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フィレンツェ大聖堂落書

●フィレンツェ大聖堂落書
 報道画面を見ていたら、日本語の落書の隣に横文字のものがあったから、つまりは訪問者みんな(全員、という意味合いではない)が記念落書をしていて、それが相当数残っているということだろう。
「みんながやっているので……」という学生のコメントも伝えられているように、まっしろな壁にひとりだけ落書するということは、いくらはしゃいでも、ちょっとそこまでの勇気は出ないだろう。
 日付、所属、姓名とは、しかしまたいかにも正直だ。あたかも「記帳」の感覚で、どうせなら「瓦」でも寄進してくればよかったのに。

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学生の質問

○学生の質問
 授業の後、学生が質問にやってきて(これはこの学校では珍しいことなのだ)、
「昔の人は、今と同じような、国民とか国とかと考えていたのでしょうか」と言う。
「それは、自分は……国の人間だ、とか、となりに……国がある、などとは考えてはいただろうが、パスポートだの、国籍だの、納税だの、国民国家になってからのような感覚とは違うだろうね、半分くらいずれて半分くらい重なっているだろうね。僕らは今の知識で過去のことを当てはめ分類しているに過ぎないからね」と答えた。
 するとまた、
「世界史で得た知識なども、危ないですね」と言うので、
「危ないこともある。でも知識は必要だ。『知識は使うもので、知識に使われてはいけない』ということだろうね、君はたいへん良い質問をしてくれた」と答えた。
 いい質問に答えているうちに、「いい答え」になっていくわけで、ダイアログが久し振りにできた。

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副都心線

○副都心線
 体調がほぼ回復した。今日から授業復帰。しかし無理せず、ストレスを溜めず、いたわりながらやっていきたい。
 また今日から衣替えをした。例年通り、レイン・スプーナーのアロハ「ラハイナ・セーラー」のボタンダウン・プルオーバースタイル。下はごく普通のスラックス。アロハの裾はスラックスの下に入れ、黒革靴を履く。これで十分、ビジネス・ドレス・コードに合致する。尤も、それはホノルルのダウンタウンでの話だ、と言われれば身も蓋もない。
 あとは沖縄かりゆしウェアもあるので、アロハと使い分けながら、暑い季節の授業を、汗をかかずに楽しんで乗り切りたいものだ。

 授業の帰りは、東京メトロ副都心線に乗ってみた。結論から言うと、私の通勤には使い物にならない。まず、学校から駅まで遠すぎる。しかも駅が深く、通路も長い。乗り換えも同じ問題点で、結構時間がかかる。他路線への接続も、いまひとつのようだ。
 今日はおまけに、東武線と西武線からの乗り入れ列車をラッシュ時にうまく捌きこなせずに混乱が生じて、それが午後遅くにまで影響を及ぼしていたようだった。
 こうした初期故障は開業時にはつきものだが、それにしても早く安定させないと、結局は山手線に顧客が戻ってしまうだろう。たぶん、トータルで考えると、時間も手間も、そんなに変らないだろうと思われるから。
 車両そのものは、私鉄標準型のさらに進化形で快適だが、まあ他の私鉄にこのコンセプトが波及することはないだろうとも思った。例によってメトロの贅沢主義。

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夢の話

○夢の話
 起きる直前の夢。
 なにか幕末大河ドラマの主人公になっている。
 ある高名な陶芸家のところに、子供たちをたくさん引き連れて乗り込む。
 子供たちが手びねりで作った稚拙なぐい飲み(赤膚焼きのような感じ)を積み重ねながら、「なんで子供というのは、こんなものを作るのかねえ」と陶芸家がひとりごちる。
「どうもあんたにうっかり乗せられてしまったようだ」と言いつつ私を睨みながらも、眼は笑っている。スランプだったのが、何かをつかんだようだ。
「(仕掛けたのは)私じゃありませんよ」と言って、私が向こうを手で指し示すと、身をかがめて作業をしていた副主人公(中村勘太郎のような俳優)が顔を上げて、はにかんだように笑うところがアップになる。

 ……本当は、もっと長いストーリーがあったという気がする。それこそ大河ドラマの枠である50分、そっくり観ていた感じ。たしか陶芸家がいろいろ箴言を吐くのだが、すっかり忘れた。きっとそれこそが、スピリチュアリズムでいうところのハイヤーセルフとか、ガイドとか、守護霊とかのメッセージなのだろうけれど。

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芥川と百閒

●芥川と百閒

(これは未消化の覚え書きです、転も悪く結はない)

