われれば身も蓋もない。 あとは沖縄かりゆしウェアもあるので、アロハと使い分けながら、暑い季節の授業を、汗をかかずに楽しんで乗り切りたいものだ。 授業の帰りは、東京メトロ副都心線に乗ってみた。結論から言うと、私の通勤には使い物にならない。まず、学校から駅まで遠すぎる。しかも駅が深く、通路も長い。乗り換えも同じ問題点で、結構時間がかかる。他路線への接続も、いまひとつのようだ。 今日はおまけに、東武線と西武線からの乗り入れ列車をラッシュ時にうまく捌きこなせずに混乱が生じて、それが午後遅くにまで影響を及ぼしていたようだった。 こうした初期故障は開業時にはつきものだが、それにしても早く安定させないと、結局は山手線に顧客が戻ってしまうだろう。たぶん、トータルで考えると、時間も手間も、そんなに変らないだろうと思われるから。 車両そのものは、私鉄標準型のさらに進化形で快適だが、まあ他の私鉄にこのコンセプトが波及することはないだろうとも思った。例によってメトロの贅沢主義。 [0回]
夢の話 ○夢の話 起きる直前の夢。 なにか幕末大河ドラマの主人公になっている。 ある高名な陶芸家のところに、子供たちをたくさん引き連れて乗り込む。 子供たちが手びねりで作った稚拙なぐい飲み(赤膚焼きのような感じ)を積み重ねながら、「なんで子供というのは、こんなものを作るのかねえ」と陶芸家がひとりごちる。 「どうもあんたにうっかり乗せられてしまったようだ」と言いつつ私を睨みながらも、眼は笑っている。スランプだったのが、何かをつかんだようだ。 「(仕掛けたのは)私じゃありませんよ」と言って、私が向こうを手で指し示すと、身をかがめて作業をしていた副主人公(中村勘太郎のような俳優)が顔を上げて、はにかんだように笑うところがアップになる。 ……本当は、もっと長いストーリーがあったという気がする。それこそ大河ドラマの枠である50分、そっくり観ていた感じ。たしか陶芸家がいろいろ箴言を吐くのだが、すっかり忘れた。きっとそれこそが、スピリチュアリズムでいうところのハイヤーセルフとか、ガイドとか、守護霊とかのメッセージなのだろうけれど。 [0回]
ウルトラマンとウルトラセブン ○ウルトラマンとウルトラセブン ウルトラマンとウルトラセブンの食玩おまけフィギュア揃いました。 もちろんウルトラマンは「初代」です(もともと初代もなにもなかった)。 研究室には、ハヤタ隊員がスプーンをかざしているヤツもあります。 マニアックでしょう。 というより、そんなフィギュアを作る方がマニアックなのかも知れません。 ところが、なぜスプーンなのかを、ちゃんと知って解っている学生がいましたね。 [0回]
映画「東京オリンピック」 ○映画「東京オリンピック」 「ヒストリー・チャンネル」で「東京オリンピック」をやっていたので,最後まで観てしまった。私は同時代人として(といっても小学2年)、聖火点灯場面(感動してすぐさま絵に描いた)、ジェット機が描く上空の五輪(しかも予行演習の白煙のもの)、円谷とヒートリーのデッドヒートなど、生々しく記憶にある。何かのクーポンを貯めて送ってようやく手に入ったチケットが、戸田ボート会場の入場券で、当時としては「これはとても遠くて行けない」ということで諦めて、誰かに譲ったことも覚えている。 映画そのものはたいへん象徴的かつ表現主義的手法で、古典的。長谷川町子の「いじわるばあさん」に、映画を観た後「よかった、感動したわあ」と話していたいじわるばあさんが、入った喫茶店では打って変わってくさすので、不審に思った友達が尋ねると、いじわるばあさんは「後ろの席に市川昆監督がいるのよ」と耳打ちする、というものがあったが、よくできているとは思う。3時間飽きなかったから。競歩の選手がゴールのテープをくしゃくしゃとつかみ捨てる場面など、小学校のとき映画館に引率されて見せられた当時から、強く印象に残っている。それにしても、当時の東京は、なんと空気が濁っていたものかと思う。70年代に公害問題がクローズアップされる前で、誰もなんとも思わなかったのかもしれない。