あの世からのデバイス 自分が嫌いだから「自分を勘定に入れず」行動する、というのはどうだろうか。 自己犠牲というのは、自分を嫌い憎むから、自分を捨て、自分を殺すのだろうか。 少なくとも、私にはそういう傾向がある。というか、ほとんどそうだ。 自分なんぞなくていい、と何度思ったことか。自分などというものがあるから、余計な執着や、苦しみが生まれる。 なんで人間は、そんなものを持ち合わせて生まれさせられてきてしまったのか。 誰が生んだのか。誰がそんな設定をしたのか。ずっとそう思い続けている。 この世の生身の人間を、あの世の操り人形に、あの世のマテリアル的実現手段としてのデバイスにしたのは誰だ。 そいつは、サディストで、同時にマゾヒストだと思う。 そう思う。 [0回]PR