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サイト移転

○サイト移転
きぬのみち WEB SITE」を置いているサーバーを移転した。
 これまでのサーバーが消失した。以前からつながらないことがしばしばあったが、それでも何とか回復していた。ところが今回はだめだと思ったのは、親会社のサイトの方まで接続できなくなったからだ。さすがにこれまではそこまで行かなかったが、もうこれで縁の切れ目だと思った。まだ1年分のレンタル料を払い込んであるが、微々たるものだし、仕方ない。
 このレンタルサーバーは「yukai.jp」。元は札幌のベンチャー企業で、結構しっかりしていた。ところが「ebrain21」というところに吸収されてから、とたんにおかしくなった。しばしばダウンする、サポートはまったくダメ、それでもダウンした分の契約期間を延長するなどの良心的な面もあったので我慢しつつ使っていたのだが、それもいよいよ限界となった。というよりも、おそらく会社そのものが消失したのだろう。IT業界は、離合集散が激しいから。
 それで、新しいサーバーは沖縄の「
ちゅらうみレンタルサーバー」。まだできたばかりだ。yukaiに較べて高くなったが、料金の一部をサンゴ保全や海の回復などにも使うというのに共感したのと、まんざら沖縄に縁のないわけでもないというところで決めた。できたばかりということもあるが、サポートもすぐに返ってくる。当分はここにするつもりだ。
きぬのみち WEB SITE
http://kinunomichi.churaumi.me/index.htm

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シーサーズ・世志恵さん追悼

●シーサーズ・世志恵さん追悼
 女性島唄ユニット「シーサーズ」のアーティスト、世志恵さんが世を去った。7月22日のことだった。詳しくは「yayoの気まぐれ徒然日記。」に譲り、ここには私の思い出を記しておく。
 世志恵さんとのつながりは、ピキけんじ氏の紹介で、新宿区役所裏にかの女が開いた店、「鍛冶(かんじゃーやー)」に行くようになってからのことだ。たいていそこで泡盛「瑞泉」を、カンバン近くまで飲んだものだ。
 そんな関係から、しばしばコンサートにも顔を出すようになった。舞台の世志恵さんは、八面六臂で太鼓を叩き、その姿はあたかも天岩戸のアメノウズメを髣髴させ、たしかに巫女さながらのカリスマの輝きを放射していた。やがて私もミルク神の役でちらりと出演したり、荷物運びに車を出したりするようにもなったのは、以前に記したとおりだ。
 そんな中でひとつ印象に残っているのは、たしか赤坂でのライブの後、いきなり世志恵さんから、締めの挨拶をしてくれと頼まれたことだ。まだシーサーズを知って間もない頃で、ずっと以前からのファンもサポーターもたくさんいるのにと思って、「とてもできないよ、ふさわしい人もいっぱいいるのに」と答えると、かの女は「いいえ、あなたはほんとによく分かっているんだから」と力を込めて言ったので、私はたしか何やらもぐもぐと不得要領のことをしゃべって壇を降りたのを覚えている。どうしてそんな風に私のことを見込んだものやら、今も見当もつかないが、そこがかの女の巫女的直感のなせる業だったのだろうか、不思議な有難さを感じる。
 24日には通夜に行った。焼香の後の精進落しはゆかりの人間が参集し、ちょっとないほどの「盛り上がり」となって、いかにも「かんじゃーやー」にふさわしく、2時間にもなったほどだった。その後の「二次会」もあったことは、言うまでもない。
 お別れの顔は美しく、眠っているがごとくだった。「いつも、いつまでも友だちですよ」と語りかけた。
 この人が、これからもつねに変らず私たちを力づけていてくれることを、私は信じて疑わない。

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日蝕

●日蝕
 なぜみんな狂喜するのか分からない。「感激」とか「感動」とか。
 古来、不吉なものだろう。「天岩戸」の神話でもわかることだ。
 そうした「迷信」を打破しようと、科学がメカニズムを解明し、予測もできるようになった。「現象」となったのだ。
 それなのに、こんどは喜ぶとは。
 本末転倒だろうと思った。

