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宿泊研修終了

○宿泊研修終了
 一泊の宿泊オリエンテーションが終了した。疲れきった。
 私はもっぱらフンイキ担当という役回り。若手の准教授などが奮闘している横で、「プレゼンス」をしておくというわけ。別名「第七艦隊」というわけですか。

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おついたち参り

○おついたち参り
 ようやく暖かくなったとはいえ、空気にはいまだ冷たさが混じる。多摩のニュータウンあたりでは、桜も満開には至らないようだ。
 オリエンテーションの合間の唯一の休日で、近くの神社へのお参りも兼ねて、散歩に出る。少々遅れたが、「おついたち参り」というつもり。ここが新たな氏神様ということになる。無人だが、たぶんニュータウン化以前からの氏子の人たちで維持管理されている。大晦日から正月の「どんど焼き」までは新住民の初詣も多く、社務所でお札も頒布する。
 今は梅がすっかり終わり、境内の桜が五分か六分咲きといったところで、隣の公園には親子連れが弁当を広げてくつろいでいた。
 このあたりの住宅街には花木も多く、空き地には土筆も伸びて、散策するには最適だ。
 これでマックとかだけではなくて、洒落たカフェーのようなところで休息できれば、もっといいのだが。
 明日からは一泊で、新入生宿泊研修に付き合うことになる。

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留学生へのオリエンテーション

○留学生へのオリエンテーション
 学習面と生活面のさまざまな諸注意の後、まとめにこんな話をした。
「日本の神社にはお寺のような仏像はない。あるのはたいてい鏡だ。すると日本人が神社で拝もうとして鏡を覗き込むと、そこに見えるのは何だろう? それは自分の顔だ。日本人は自分を拝むのだ。君たち、朝起きて洗面するときに鏡を見るだろう。自分の顔を恥ずかしくなく見られるか。昨日はいろいろ失敗もした、それでも寝てる間に死にもせず起きられた。だから今日もしっかり生きようよ、と拝むのだ。別に日本の宗教を信じろと言っているのではないが、こんな心構えで、ひとつ日本での留学生活を立派に送ってみようではないか」

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夜桜見物

●夜桜見物
 今日もオリエンテーション・ガイダンス。日本人学生、留学生、編入生など、しかも学年別に、それぞれ違ったパターンでやらねばならないので混乱する。しかも非常勤の先生方のための説明会と懇親会もそれに混じるのだから、目が回る。尤もこれは、私も非常勤に行く側では同様にされているわけなので、お互い様だ。担当者としては、会がお開きになって皆帰り、だれもいなくなった最後まで残って、ケータリングの業者さんに十分お礼と感謝の気持ちを表わして引き揚げる。時には片づけを少々手伝ったりもする。自然にそうなるのだ。もと学級委員だからだろうか、というのは冗談だ。
 家に戻ってから、今度は妻を連れ、VOLVO240オンマニ号に乗って、まずインドカレーを食べに出、それから日高鶴ヶ島のあたりまで、日光街道の夜桜見物遠征をして、帰宅。

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オリエンテーション開始

●オリエンテーション開始
 ついに「死のロード」が始まった。入学ほやほやの新入1年生へのガイダンスからだ。私は全体の仕切り役、ハインライン『宇宙の戦士』(スターシップ・トゥルーパーズ)でいうならばズイム軍曹の役どころだ。わけもわからぬうちに、強引にこちらに入れてしまう。気がついたら大学の一員だ。すべてはそこからだ。「横の席に自分の荷物を置かず、「ここが空いているよ」と、まごまごしている友だちを座らせてあげなさい。思いやりと言うものだろう」まずはこのあたりから。
 一年前も、「低気圧で寒い」と書いている。今日もひどい北風だった。桜の花がついた枝が何本も吹き折られているのを目にした。悪意さえ感じさせるほどの、胸糞の悪い寒気団だ。まあそれも今日までのようで、これからは、いつ合服にするかなどと、明るいことを考えよう。「百年に一度」と眉根を寄せるよりは、「身の丈経済でまかなえる」と喜ぶ心持ちで、世を変えていければいいと思う。
 VOLVO240オンマニ号は上々のペースを取り戻した。スプリットファイアのプラチナプラグも、やっと本領発揮か。

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入学式

●入学式
 長らく書き込みをしなかった。これにはじつにさまざまな理由があったが、ようやく書けるような状況にも心持ちにもなった。これからも根気強く続けて行きたい。
 VOLVO240オンマニ号だが、調子よく走っている。100キロを越す長距離も、何度もこなしている。先月は、数少ないチャンスを生かして、中津川一泊の木曽往復もしてきた。高速を使えば、リッター10キロの燃費だ。チャンスを逸してオイル交換を怠っているのに、この数字だ。とはいえ、4月には12ヶ月定期点検を控えているので、併せてオイル交換もせねばならない。この報告も、いずれ書き込む。
 今日は本務校の入学式だった。昨今は学生のみならず,親も多数つめかけ、会場は満員となるので、私はいつも会場には入らず、ロビーでたむろする。他学部の先生とも、久し振りに顔を合せて話のできる機会でもある。
 最後は少々雨もよいになりかけたが、無事に記念撮影まで終えて帰宅。明日から休みなしの新入生オリエンテーションが始まる。文部科学省による「大学認証評価」などという愚行が始まった結果、4月上旬というのは、これまで呑気に構えていた大学教師にとって、「死のロード」に変ってしまった。

