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上野夏まつり

○上野夏蓮のきれいな季節ですまつり
 今年も恒例で、上野観光連盟主催、上野夏まつり「弁天堂大道芸」に出演している
シーサーズを応援しに行く。大学の試験期間と重なり、気ぜわしくて、今年はミルクとしての出演は無し。2日目の、1回目のステージだけ覘く。
 少し早めに着き、楽屋(といっても大黒天前のビニール張り小屋掛け)のシーサーズに挨拶をすると、いきなり「投げ銭集めをやって」と頼まれる。踊り子のマタハリボーイズが休場で、今日はメンバーが少ないのだ。引き受けておいて、しばらく参道をぶらつく。空腹しのぎにローストターキーを食いちぎり、生ビールを飲んでいるうちに開演時間となる。
 今日は比較的一般向けに、ポピュラー沖縄歌謡を中心に、「落選した人の歌」と冗談を言いながら「ハイサイおじさん」を歌い、東京音頭までサービスする。
 最後の踊りの後、笊を持って投げ銭を集める。外人も入れてくれる。親子連れで来ていた小さな女の子が入れてくれたので、お礼を言う。
 帰りは、不忍池畔の骨董市を冷かした後、天神下の「つる瀬」で和菓子を買って、家に戻る。
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靴が鳴る

○靴が鳴る
 もう二週間も前の話になるが、TBSラジオで、「靴が鳴る」を聴いて、車を運転中なのに、涙が出て止まらなくなって困った。
 番組そのものは「小沢昭一の小沢昭一的こころ」で、「お手つないで 野道をゆけば」のところを「夜道を」と覚えていたディレクターの笑い話に終わるのだが、それとは別に、この歌詞の「晴れたみ空に 靴が鳴る」の情景が心に思い浮かんで、胸が詰まるのを抑えられなくなったのだ。
 これは、清水かつら作詩・弘田龍太郎作曲の戦前の名童謡で、アメリカ名子役シャーリー・テンプルも吹き込んでいるというから驚く。
 ネットで調べれば、戦前の童謡集の挿絵を取り込んだ写真などもアップされている。すばらしい絵だ。
 そんなのを見ているうちに、こんないい歌で育った子どもたちを戦争に駆出し、大勢殺した日本軍部に、怒りが込み上げたのだった。

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ボルボ240コーナー更新と免許書き換え

○ボルボ240コーナー更新と免許書き換え
 暑いし、学期末で気ぜわしく、まるでブログを書く気にならない。
 それで、ホームページの方のボルボ240コーナーその12を、ブログに書かずに更新した。トリップメーター不動という、ボルボに付き物の定番トラブルがついに起こったので、その顛末を記した。
 それ以外には、免許証を更新した。新式のIC内蔵のものになったらしい。本籍その他、データを見たい場合には、暗証番号を二種類も打ち込まねば出てこないし、その端末機もなんだか不体裁な特注風のものだ。暗証番号を考えて設定するだけでも大手間だ。こんなところにも警察庁だかの予算が大いに投ぜられているに決まっている。どうせ仕分けをするなら、このあたりの利権構造にも切り込めばいいではないか。ところがここには、きっと手を出せないのだ。
 それで一方では、昔からの代書屋さんたちは、気の毒に、みな仕事を失う羽目となっているのだ。
 私が若い時代に、更新の時期ごとにずっとお世話になっていたのは、鮫洲試験場の側にあったとある事務所で、元ネイビーだったらしく、自分の乗っていたフネの写真が何枚も飾ってあった。そんな頃からもう健康にいい水を使っていて、私のように真夏に切り替えの時期が来る人間には、書類作成を待つ間の、その冷たい水の一杯がありがたかった。更新の時期になると通知の葉書も寄こしてくれたし、ここでお金を遣うことには、何の腹も立たなかったものだ。
 古きよき時代の暑い夏、立会川付近の思い出として記しておく。

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入谷朝顔まつり

○入谷朝顔2010入谷朝顔まつりまつり
 今年も吉例で、入谷の朝顔まつりを覗いて来た。まず鬼子母神様にお参りし、境内で一鉢買い求める。
 こういう、それなりに粋な風情があるから、下町は悪くない。

