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○神棚
神棚というものを見て思う。
神棚は、まさに「神社の杜」の小型版だ。ただ拝殿に形を似せて作っているというだけではない。質も機能も、そのものだ。
榊があって、ひもろぎを成す。お札は依代だ。これは氷河チベットの白石(アルプ)、モンゴルのオボ、道教の石敢当、中国の社稷である「土」に相当する。だから「土」に神的作用を表わす「示(ネ)」がつけば、それは神社の「社」となる。また、「土」にはいずれ木が生えるが、それは「青山」となり、死者に新たなエネルギーを与え甦らせるための「墓」ともなる。中国、沖縄、韓国の墓がこれだ。そして、榊に見られるように、「土」に「木」がつけば、それは神社の森である「杜」となるのだ。
神棚を置くことにより、それぞれの家に、「杜」ができ、「社(やしろ)」ができる。「神社」ができるのだ。
チベットの自然宗教、道教、風水、日本の神道などは、このようにしてつながっているのだろう。
○「スピード・レーサー」
映画「スピード・レーサー」を観てきた。昭和40年代アニメ「マッハGoGoGo」のハリウッドSFX実写版という以上の予備知識を持たないで、懐かしさと期待を持って観に行った。封切日に映画館に行くなどとは、私としては破天荒。それだけ気が動いたということだろう。
感想としては、人情、根性、浪花節、アクション、何から何までてんこ盛りのジェットコースター映画で、眼が回るよう。つまりウォシャウスキー兄弟は、最高で本格派のB級映画を作ろうとしたわけだ〈きっと「トロン」にも影響を受けたに違いない〉。
「ネタバレ」になるので詳しいことは書かないが、まず導入部、幼年時代の主人公がレースの空想にふけるシーンで流れる音楽が、当時のテーマソングの旋律。ここでもう「ああここまで「本歌」を使っているんだ」と、それだけで込み上げてくるものがある(後で調べたら、このテーマソングはアメリカでも英語に吹きかえられて、そのまま使われていた)。
キャラクターも殆どそのまま。父親役のジョン・グッドマン(ベストキャスティングだろう)が、元レスリング・チャンプとして悪漢を頭上でぐるぐる振り回し投げつける場面は、同じく吉田竜夫が描き、TVドラマとして実写化された「チャンピオン太」の必殺技を思い出させて、もしかしてそんなものまで取り入れているのかと驚きもし、また感心しもした。
ストーリーについて言えば、作劇上、「ここで(余韻を残して)終わっておいていい」という場面で終局させずに、あえて最後まで突き進む。しかも終結部分もあまりに予定調和的で、「次へのエネルギーを生み出す破綻」という点からは物足りないところもある。
しかし監督兄弟は、「そんなことは百も承知の上で、わざとこういう風に作りましたよ。どうですか、所詮これはおとぎ話なんですからね、〈それで市が栄えた〉をやったわけですよ」と批評者に挑戦しているのだろう。実にやることがあざとい。
エンド・ロールではテーマ・ミュージックが流れるが、「マッハGo!」と日本語の歌詞から入り、そこに英語の歌詞がかぶさって、しだいにさまざまに変奏されていき、最後の部分 "Go, Speed Racer...'" に再び「マッハゴーゴー……」と懐かしい日本語の歌が重なっていく見事なオマージュとなっていて、ここでも危く涙滂沱となりかけた〈結局、映画の本筋とは違うところで感動しているわけだ〉。
とうとう、マッハ号のステアリングを模したキーホルダーを、ボルボ240オンマニ号のキーにつけてしまうという「おまけ」までついた、楽しい映画だった。
*蛇足1:ニュータウンのシネコンで観たのだが、土曜日の午後、初日というのにぱらぱらの入り。近頃はこんなものなのか?
*蛇足2:最近の映画館では、本編上映前に、くどいほど「マナー遵守」のお知らせを流す。そんなに低下したのか?
*蛇足3:同日「インディ・ジョーンズ4」も観たが、結局スピルバーグは「アメリカン・グラフィティ」に帰りたかったのだな、そしてそれと「未知との遭遇」を合体させたのだなという感じ。