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ボルボ240、ガレージ入り

○ボルボ240、ガレージ入り
 ボルボ240オンマニ号を、オート・ボルタへ持って行く。
 今回は整備というより、修理とメンテナンス。伸び縮みしなくなっているアンテナマストを交換してもらう。それから、燃費が悪くなっている(リッター7キロ)ので、エンジン吸排気系のバルブ箇所のカーボンを清掃除去してもらう。WAKO’sのF1は、すでに2本投入済み。これでなんとかなってもらいたい。
 さらにオリジナルのアース線の交換についてだが、ガレージ社長によると(この人が電気のエキスパートだということはすでに書いた)、このアース線は特殊で、どこからか先が二股に分かれているらしい。さらには端子部分はカシメるだけではダメで、職人芸的にハンダを流し込まないと、結局抵抗がついてしまうのだという。
 そんなこと、素人にできるはずもないではないか。ガレージ社長は、私がアース線を作ったということをボルタ社長より聞いて仰天したらしいが、私だってそこそこまめだし、実行力もないわけでもない。だいたい、その気にさせたのはガレージ社長でしょう、とボルタ社長に言ったら笑っていた。
 というわけで、もし純正部品があるならば、このアース線も新品に取り替えることを依頼しておいた。もちろん、できればの話で、こだわっているわけではない。
 代車はふたたびラシーン。こがね虫のようにぶんぶんうなって、よく走る。大きさも挙動もカナブン並み。先も見えないような豪雨の中をくぐり、家までたどり着いた。
 ボルボ240オンマニ号は来週戻ってくる予定。ガソリン価格も少し下がってきたし、試運転をしようと考えている。

*ちなみに、三推社/講談社から、『ボルボ定番トラブル解決事典!!』新版が出版されています。オート・ボルタの紹介も載っています。よろしくご高覧願います。

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オリンピック雑感

○オリンピック雑感
 映画『東京オリンピック』を観ると、当時の東京の大気は相当汚れているように見える。「スモッグ」というやつだ。ときどき60~70年代ビンテージカーの行進などあるが、後に残される排気ガスの臭いに、頭が痛くなる。小学生のころは、あれが一向に平気だったのだから、今の北京に心は痛むが、どうこう言えたものではないという気もする。ただ前車の覆轍に学び、繰り返さないことを祈る。それとも、それを一度通らないと、やはり学ぶこともできないのか。
 むしろ当時のオリンピックと今のそれとの違いは、選手の態度だ。前にも書いた記憶があるが、東京オリンピックのころ、勝った選手はむしろ悲しげな顔をしてうつむき、それを負けた選手が笑顔でねぎらい祝福する。はでに手を上げたり、国旗を体に巻きつけたり、フィールドで大の字になって喜びを表わすなどということはしない。
 つまり「満ちた月は欠ける、上がりきった水は下がる」わけで、頂点に立ったら後は落ちるしかない。勝者はそれを知るからむしろ悲しむ。敗者もそれを知るから「心配するな、これでもともとだ、またこれからがある」と、もう一度ゲンをかついでいたわるのである。「勝って兜の緒を締めよ」というのもこれだ。
 これがdecentというもので、昔は世界中の人にこの慎みがあった。
 これがなくなったのと、オリンピックが商業化したのとが、ちょうど重なるように思うのだが。
 そう考えると、棄権した選手を国賊扱いするなどとはもってのほかだ。だれが土佐選手を袋叩きにするものか。東京オリンピックでは、そんなことはしなかった。それでも円谷は自殺したのだから、そんな悲惨なことはしないがいい。
 

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終戦記念日

●終戦記念日
 終戦記念日ではあるが、私は少々手の腱を痛め、整体治療院に行かねばならなかった。
 お盆だというのに治療院はちゃんと開けていて、患者も引きも切らず。先生は親切。
 こうして、さまざまなところで、さまざまに働いて、この国や地域や社会を幸せに支えていること、それが英霊への最高最大最良の供養なのではないだろうか。
 べつにこの日に、あんな状態の靖国へ行かなくともだ。
 というのが、今日の私の感慨だ。

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お盆の夢

○お盆の夢
 お盆だけあって、さっそく懐かしい故人が夢に入った。
 その人に色紙を書いてくれと頼まれて、筆を執る。何十センチ四方もあるような大きな色紙。「ふきのとう」と書くのだ。最初の一枚か二枚は、どうも自信がなく、また字の体裁を気にしすぎてぎこちなくなり、思い切って固い色紙を折り曲げて捨てる。「そうだ、体裁など気にせずに好きなように書けばいいのだ」と気がついて、急に楽になり、筆を思うがままにのびのびと滑らせながら下書きすると、気持ちよく大きくうまく書ける。新しい色紙に筆を下ろし、気持ちよく「ふきのとう」と、我ながら達筆に書き上げる。「そうだ、賛も書かねばならないのだ」と気づき、なにやらもっともらしいことを書き連ね、終わりに「……ふきのとうはこうして再び新たに伸びるのであります」などとまとめる。
 そのあたりで目が覚める。
 思うと、その故人の名はこの色紙の題とある意味でつながりがある。

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