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衆議院解散

●衆議院解散
 N●Kのニュース番組で、各党の事務所を順繰りに「○○党です」と画面を切り替えながら報じていくのを観ていて、「ゆく年くる年」を思い出した。「○○寺です。今年は……でした。来年こそ……の祈りを込めて……」あの調子だ。まさに党と議員にとっては今日が大晦日、ゆく年で、総選挙からが「くる年」なのだろう。
 この40日というものが、どちらにとって吉と出るか。私には、これは麻●総●の思う壺で、もはや勝ったと確信しているように感じられた。
 ちなみに夜のニュース、各テレビ局を較べながら観たが、N●Kは民●に肩入れ、日●レとT●Sはやや自●に辛口、フ●はどちらかといえば麻●に批判的、そしてまったく意外ながらテ●朝報●テは自●に大いに肩入れした番組作りをしているように思えたのだが、まあ床屋政談しかできない素人の大勘違いだろう。

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ボルボ240、不安残る

●ボルボ240、不安残る
 金曜日、ボルボ240オンマニ号で学校へ向かう。この日は高曇りで比較的しのぎやすく、それで車も何事もなく動いてくれる。エンジン音は静粛で、ただATの切り替わりに多少の重さあり。
 放課後、オート・ボルタに電話を入れ、とりあえずはもう少し様子を見ることにすると伝える。もう日の暮れた駐車場を出て、スモールからロービームに切り替えたとき、やはりエンジン振動に一瞬の切断感というか違和感があり、ラジオをつけると、案の定、リセットされている。つまり瞬間的に電気が落ちているということだ。そのまま走らせ、安全な場所で路側に寄せて停車し、もう一度ライトを消してから、スモールライトをつけ、ロービームに切り替えたとたんにエンジンストール、電源からなにからすべて落ちて真暗になる。0.5秒後には、電源だけ甦る。あらためてイグニッションスイッチを入れなおすと、普通にかかる。念のため、何度もライトのスイッチを入切してみるが、もうエンジンの振動もほとんど変化なく、エンストもしない。
 この時点で、もう一度オート・ボルタに電話し、状況を伝える。「そうですか、なるほど、さきの整備のときにライトスイッチあたりの電位は測っていて問題なかったはずですが…。電圧かなあ、イグナイターですかねえ」と社長。「とにかく、原因が分かったというには程遠いですが、なんとなく匂いはしてきましたよね」と私も答え、いずれにしても来週回しにしようということにする。
 土曜日は車に乗らなかったが、今日日曜日はオンマニ号でホームセンターに買い物に出る。高速も少し使ったが、結局エンジンストールもせず、ハンチングもなし、ラジオの断電もなくて戻ってくることができた。今日も炎天下の猛暑ということがなかったので、あるいはそれが幸いしたのかもしれない。思うに、やはり電気系の問題なのではないかと、現時点では考えているのだが、はたしてどうなのだろうか。

 余談ながら、途中で寄ったコメダ珈琲店、満員で大人気。軽食も取れ、くつろいで備え付けの新聞や雑誌も読める、こうした形式の喫茶店は、もう東京ではお目にかかれなくなったので、むしろ客足が絶えないのだろう。ただし、あのサンドウィッチのボリュームは、東京では大きすぎる。たとえ美味しくても、あとで胃にもたれてしょうがない。東京人は、名古屋や上方人にくらべてずっと小食だから、あの半量で十分だ。さもなければ、二人で分けて食べるか。以前、近鉄名古屋駅のキオスクで驚愕したことがあるが、コンビニサンドウィッチでもおにぎりでも、明らかに東京のそれの二割から三割増しの大きさと分量だ。というか、きっと名古屋や関西人には、東京のものなど、「なんやのんこれ」てなもので、おそらく食べ物のうちには入らないに違いない。

