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グーテン・ノイヤー

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○グーテン・ノイヤー
 朝、ご来光を拝み、若水を汲んで、支度をして近くの氏神様に初詣に行く。風もなく穏やかで、歩いていると汗ばむほど。
 氏神様は、来る人もぱらぱら。真夜中の頃がいちばん賑やかだと思う。去年はそうだったから。今朝はもう焚き火もほぼおさまって、地元の人たちが数人であたっているくらい。新装成った社務所でお札をいただく。地元言葉丸出しの小さなおばあさんに男の人たちが丁寧に頭を下げて挨拶していたことを、妻が「このあたりは甲州と相模の方言が混ざっていると聞いていたけど、あのおばあさんはなるほど『……じゃんかよう』と話していた」と、印象的に語る。地域有力者の一族の人か。
 だいたい、大勢の初詣客が押し寄せる神社仏閣は限られるのだろう。つまり、参詣は参詣だが、地元の神とか何の神とかいうのではなく、ご利益、評判、それより何より、いつもと違う、たくさんの人が詰め掛ける、賑やかで華やかな場に自分も身を置きたい、毎年そうしたい、という心持、衝動から、有名どころに足を運ぶのだろう。だから真夜中、深夜がいちばん楽しいわけで、夜通しの料理屋や食堂、露店にわざわざ寄って飲み食いもするのだ。この人恋しい心理というのは、深夜初詣の大好きな私にはよく分かるような気もする。これを書いている現在、「ラジオ深夜便」で石川啄木の短歌を朗誦しているが、啄木も結局、こんな心理の持ち主だったかと思う。
 さておせちもお屠蘇もいただき、夜は頂き物の「満寿泉」を飲みながら、ウィーン・フィル・ニューイヤー・コンサートを鑑賞。
osechi05.jpgこれが「満寿泉」です。毎年、干支のボトルに入って来ます。瓶の中の虎が見えるでしょうか。
もう、「日本酒」の味ではありません。磨き上げられた、なにか別の「米から造った酒」ですね。






 それでは、弊ブログを御覧の皆様に、御挨拶申し上げます。「グーテン・ノイヤー!」

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除夜の鐘

謹 送 旧 年 ・ 謹 迎 新 年

大晦日になると、いつも思い出す、中原中也の詩があります。
大晦日の夕刻の浅草、国際通りや伝法院通り、新仲見世や大黒屋を通るとき、いつもこの詩を思い出します。
また三十年前、代々木の空は、確かにこんな感じだったのです。

除夜の鐘

除夜の鐘は暗い遠いい空で鳴る。
千万年も、古びた夜の空気を顛はし、
除夜の鐘は暗い遠いい空で鳴る。

それは寺院の森の霧った空……
そのあたりで鳴って、そしてそこから響いて来る。
それは寺院の森の霧った空……

その時子供は父母の膝下で蕎麦を食うべ、
その時銀座はいっぱいの人出、浅草もいっぱいの人出、
その時子供は父母の膝下で蕎麦を食うべ。

その時銀座はいっぱいの人出、浅草もいっぱいの人出。
その時囚人は、どんな心持だらう、どんな心持だらう、
その時銀座はいっぱいの人出、浅草もいっぱいの人出。

除夜の鐘は暗い遠いい空で鳴る。
千万年も、古びた夜の空気を顛はし、
除夜の鐘は暗い遠いい空で鳴る。

よいお年を。

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歳の納めの買い物

○歳の納めの買い物
 歳の納めの買い物に、浅草と神保町に出る。浅草は吉例で、伝法院通のところにある「大和屋」の出店で佃煮を買う。200912301355000.jpg今日もたいそうな人出で、食事ができるところはどこも行列。羽子板市のときにもう観音様への納めの参詣は済ましたので、今日は「アンヂェラス」の洋菓子だけ買って、早々に立ち去ることにする。寿町の一角にある小さな蕎麦屋で、軽く認める。
 その後は神保町に廻る。途中、上野のところで、ちょっとだけアメ横風景をかすめる。なんでも延べ200万人の人出とか。たしかに、黒山の人だかりがちらりと見えた。
 神保町も少ないなりに人が歩いていて、本屋もスポーツ店もまだ開けている。毎年、すずらん通の揚子江菜館で中華おせちを予約するので、今年もそれを取りにきた。
 これで目的は達成したので、あとは一瀉千里にボルボ240オンマニ号を飛ばし、1時間足らずで国立府中インターを出る。高幡不動のパティスリー「Fujiu」に寄り、ここでも洋菓子を買って帰宅。いよいよ年の瀬となった。
 夜になってから、ちょっとだけ地元のスーパーに買出しに出たが、家族連れがそれなりに買い物をしていた。菓子パンのコーナーなどは売り切れ。おせち用の食材も並び、一応は華やかな雰囲気を出している。遠近に見える、ニュータウンのマンションや住宅の窓の明かりも結構な数がともり、そんなにみんな旅行や帰省もしていないようだ。「巣篭もり年越し」というやつか。