そう考えると、今度の北京オリンピックのことを笑えない。そして今回のオリンピックに感動した中国の子供たちが、何十年か後に、見違えた北京で、当時のことを懐かしく思い出すのだろう。 いま改めて観て思うのは、当時の人々の慎ましやかさだ。たとえアメリカ選手であっても、現在のように感情をあらわに飛び跳ねたり、こぶしを振り上げたりしない。国旗を纏ってグラウンドを走る姿など、想像だにできない。勝者はむしろ沈んだ顔をして、そこに敗者が歩み寄り、笑顔でねぎらう。「オレが一番、すべてオレの力、勝利がすべて」という奢った態度ではなくて、「皆努力は同じ、私はなにか大いなるはたらきに勝たせてもらった」という謙虚さだ。ナントカ社製の水着でなくては記録がどうとか、そういう時代ではなかったということだろう。 ものを経済でしか考えないこのとげとげしい現在、たとえ東京でオリンピックが再び開かれたとしても、それは「太陽の季節」都知事が見るような古い夢の再現とは、とうていならないのではないかなどとも考えた。 今日の夢:宇宙戦艦ヤマトに乗り組んでいる。ただしクルーは例のキャラクターではなくて、まったく知らない人たち。どちらかというと、中学生同士のような感じ。制服もずっと地味な白い作業服風。 敵艦隊(これもガミラスではないようだ)が、10隻の単縦陣で迫ってくる。私はあるクルーに中学生のようにはしゃぎながら纏いつき、思いついたばかりのアイデアを話す。「先頭の2隻に対してまずショックカノン砲を撃ち、同時に5隻目と6隻目に魚雷を発射する、そうして戦列を混乱させながら突破するんだ」「よし、そうしよう」 あっさりとこのアイデアが受け入れられ、作戦に入る。コントロールデスクの前に行くと、大きなプラズマパネルがあり、年かさのオペレータが起動している最中。どうやらヤマト自身が、いまスリープ状態だったようなのだ。画面中央には「74、73……」と小さな数字が減って行っている。「(立ち上がるまで)1分以上かかるからね」と、オペレータが笑みを含みながら言う。 [0回]
体調崩す ●体調崩す 少々体を痛めた。 先週土曜日、朝から学園祭担当、夕方から新宿へ出て高校クラス会、深更の帰宅、日曜日、朝から学園祭担当、夕方から渋谷へ出て中学クラス会、晩方の帰宅、月曜日授業3コマ、夕方会食。さすがに今振り返ると無謀。 水曜の夜から調子を崩し、木曜日はとても登校できないと諦め、医者に行った。持病が再発ということで、5日間の安静が必要と診断書を書いてくれて、薬を処方される。 この病気にかかったことがきっかけで、節制するようになっていた。牛肉豚肉は殆ど口にせず、家では玄米・野菜中心だ。とはいえこのところ、少々取り組みが甘くなっていたようだ。「未病」状態になっていたとも思われる。鍼の先生がちらとそんなことを言っていた覚えもある。 それでも、ここまで体に気を配るようになっていたからこそ、ひどいことにもならず、今回も「再発」程度で済んだのかもしれない。大難を小難に、そして「無理するな、休め、大義名分を与えてやるから」ということか。 そう考えれば、この病気は、体に無理をかけるとそのつど警告してくれるような、いわばありがたいものだと思って感謝したい。それに西洋医学も、東洋医学も、ともに体のことを考えてくれるものなので、ありがたくお受けする。セントの先生なら分かってくださるだろう。 月曜日には出るつもりです。 [0回]
記念日 ○記念日 結婚記念日。授業終了後、妻と落ち合い、渋谷栄通り、東急本店向かいの「VIRON」へ。われわれは予約していったが、7時開店とともに、すぐに満席。月曜日だというのに。味も量も満足。最後はエスプレッソとカルバドスを同時に味わう「キャフェ・キャルヴァ」で締める。 久し振りに渋谷ハチ公前を歩いたが、「ブレードランナー」そのままの光景に改めて驚く。ビル壁面を埋める大画面広告ディスプレイ、多民族多人種入り混じる街路。欠けているのは空飛ぶスピナー自動車のみ。 「ブレードランナー」でのシド・ミード近未来都市デザインは、たとえば歌舞伎町あたりをアイデアの源泉として、しかしむしろ「そうあってほしくない」ネガティブ・イメージをもって構想されたものであったはずだが、実はそれがたいそう魅力的に映って、現実の都市がさらにそれを模倣してしまい、さらに乗り越えてしまったと言えるかもしれない。 こうなったら、もうハリソン・フォードばりに「フォーゥ」と注文しようか。 「二つで十分ですよ、分かってくださいよ」と言われるかも。 [0回]
