[PR]
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
●国粋会、サッポロホールディングス
表は安倍晋三、裏は山口組、ビジネスはハゲタカファンド。
これで、ローマ帝国アメリカ王朝による支配の完成だ。
ナンプラー(ニョクマム)が好きで、とくに刺身にはよく使う。
魚醤だから魚に合うのは当然だ。
だが今日、ビールを飲みながら刺身を食べていて判ったのは、ナンプラーは白身の魚にはよく合うが、赤身にはいまひとつだということだった。マグロ、ハマチといった類にはいけない。螺のような貝はもっとだめで、むしろ生臭さが強調されてしまう。
これらは、やはり醤油と山葵に限るようだ。
ここのところ、妻に吉田戦車『伝染るんです』を勧められて読んだ。
それで芋のつるが引っ張られるように、久し振りに水木しげるの鬼太郎、桑田次郎のエイトマンを続けざまに読んだ。それに併せて、つげ義春、はるき悦巳を思い出した。
つげ義春が水木のアシスタントとしてバックやキャラクターを描いていたことは周知だし、はるき悦巳はつげ義春に多大な影響を受けたこともまた知られている。現に、チエがテツを驚かすために髪のポッチリを取ってぱらりと垂らしたコマがあるが、その顔は鬼太郎に生き写しだ。さらに吉田戦車も、あるエッセイ(未読)で、つげ義春について書いているようだ。それにだいたい、水木しげるのアナーキーさ(とくに初期)は、吉田戦車の破天荒ぶりをはるかに上回っている。かっぱ、かわうそなど、土俗・民俗に着目するところも共通だ。
また、墓場の鬼太郎時代の有馬汎博士らマッド・サイエンティストのキャラクターのタッチは、桑田描くところのエイトマンの製造者である谷博士を髣髴させる。意外なようだが、水木・桑田両者の絵柄は、非常に近いものを持っているのだ。
それ以外にも、この人たちの絵の精密さと構図も含めた美しさ、とくにペン運びの艶はすばらしい。墓場の鬼太郎の初期のコマのいくつかなどは、ロートレックが束になってもかなわないだろう(匹敵し、あるいは上回れるのは、当然ながら江戸の浮世絵師のみだ)。
こういうことを考えてくると、水木・桑田~つげ~はるき~吉田という、トータル芸術表現の系譜が私の脳裏に浮かび上がった。それに浦沢直樹(NHKで昨日取り上げていた)を加えれば、なお完全だろう。
そしてもっと考えれば、西欧20世紀美術というのは、結局「マンガ」「コミック」を予告、あるいは準備するためだけの存在でしかなかったのではないか、という極論すら思い浮かんだのだった。
蛇足ながら、手塚治虫、杉浦茂、みなもと太郎(たぶん鳥山明も加えうる)という流れは、むしろ「堂々たる正統派西洋美術の系譜」に属するものだろう。
●そのまんま東当選
わが国有権者は、青島・ノック・田中の教訓をまったく生かすつもりは無いらしい(マスコミはマスコミで、この三人が、あたかも官僚や議会という「抵抗勢力」にしてやられたかのようなストーリーをもう捏造している)。
だがこれは裏を返せば、役人に対する怒りとルサンチマンがいかに根深く強いかということのあらわれだ。エリートたちは、よほど襟を正して引き締めてかかる必要がある。