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仕事納め

○仕事納め
 T大の授業終了。ところが一週間たつと、もう新年の最初の授業だ。つまり実質、何も変らないということだ。「冬休み」などというものではない。
 夕方から、鍼に行く。これも年内最後。根津のあたりもそれほど人通りも多くなく、「歳末セール!」というような心騒ぐ感じはまるでなし。店も早めに閉めるし。さすがに「赤札堂」の中は、紅白の紙を貼っておせち用品を売っていたようではあったが。
 それにつけても、90年頃の歳末風景を思い出す。当時、非常勤で武蔵小山に通っていたが、商店街は雑踏し、のぼりははためき、街頭スピーカーからは大ヒット中の「~ピーヒャラ、ピーヒャラ、踊る……」というメロディが絶え間なく流れ、抽選器の「ガラガラ……」という音が響いていたものだ。今は昔だ。
 帰りの電車の車内も、押し黙った黒っぽい冬服のサラリーマンばかり、仕事納めの赤い顔など一人も見かけない。「火の消えたよう」とは、このことだろう。停車駅ごとに、そそくさと降りていく。
 不景気か、それとも社会の成熟か。後者であればいいと思う。
 けれども、大学の休みを削るなど、けっして成熟した社会ではありません。
 

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快気祝い

○快気祝い
 今宵は高校時代のミニクラス会兼忘年会兼湖水地方さんの快気祝いの会だった。
 青学の向かいの、じつに小洒落た「まる(圓)」という和食の店。献立もひどく奇を衒っているというわけでもなく、上品な味。
 アメリカから一時帰国している人とも三十年振りくらいに再会したりして話も弾み、よい具合にお開きとなった。
 湖水地方さん、病気ご快癒、ほんとうによかったです。これからのブログは、仕事との両立ですよ。無理せず、体を労わりながら、来年もよい感受性を綴ってください。楽しみにしています。

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ローマ法王御災難

●ローマ法王御災難
 ローマ法王御災難。世界で民心がおかしくなっている。シー・シェパードもそうだし、COP15の紛れ込み女性活動家もそうだ。狂信者だ。
 もっともいまの法王様は、言っていることは保守的で堅くてその面からはいいところもあるかもしれないが、いまだ御顔からカリスマのオーラが発せられてないようにも思う。「有難味」というやつか。頭を撫でてもらったら立ち上がり歩き出した、というような。
 巷はもう、正月の仕度に衣替えか。

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クリスマス・イブ

○クリスマス・イブ
 今年のクリスマス・イブは気忙しかったが、それでも都心の赤坂、四谷あたりはちらりと覗いて来た。
 箱に入ったデコレーション・ケーキを売っている店だけはここ近年では多いような気もしたが、それ以外では大して華やいだ雰囲気も無し。ただの忘年会シーズンというのみ。要するにサカスとかヒルズへ行かないとダメなのだろう。
 帰りの電車でも、みんな仕事帰りの話などして、とくに歳末らしいという感じもしなかった。今夜は少々蒸し暑いくらいの空気だったし、車内には軽く空調も入っていた。地元に帰っても、多少空気が冷たいかな、という程度。091224cake.jpg
 写真は、昼間に買ってきておいた、多摩センターに本店のある「グラン・クリュ」のチョコレートケーキ。上に生クリームが乗っている。その後ろは、小さなクレッシュで、飼葉桶に寝かされた小さなイエス様。
 ちなみに、「グラン・クリュ」の本店のあたりは、そこだけがミニ軽井沢、といった雰囲気。