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田原町仏具街

○田原町仏具街
 お盆が近いからというわけではないが、いささか必要があって、田原町の仏壇店に行く。
 仏壇・仏具・神棚・神具、それぞれの店に、さまざまな種類が並んでいる。
 自分の家の用事ももちろんあるが、「こんな種類もあるのか、ほう、こういう風にするのか……」と見ていくと面白くて、つい頬をゆるめている自分に、「嬉しそうに仏壇を眺める莫迦もいないだろう」と、はっとする。
 因果な教師根性かもしれない。

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二つの記事に涙

●二つの記事に涙
 会議とか研修とか、午前中から夕方まで続く。疲れ休めのため、某コーヒー店に入り、新聞を読んでいて、涙が止まらなくなりそうになった。
 ひとつは、自殺した韓流スターの記事。父の介護に当たり、「お父さんの痛みを引き受けられなくて済みません」と泣いて死んだそうだ。こんなことば、現代の誰が吐けるだろう。儒教道徳、恩愛の極みではないか。
 もうひとつは、沖縄うるま市での、米軍機墜落死者追悼集会のニュース。事故で大やけどを負って、一時は回復して大学まで進学したが、結局その後遺症で亡くなった人の名が、小学校の記念碑にようやく刻まれて、そこに母が詣でたというもの。さらに悲しいのは、この子は母親が基地で働いていたころの米兵の落し胤であったということだ。因果の輪ではないか。
 帰りの車のラジオで流れていた政見放送も、もうちょっと肉声で語ってほしいものだ。

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「アサヒゴールド復刻版」

○「アサヒゴールド復刻版」
 サッカーは負けたが、まあいいではないか。日本と日本人にある程度誇りを取り戻させたし、帰国は凱旋と言っていいのではないか。なにより、次への目標も楽しみもできた。それに、今回このチームは、日本サッカーの質を、これ以後変えるきっかけとなったろう。ひとつのスタイルを作ったという、画期となったろう。

 帰り道、スーパーに買い物に寄ったら、「限定復刻 日本初の缶ビール アサヒゴールド復刻版」というのが並んでいた。生来、こうしたものにあまり抵抗力がないので、つい手を出して一本だけ買う。説明書きによれば、昭和33年に日本で初めて発売された缶ビールを、残っている資料に基づいて再現したそうだ。おそらく、缶のデザインも往時のものを復元しているのだろう。
 それで肝心の味だが、現在のビールや、外国ビールの味に慣れたところからすると、「これでもビールなの?」というくらいに穏やかだ。なんのクセもなく、刺激もなく、後味もなく、ゆっくりと静かに酔い心地が廻ってくる。私の祖父母や両親の世代の人は、こんなビールを飲んでいたのかと思う。というかむしろ、「これをビールと思って飲んでいたのか」という感じだ。
 これなら、サザエさんのお父さんが叱られている光景ではないが、いくらでもいけてしまうだろう。
 このところ、アサヒビールは、この「アサヒゴールド」復刻版とか、「ザ・マイスター」とか、巻き返しに出ているようだ。後者はたしかに美味いと思う。コマーシャルは嫌味だが。