野外イベント見学 ○野外イベント見学 雨も上がって、昼からフリーイベントの見学に行った。 場所は八王子市庁舎前、浅川河川敷広場、「多文化・環境共生型野外フリーイベント 第1回〈みんなちがってみんないい〉」というものだ。東京都・八王子市・八王子市教育委員会も後援している。 会場に着くと、「みんなちがってみんないい」(これは金子みすずの詩から取ったフレーズだという)の垂れ幕も随所にかかり、世界各地の物産ショップ、エスニックフードの店、NGO、ワークショップなどが長細く広い河川敷にテント張りで並び、子供から大人まで結構活気ある「マイフェスト(五月祭)」の雰囲気。河原のステージではちょうどアイヌ民族の人たちが歌と踊りを披露していた。 私にささやかながら関係するのは、シーサーズつながりで、沖縄音楽のステージ。エイサー集団「新虹(アラヌージ)」と楽団「かりゆし楽団」が、歌とサンシン、エイサーやカチャーシで賑やかに盛り上げる。私も輪の中に加わって久し振りに拙く踊った。 出店していた埼玉小川町の地ビール工房「麦雑穀工房マイクロブルワリー」の旨い生ビールを飲み、スパイスの効いたチキン腿肉をかじり、雨上がりの浅川の速い流れを眺めて、リフレッシュした一日となった。http://homepage3.nifty.com/minnatigau/ [0回]
ラ・フォル・ジュルネ ○ラ・フォル・ジュルネ 学校は振り替え休日。ある用事で有楽町に出たら、東京国際フォーラムで、ものすごい規模のフェスタをやっている。「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」というので、もともとヨーロッパで始まったもの。今年はシューベルト特集で、世界から音楽家が集う。企業メセナも綺羅、星の如く。かつて住んでいた札幌にも夏になるとPMFという音楽フェスティバルがあるが、このあたりで残念ながら規模の差がつくわけだ。 フォーラム中庭にはハイネケンビールの緑色の幕が到る所にかかり、一見ゲルマン風の五月祭の雰囲気だが、出ているワゴン車屋台が焼きそばだのインドカレーだのというのはただの地域振興イベント並みの艶消しで、あの「ビア・ウンテ・バイン」の楽しさを知っている身としては、何とかならんものかと思った。 [0回]
ボリュームあるトンカツ屋 ○ボリュームあるトンカツ屋 学校が会議日で早く引けて、帰宅後、妻を連れて買い物と食事に出る。 京王線沿線のあるニュータウンに旨いトンカツ屋があるという情報を妻があるサイトから得ていたので、そこをたずねる。疲労回復のため、薬食いと観念する。豚に詫びながら食べよう。 駅前の商店街から通り一つ入ったところに、件の店が小ぢんまりと営業していた。店構え、店内の様子から見るに、70年代後半くらいに開店してそのままといった感じ。いまどき懐かしい。 入ってすぐに周りの客の皿を見回した妻が、恐れをなす。料理が半端ではないボリュームなのだ。ご飯などは碗の上に高々と盛り上がり、ただでさえ大きな飯碗の優に二杯分はある。しかもそれをさらに「大盛り」にして、かき氷の如き景観のものを悠然と食べている客の姿には驚き入る。 壁を見ると、近傍にある某大学ラグビー部の色紙などが貼ってあり、つまりはそうした胃袋の大きい、食欲をひたすら満たしたい若い衆が、もっぱら愛用する店なのだと合点がいく。 私が注文したロースかつ定食も、拳骨を二個併せたくらいの大きさで、切り身一切れが、ちょうど気取った店の一人前ほどもあるように見えた。妻の頼んだ生姜焼き定食も、そうとうの分量。 とはいえ味も決して悪いわけではなく、大いに満腹し、かつ栄養も補給して店を出たのだった。 [0回]