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ボルボ240、まだ不調

●ボルボ240、まだ不調
 今日は35度。炎天下、ボルボ240オンマニ号で学校まで。まずエンジンをかける。アイドリングは安定。そろそろと発進。少しアクセルを吹かし気味にしながら走っていく。水温計も上がり、一安心と思っていたら甘かった。ATの切り替わりが少し重く、ショックが大きい。だがそのまま走っていくと、二、三度、ラジオがすっと消えかける。音がしなくなるのだ。「ヤバいっ」と思うが、そのつど0.5秒程度で復活して、リセットがかかるまでにはならない。エンジンもその瞬間に、クッと息をつく。いわゆる「ハンチング」だ。プラグの問題か? ちゃんとスパークしていないのだろうか。しかしまあ、それ以上のことは起こらず、エンジンストールもしないまま、なんとか学校にたどりつく。
 さて学校も引けて、夜、駐車場を出る。さすがに日中の猛暑は収まって、強風の名残が多少の涼を呼ぶ。公道に出るためのスロープを登り、スモールライトからロービームに切り替えた瞬間、一度ハンチング。
 これは電気系(電圧)か? バッテリーのインジケーターは緑色だったが、などと思いつつ、おっかなびっくり走らせていく。その後はアイドリングが不安定になることもなく、音も振動も静かに、無事帰宅。
 ボルタ社長がガレージ社長に聞いたら、「それだけの情報では、何一つ分からないな」と言われたそうで、確かにそのとおりだろう。やはり暑さで参っているのか。
 金曜日に再びオンマニ号を使う予定なので、そこで再び様子を見ようと、ボルタ社長とも話を決める。

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うえの夏まつり大道芸

○うえの夏まつり大道芸
 遅ればせながら、うえの夏まつり。
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 7月12日のこと。去年同様、うえの夏まつりに出演。島唄ユニット・シーサーズおよびマタハリ・ボーイズの一座の端に連なる。私の役どころは、沖縄の来訪神であるミルク。未来仏弥勒~その化身布袋和尚~ニライカナイの福の神ミルクと、系譜的にはこうつながる。ここではとくに、竹富島のミルクを模した。この苦労については、
www.yukai.jp/~kinunomichi/0409hwii.htmを参照されたい。
 場所は、上野不忍池弁天堂前の広場。ミルクの衣裳に着替えるだけで、もう汗びっしょりになる。ステージは5時と7時の2回。最後に観客の男性が近寄ってきて、着物の胸元におひねりを入れてくれたのには驚愕した。生まれて初めての経験だった。
 なお詳しくは、シーサーズのブログ「
島唄な日々」および「yayoの気まぐれ徒然日記」をお読みください。
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ボルボ240、2度のエンジンストール