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東京湾学会

○東京湾学会
 昨日6月26日は、千葉で
東京湾学会の総会があり、出席してきた。
 早朝に家を出て、午前10時前に千葉駅に着く。東口に降りて、ドトールだかマックだか、とにかくコーヒーと軽食でも摂れそうなところを探すも、一軒もないことにしばし呆然。このあたりのビジネスマンとか、いったいどうするのか。道路がだだっ広いのみでまとまりなく、一寸名古屋を思い浮かべた。
 講演は鋸山に関すること。東京湾学会は、千葉県関係の人々が中心となっているので、どうしても話題はそちらになる。
 終了後の懇親会が楽しい。私にとっては、一年ぶりの再会なので。そこで聞いたが、千葉県は亜熱帯気候と温帯気候のちょうど境目にあたるそうだ。つまり常緑広葉樹(照葉樹)と落葉広葉樹の境目で、それが鋸山の南北なのだそうだ。だから海流もそうで、千葉の川には鮭が上るという。このラインが、実はヒマラヤまで連なるというのも壮大だ。
 そこで私も思い出したが、昔、成田の房総の村(「新選組!」のロケ地でもある)に行ったとき、下総の民家は純和風、上総の民家もいちおう日本風だが、安房の民家はどうみてもポリネシアンだった。それを懇親会の席で話したら、面白がられた。さほど広くない領域に、奥山から里山・里海まであり、生態学的多様性という面から見ると、千葉はまさにミニ日本であり、ミニミニミニ・ユーラシアかもしれない。
 懇親会も終わり、私は千葉駅前に一泊の予定だったので、なんとなく物足りなくて、もう一杯を求めて散策。魚のうまそうな店を一軒見つけて入る。土曜日の夜だというのに私一人。だが味は合格点だった。お通しの「しったか」という、ツブに似た小さな巻貝も淡白上品な味でよかった。
 あたりの盛り場をうろついてみたが、いまいち街区としてのまとまりがなく、駐車場の虫食いなども点在して間のびした印象で、賑やかに人通りなどはあるものの、どことなく地元の顔役など仕切っていそうな雰囲気もあって、東京からわずか何十分というところなのに、まさに典型的な地方都市の様相だ。
 ホテルに戻り、NHKBSで、柳家花緑・小さんのバーチャル二人会などを観て、就寝。
 翌日、つまり今日も、早く起床して、雨模様でもあるし、早々に帰京、午前中に帰宅。

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サッカー、決勝トーナメント進出

○サッカー、決勝トーナメント進出
 守ったから勝った。
 守れたから勝てた。
 守れることがわかったので、怖くなくなった。
 それで攻めることができるようになった。
 そのことが、相手の乱れを誘ったのだ。
 そして得点できた。

 どうやら、大会になってからの日本チームは、漫然とは動いていないようだ。ボールへの集散も分厚い。自信がつくと、ここまで変わるものだという、目に見える実例だ。
 大化けとまでは言えないかもしれないが、これまでとは相当違った姿となったように、素人目にも思える。

 何よりいいのは、得点した後、大げさに騒ぎ回らなかったことだ。皆で仲良く「やった!」と喜び合っている姿は慎ましやかでいい。
 大昔、メキシコオリンピックで、「世界の四強だ」と新聞に大見出しが出たときの、選手たちが手を取り合っている写真を思い出した。

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ボルボ240、15万キロ突破

○ボルボ240、15万キロ突破
 ボルボ240オンマニ号は、今日で走行距離15万キロを突破した。
 といっても、私が乗り始めたのは8万8千キロからだが、それでも4年間で6万キロ強走ったことになる。記録簿を見ても、一人のオーナーとしては、私が最も多い距離を乗っている。メンテナンスも加えたことを鑑みて、私の愛用車であると言ってもいいだろう。もちろん、前の方たちが大切にしてくれていたので、とくにエンジンはこれだけ快調なのだから、ありがたいことだ。
 今日は朝早くから、家族で佐野のプレミアム・アウトレットまで往復してきた。行きは尾根幹線道路~稲城大橋~中央道~首都高速~東北道、帰りは北関東道~関越道~圏央道というルート。熊野町のあたりの渋滞を除けば、あとは快適なドライブだった。エンジン音は低く、十分すぎるほどのトルク感で、余力を残して走る。ミシュランのタイヤもOKで、直進性も、曲がるときの操舵性もステアリングに気持ちよくついてくる。エアコンの効き具合もいい。
 とにかく、20年前のクルマとしてまともに見かけるのは、だいたいボルボ240とスバル・レガシーくらいのものだ。ということは、レガシーがいかによくできた国産車であったかという証左だが、父がスバル1000f以来のスバリストであったので、私も実はレオーネ1600クーペ以来、レオーネとレガシーを乗り継いできたのだ。
 トヨタの軍門に下ってしまった今のレガシーは、あの「ジェット機からスバルまで」の個性を失ったようにどうしても思えてしまうが、ともかく20年前のボルボ240やレガシーは、もはや車格など超越した立ち位置を持っていて、その点でも走らせていて気持ちいい。
 高速道路でオンマニ号に抜かれた車が、急に目が覚めたようにスピードを上げて再び追い越していくのも、面白い。それはちょうど、「あんなポンコツに」みたいな感じなのだ。
 だが生き残っているボルボ240は、たいていがすごいチューニングを加えられているはずだ。それに比べれば、オンマニ号などおとなしいものだろう。

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