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1989年6月4日

●1989年6月4日
 第2次天安門事件から、もう19年経ったのだ。来年は20年となる。振り返る動きが出るだろうか。
 私は当時、北京の某大学留学生としてその渦中に居り、大使館の仕立てた避難バスに乗って北京空港にたどり着き、日本から飛んできた避難救援機によって明け方の羽田空港に帰還した人間の一人だ。
 当時の私たちが夢見た中国の民主化は、経済方面のみの過熱の中で、あらぬ方角へと飛び去ってしまった。
 そして現在、私の勤める学校で学ぶ中国人留学生は、天安門事件のことなど生まれたばかりで何も記憶も認識もないし、まともにバブル中国の中で育って、江沢民の愛国教育すらどこへやらの、中国版新若者たちだ。

 今朝の夢:銀行で札束(さまざまな国の紙幣が混ざっている)を受け取るが、財布が見当たらず、探している。探しながら「こんなことでは日本人は駄目になる」と、繰り返し独り言をつぶやく。誰かが私の口を借りてしゃべっているという感じ。

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悪天候

●悪天候
 今日も悪天候だった。
 晴天といえるものはたまに一日ずつしかなく、あとはたいてい寒気に悩まされた5月だった。もう梅雨に入り、あるいは6月も似たようなものかもしれない。「サムサノナツ」となるのだろうか。「いわゆる温暖化」の帳尻は、いったいどのようなものなのか。
 折しもスイス・アルプス山中で、全周27キロにも及ぶ「LHCハドロン衝突型大加速器」が、欧州原子核研究機関CERNの手により稼動しつつあると聞く。
 要するにこれは電磁波をいじくって、もう一つの宇宙を作ろうとしているわけだろう。物質も、地球も、我々の体も、精神(霊)もみな電磁波なのだから、その密度が影響を受けて揺らいでしまわないとはいえないだろう。素人としては、悪天候に対する愚痴を、これに投影してしまいたくもなるところだ。
 しかもこれが、人間と地球にとって最も聖なる場所のひとつであるアルプス(白山)の地下であえて行なわれるというあたりが意味深ではある。
 「オカルト」というのは「隠れたる」ということだが、この量子加速実験だって地下で、しかも眼には見えないものを扱うのだから、立派なオカルトだ。
 近代科学は錬金術の歴とした子孫だということを、もう一度思い返したほうがいい。

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ボルボ240、ナンバー変更

○ボルボ240、ナンバー変更
 転居したので、ボルボ240オンマニ号もナンバー変更が必要になった。
 ただしそのためには、なかなか面倒な手順を踏む必要がある。
 まず管轄の警察署へ行って、車庫証明を取らねばならない。不思議だが、旧ナンバーでまず車庫証明を貰うことになる。そのためにいくつか書類をそろえて申請してから、都合一週間ほどかかる。もちろん手数料もだ。
 警察署へ出向くと、証明書そのものは5分ほどで発行してくれて、「これで警察は終わりです、あとは陸運局へ行ってください」と言われる。だからやはり旧ナンバーでの手続きで構わないのだ。
 さてこの車庫証明を携えて、今度はアポイントを取っておいたオート・ボルタの社長と、陸運局で落ち合う。ここには行政書士の事務所もあり、手馴れた社長のアシストもあって、手続きはスムースに進む。ナンバープレートの取り外しや封印取り付けなど、初めて目の当たりにして、大いに勉強になった。
 別の用事に向かう社長と別れ、真新しいナンバープレートを付けたボルボ240オンマニ号に乗って、陸運局を出る。その足で、今度はETC車載器の再セットアップのために、自宅に近いカーショップへと向かう。ここでも申し込んで10分ほどで作業は終了。あとはマイレージサービス事務局に変更の届け出を送るだけとなった。
 後は吉例により、高幡不動で御祓いを受け、お札を頂いて、参道の「開運そば」で精進落としをして帰宅。
 車に関する懸案が、一挙に片付いた。
 
 

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記念日

○記念日
 結婚記念日。授業終了後、妻と落ち合い、渋谷栄通り、東急本店向かいの「VIRON」へ。われわれは予約していったが、7時開店とともに、すぐに満席。月曜日だというのに。味も量も満足。最後はエスプレッソとカルバドスを同時に味わう「キャフェ・キャルヴァ」で締める。
 久し振りに渋谷ハチ公前を歩いたが、「ブレードランナー」そのままの光景に改めて驚く。ビル壁面を埋める大画面広告ディスプレイ、多民族多人種入り混じる街路。欠けているのは空飛ぶスピナー自動車のみ。
 「ブレードランナー」でのシド・ミード近未来都市デザインは、たとえば歌舞伎町あたりをアイデアの源泉として、しかしむしろ「そうあってほしくない」ネガティブ・イメージをもって構想されたものであったはずだが、実はそれがたいそう魅力的に映って、現実の都市がさらにそれを模倣してしまい、さらに乗り越えてしまったと言えるかもしれない。
 こうなったら、もうハリソン・フォードばりに「フォーゥ」と注文しようか。
「二つで十分ですよ、分かってくださいよ」と言われるかも。