●ボルボ240、2度のエンジンストール

▲麻生対反麻生。要するにこれは、アメリカの権力闘争の日本内代理戦争だ。われわれはなおも、太平洋ポエニ戦争を戦っているのだ。

 昼に授業がひとつ終わった後、移動のためにボルボ240オンマニ号のエンジンをかけ、最寄の交差点まで走り、信号待ちしていたら、そこでエンジンストール。すぐに再始動させ、交差点を右折しようとしたら、その途中に再びエンジンストール。パワステが効かなくなってハンドルがあれよという間に重く固くなり、左側のガードレールが目前に迫る。一瞬のことで頭は空白。幸い小さな交差点で、他に車もなく、人もなく、スピードも徐行以下だったのでなんとかオンマニ号は止まり、直ちにハザードランプをつけてサイドブレーキを引いて、再始動する。
 後続の車をやり過ごしてから、そろそろと発進。油断なく注意を払いながらアクセルを踏んでいく。その後はもうエンストすることもなく、無事に帰宅。
 ただちにオート・ボルタに電話をかけ、社長と相談。エンジンストールの原因の切り分けはたいそう難しい。燃料ポンプか、アイドルエアコントロールバルブか、イグナイター(パワーステージ)か、等等。「いまガレージに入れても、そうしてすぐ再始動が可能な状態だとすると、車載コンピュータの自己診断コードすら出ないまま、部品の交換で散財するだけに終わってしまう、もう少し症状が頻発するようになってからにしましょう」という、いささか恐ろしいご託宣。こちらとしてはそうなる前、つまり未病のうちに何とかしたいのだが、そこはプロとの違い。ともあれ、いつでも連絡を取れるようにはしておく。
 結局それから後はエンジンストールは起こらず、ひとまず車は安定している。
 今日の昼間は35度くらいに気温が上昇し、炎天下に駐車していたので、オンマニ号も熱中症で貧血を起こしたのだろう。これは冗談や気休めではなくて、ガソリンが気化してプラグにかぶったりとか、電気系が弱ったりとかあったのかもしれない。だいたい、エンジン温度が上がるまでの間に今日のエンストは起こっているから、とりあえずは環境保護には逆行するが、少しアイドリングをして回転を安定させて、水温計の針が動き始めてから出発することで、しばらくは対処してみよう。
 しかしこれで、ごく初期の冬の雨の中で1度起きて以来絶えてなかったエンストが、今年はこれで3度だ。あまり不安を持って乗ると車はそれを感じ取るのでいけないが、少々注意を払いつつやっていかねばならないかもしれない。

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浅草寺ほおずき市と「小柳」

○浅草寺ほおずき市と「小柳」
 学校が引けて、夕刻、浅草寺ほおずき市に出撃。善男善女と外国人観光客とで、仲見世は雑踏。雷除けのお守りも売り出していて、お寺は書き入れ時だ。
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 参拝も済ませ、縁日もひとわたり廻り、私と妻はうなぎの店「小柳」に入る。満員で相席、別に気にならないが、カウンター席が空いたのでそちらに移る。先客さんはほっとしたろうと思っていたら、すぐに後から客が来たので結局同じことになった。うなぎの焼け具合といい、蒸し加減といい、これぞ江戸前という感じ。皮もまったく絡みつかない。たれも御飯の量もじつに中庸を得ているが、こんなことを山の手の人間が言うのは野暮の骨頂というものだ。カウンター席のお隣の老夫婦は、冷やしトマトなどのつまみで品よくビールを飲んだ後、おもむろにうな重を注文したので、これが嗜みというものかと、ひそかに感嘆する。
 店を出て、名残にもう一度縁日を見る。宵闇に電球が輝き、ほおずきの実と葉に照り映える。さすが四万六千日と見えて客足は絶えず、今夜は仲見世も、また周辺の店も、遅くまで開けて賑やかなようだ。やはり町はこうでなくては。
 最後に「亀十」で菓子を買って、帰宅。

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入谷鬼子母神朝顔市

○入谷鬼子母神朝顔市
 授業終了後、妻と待ち合わせて、入谷鬼子母神の朝顔市見物に行く。これも毎年のことになった。昼間は雨もよいだったので心配していたが、夕刻にはすっかり上がって、空には雲が流れ、夕焼けが美しかった。
 まず鬼子母神に参拝した後、境内ではや朝顔を買ってしまう。あれこれ見るのが面倒なこと、それから鉢も土に返る材料、行灯のひごも竹製だというのが気に入った。
 通りは車両通行止めで、老若男女で溢れ返っている。朝顔の店より露店が多く、飲み食いが目的の勤め帰りの男女もまた多い。
入谷朝顔市02入谷朝顔市01









 私たちはちょっと離れたところにある小さなもんじゃとお好み焼きの店で軽く食べて、家まで戻った。
 
 同じ時期に、河童橋の周辺では下町七夕まつり、また浅草寺ではほおずき市、不忍池周辺ではうえの夏まつりも行なわれ、この時期上野と浅草界隈では暑気払いが目白押しだ。下町の人は、楽しみをよく知っている。

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