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神参り

○神参り
 冬至も過ぎて、これからは一陽来復。今朝の太陽はもう輝かしく、ベランダで草木に水をやっていると、背中がじりじりと暑いようだった。
 昔は冬至はミトラの誕生日だし、後にイエスの誕生日になるし、新年元旦と言ってもいいだろう。
 それで今日は、地元の氏神と一ノ宮にお参りしてきた。風は温かく、日射しもおだやかで、恰好の日和だった。氏神様には新しい社務所ができたが、古いものもそのまま残っていて、どう使うのか。宮司もいなくて氏子によって維持されているが、もっと隆盛になってほしいものだ。ニュータウンの新住民たちにも勧進に回ったら、結構援助してくれるかもしれない。大晦日にはそれなりに初詣の行列になるようだから。
 同じことは武蔵一ノ宮にも言えるので、ここは宮司はいるらしいが常駐はしていない。だからお札やおみくじやお守りをいただけるのは、たぶん正月三箇日だけだ。聖蹟桜ヶ丘の駅からすぐのところで、神域もそれなりに広いのだから、再興の余地は大いにあると思うのだ。
 私の知る限り、ここ数年、21世紀に入ってから見違えるように整備の成った神社は、いくつもある。松陰神社しかり、代々木八幡神社しかり。いや、地方の神社だってそうだ。前世紀のことが嘘のようだ。
「結局、こうした近傍の自覚が、いちばん遅れているのかなあ」と言っていると、妻が「(自覚していてもその分)みんな都心の神社に行っちゃうんじゃないかしら」と、正鵠を射たことを言った。
 やはりブランドなのだろうか。縁結びとか、霊験あらたかとか、著名人ゆかりとか。まあ中世でも、衰微した神社仏閣は、みんなそこを梃子に復活していったのだろう。高野聖も伊勢御師も、そうした存在だ。そうすると、地元の氏神などにそうした余波が及ぶのは、まだ遠い先のことかもしれない。
 しかし、「苦しいときの神頼み」ばかりでは、やはりまずい。それだと再び「宗教の阿片化」だろうからだ。
 そうならずに、敬神や敬虔さの自覚につながればいいのだがと思う。

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浅草羽子板市

○浅草羽子板市
 年も押し詰まった土曜日というのに、まだ入試の打ち合わせ会などに駆り出される。
 幸い昼前に終わったので、浅草まで足を伸ばすことにする。羽子板市の最終日。
 下町のここ大川沿いまで来ると、青空にはもう、はるか北関東を感じさせる、あのやや白い光がさしている。
 浅草寺羽子板市は、高村光雲の聞き書きなどによれば、昔は「歳の市」だった。それがしだいに、もっぱら羽子板を扱うようになったらしい。
仲見世本堂側から仲見世側を見る羽子板市風景お買い上げ・三三七拍子直後です 毎年吉例の、干支の置物と楊枝入れを買う。伝法院通りも仲見世も、一杯の人出。土曜日の昼時だし、「大黒屋」も「小柳」も行列、「ヨシカミ」に至っては2時間くらい待ちますなどと紙が出ていて、当たり前だが到底入れるものではない。
 まずは観音様に詣でる。境内も祈願者で黒山の人だかり、中国語も至る所で聞こえる。
 お参りの後は、去年も寄った境内の小屋掛けの店で、小さな歌舞伎羽子板を求める。語りが独特の調子で面白いおじさんの店で、三代に渡ってやっている。前の年のことも覚えていてくれたようだ。
 羽子板市を後にし、人形焼、それに「アンヂェラス」のケーキを土産に買って、こちらは田原町まで転進。ひとつ目をつけている天麩羅屋があったのだ。それに浅草は、なんでも観光値段で高い。
 店の名は「たけなわ」。天丼を注文。昼の定食時間には、味噌汁、サラダ、漬物もついて800円。ちょっとたれが少なめだが、味も揚がり具合も、御飯の具合も、「大黒屋」に優るとも劣らぬ、と思った。お酒の肴もあり、夜はまたいいだろう。
 帰り道、表参道で地下鉄を乗り換えたのだが、構内を歩く人たちはみんな、流行のやや細身の黒っぽい服を着て、身のこなしも素早くて目の覚めるようで、下町とはまるで大違いだと思った。

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