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野外イベント見学

○野外イベント見学
 雨も上がって、昼からフリーイベントの見学に行った。
 場所は八王子市庁舎前、浅川河川敷広場、「多文化・環境共生型野外フリーイベント 第1回〈みんなちがってみんないい〉」というものだ。東京都・八王子市・八王子市教育委員会も後援している。
 会場に着くと、「みんなちがってみんないい」(これは金子みすずの詩から取ったフレーズだという)の垂れ幕も随所にかかり、世界各地の物産ショップ、エスニックフードの店、NGO、ワークショップなどが長細く広い河川敷にテント張りで並び、子供から大人まで結構活気ある「マイフェスト(五月祭)」の雰囲気。河原のステージではちょうどアイヌ民族の人たちが歌と踊りを披露していた。
 私にささやかながら関係するのは、シーサーズつながりで、沖縄音楽のステージ。エイサー集団「新虹(アラヌージ)」と楽団「かりゆし楽団」が、歌とサンシン、エイサーやカチャーシで賑やかに盛り上げる。私も輪の中に加わって久し振りに拙く踊った。
 出店していた埼玉小川町の地ビール工房「麦雑穀工房マイクロブルワリー」の旨い生ビールを飲み、スパイスの効いたチキン腿肉をかじり、雨上がりの浅川の速い流れを眺めて、リフレッシュした一日となった。
http://homepage3.nifty.com/minnatigau/

 

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ボルボ240コーナー更新

○ボルボ240コーナー更新
 メインサイトの方の「ボルボ240 その10 愛用記録」を、ほんとうに久々に更新した。転居疲れと学校の忙しさに取り紛れて、帰宅すると何もできなくて、ブログ更新にまで手が回らない。世の中にはどんな状況下でも律儀に更新しているサイトもあるというのに、恥ずかしいかぎり。
 ともかく、ボルボ240オンマニ号の12ヶ月定期点検と、車検整備の記録をつけた。これらは整備簿に基いている。
 車検後のインプレッションは、ともかくエンジン音が静かになり、加速が今まで以上に利くようになったということだ。それも最近の車の形容に見られるような「どっかん」型ではなく、どこまでもトルクが伸びてついていく、するするとしたスムーズな加速感だ。気がつくとやわキロ、といった感じだ。
 今度新たにプラチナプラグに交換し、また嶋田電装マフラーアースを付けたが、そのあたりの効果かもしれない。私の車グッズに対する態度は、「そのことで安心できて気分がよくなればいい」といったところだから、突っ込みはご無用です。
 

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四川省地震

●四川省地震
 被災地は調査で訪れたところばかりなので、生々しい実感がある。
 暴動の報道があった、もっと山奥に位置する四川省チベット地区もきっと甚大な惨害を被ったことだろうが、いかんせん情報も入りようがない。
 これがビルマ被害とも相俟って、やがては世界情勢にどのような影響を与えていくか。しかしまずは、人を助けることからだろう。被災に国境はない。そして日本は、こういうときの募金箱設置などは素早いはずだ。
 それにしても、まったく別の観点から考えると、そもそもオリュンポスのの聖火を、ロケットつまりはミサイル燃焼技術を応用して須弥山すなわちチョモランマ頂上へ持ち運び点灯させるなどという度外れた行いが、なにか讖をなしてはいなかったか。

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ラ・フォル・ジュルネ

○ラ・フォル・ジュルネ
 学校は振り替え休日。ある用事で有楽町に出たら、東京国際フォーラムで、ものすごい規模のフェスタをやっている。「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」というので、もともとヨーロッパで始まったもの。今年はシューベルト特集で、世界から音楽家が集う。企業メセナも綺羅、星の如く。かつて住んでいた札幌にも夏になるとPMFという音楽フェスティバルがあるが、このあたりで残念ながら規模の差がつくわけだ。
 フォーラム中庭にはハイネケンビールの緑色の幕が到る所にかかり、一見ゲルマン風の五月祭の雰囲気だが、出ているワゴン車屋台が焼きそばだのインドカレーだのというのはただの地域振興イベント並みの艶消しで、あの「ビア・ウンテ・バイン」の楽しさを知っている身としては、何とかならんものかと思った。

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ボリュームあるトンカツ屋

○ボリュームあるトンカツ屋
 学校が会議日で早く引けて、帰宅後、妻を連れて買い物と食事に出る。
 京王線沿線のあるニュータウンに旨いトンカツ屋があるという情報を妻があるサイトから得ていたので、そこをたずねる。疲労回復のため、薬食いと観念する。豚に詫びながら食べよう。
 駅前の商店街から通り一つ入ったところに、件の店が小ぢんまりと営業していた。店構え、店内の様子から見るに、70年代後半くらいに開店してそのままといった感じ。いまどき懐かしい。
 入ってすぐに周りの客の皿を見回した妻が、恐れをなす。料理が半端ではないボリュームなのだ。ご飯などは碗の上に高々と盛り上がり、ただでさえ大きな飯碗の優に二杯分はある。しかもそれをさらに「大盛り」にして、かき氷の如き景観のものを悠然と食べている客の姿には驚き入る。
 壁を見ると、近傍にある某大学ラグビー部の色紙などが貼ってあり、つまりはそうした胃袋の大きい、食欲をひたすら満たしたい若い衆が、もっぱら愛用する店なのだと合点がいく。
 私が注文したロースかつ定食も、拳骨を二個併せたくらいの大きさで、切り身一切れが、ちょうど気取った店の一人前ほどもあるように見えた。妻の頼んだ生姜焼き定食も、そうとうの分量。
 とはいえ味も決して悪いわけではなく、大いに満腹し、かつ栄養も補給して店を出たのだった。

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冬から夏

●冬から夏
 今日はもう汗ばむほどだった。昨日まで室内も冷え冷え、外気もひんやりしていたのに、えらい違いだ。
 考えてみると、今年は春がほとんどなかった。四月の初めに、桜の頃、わずかにうららかな日々が、それも二日か三日程度あっただけでまた冬に逆戻りしていた。毎週毎週、寒冷低気圧が襲い、やませに苦しんだ。
 日本もついに、春がなくなって冬から夏に直接移行する、そんな気候になったようだ。粗暴な、荒々しい気候だ。大伴家持も清少納言もどこへやらだ。

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