実現 子どもの時は、ずっとロボットであればいいと思っていた。感情を持たなくて済むからだ。感情があるから、悲しい思いや嫌な思いをしなければならなくなる。では楽しい思いは? いやいや、楽しい思いをした分、それだけ嫌な思いのマイナスの分量が大きく多くなる。だから、楽しい思いもいらない。つまり、感情はいらない。そのためには、ロボットであればいい。 長じては、修道士になりたかった。そして、最後は遍路になり、野垂れ死ぬ。いつも目を半眼に開き、じっと蓮の花の上に坐っていたい。一切の波乱や起伏は、金輪際御免だ。 ところで、大震災後の現在の状態はどうか。感情も、心も、冷え切った。高揚感など、一切起きてこない。ヤマトの波動エンジンが、かかりそうでシュ~ンと落ちてしまう、ちょうどあの場面の感じだ。つまり、感情が出ない。楽しいことも、嬉しいことも、まったくない。いや、怒りや嫌な思いの炎も、もはや焚火の後の消えかかりの風情だ。 とすれば私は、まさに自分の思い通りになってきている。自分の思いや望みが、見事に実現してきているではないか。 これこそが、私の望んだことなのだな。 今、そう思う。 [1回]PR