芥川は頭で書いて、心(ガッツ)で書かなかった。

いや頭が良すぎて、ガッツで書くとどうなるか分かっていて、それが怖かったから書けなかった。

そして最後には、それに耐えられずに自殺した。

ところが百閒は、心で書きたくて、頭で書いていた。

しかしそれで結局は、心で書いたものになった。



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ウルトラマンとウルトラセブン

○ウルトラマンとウルトラセブン

 ウルトラマンとウルトラセブンの食玩おまけフィギュア揃いました。

 もちろんウルトラマンは「初代」です(もともと初代もなにもなかった)。
 
 研究室には、ハヤタ隊員がスプーンをかざしているヤツもあります。
 
 マニアックでしょう。

 というより、そんなフィギュアを作る方がマニアックなのかも知れません。

 ところが、なぜスプーンなのかを、ちゃんと知って解っている学生がいましたね。

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秋葉原惨劇

●秋葉原惨劇

「人から必要とされない」という感覚。

自律できない人間は他律を求める。

そして「犯罪による裁き」という究極の他律を求める。

しかもそれは「追跡・逮捕」によって究極に「人から必要とされる」ことでもある。

宮澤賢治の23歳のときの作品に「復活の前」がある。将来への不安、家業に対する嫌悪、父との対立が渦巻く精神状態の中で書かれた散文詩である。

その中に、

戦が始まる、ここから三里の間は生物のかげを失くして進めとの命令がでた。私は剣で沼の中や便所にかくれて手を合せる老人や女をズブリズブリとさし殺し高く叫び泣きながらかけ足をする。

という部分がある。

なんとここしばらく繰り返される惨劇を思わせるではないか。賢治は、「よだか」のように孤独感と疎外感に悩まされる人間でもあった。

一方、この散文には、日清日露の戦争の残響、日中戦争の予兆がみな含まれるが、この年は第一次世界大戦終了、シベリア出兵の年でもある。

そして「よだか」も、おもねることの巧みな「狐」も、最後は殺されて「薄く笑って」死んでいくのだった。

より大きな惨劇 ── 戦争。

献花台に見られる浄化。

選択を過たないように。

(だがあれだけ携帯に書き込んでいるのに、どうしてそれが「自己省察」として昇華されぬまま「実行」に結びつくのか?)

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太王四神記

○太王四神記
 考証滅茶苦茶、アラン・ラッドの西部劇もジェラール・フィリップの史劇もごちゃまぜ。歴史の枠組みを借りたアクション・サスペンス・ロマン。
 大体、歴史上の広太王は、海を渡ってきた倭軍を散々に打ち負かしたと碑文に記していて、それをヨン様が演じているわけだが、すると韓流おばさんたちの頭の中には、広太王=ハンサム善玉、倭(登場するか否かは知らないが)=髭面悪玉というイメージが刷り込まれてしまうことになるだろう。ところが一方で、その倭(日本)は、唐に滅ぼされた高句麗人を迎え入れ、相模(高来神社あり)や常陸(ここの土器が高麗廃寺址から出土する)に住まわせた後、最後には武蔵国高麗郡を立てて入植させているのだ(もちろん武蔵国衙の監視付きだったが)。
 そんな経緯を知ってか知らずか、日高の高麗神社に韓流おばさんの参詣が増えているというのでは、亡命の若光王も苦笑するしかないだろう。
 それでも日高の人たちは早速お菓子などを売り出して一儲けの算段を整えているようで、幹線からちょっと奥まっていまひとつ発展の契機をつかみにくいこの地域の振興の一助になるならば、なかなか喜ばしいことかもしれない。

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映画「東京オリンピック」

○映画「東京オリンピック」
「ヒストリー・チャンネル」で「東京オリンピック」をやっていたので,最後まで観てしまった。私は同時代人として(といっても小学2年)、聖火点灯場面(感動してすぐさま絵に描いた)、ジェット機が描く上空の五輪(しかも予行演習の白煙のもの)、円谷とヒートリーのデッドヒートなど、生々しく記憶にある。何かのクーポンを貯めて送ってようやく手に入ったチケットが、戸田ボート会場の入場券で、当時としては「これはとても遠くて行けない」ということで諦めて、誰かに譲ったことも覚えている。
 映画そのものはたいへん象徴的かつ表現主義的手法で、古典的。長谷川町子の「いじわるばあさん」に、映画を観た後「よかった、感動したわあ」と話していたいじわるばあさんが、入った喫茶店では打って変わってくさすので、不審に思った友達が尋ねると、いじわるばあさんは「後ろの席に市川昆監督がいるのよ」と耳打ちする、というものがあったが、よくできているとは思う。3時間飽きなかったから。競歩の選手がゴールのテープをくしゃくしゃとつかみ捨てる場面など、小学校のとき映画館に引率されて見せられた当時から、強く印象に残っている。それにしても、当時の東京は、なんと空気が濁っていたものかと思う。70年代に公害問題がクローズアップされる前で、誰もなんとも思わなかったのかもしれない。そう考えると、今度の北京オリンピックのことを笑えない。そして今回のオリンピックに感動した中国の子供たちが、何十年か後に、見違えた北京で、当時のことを懐かしく思い出すのだろう。
 いま改めて観て思うのは、当時の人々の慎ましやかさだ。たとえアメリカ選手であっても、現在のように感情をあらわに飛び跳ねたり、こぶしを振り上げたりしない。国旗を纏ってグラウンドを走る姿など、想像だにできない。勝者はむしろ沈んだ顔をして、そこに敗者が歩み寄り、笑顔でねぎらう。「オレが一番、すべてオレの力、勝利がすべて」という奢った態度ではなくて、「皆努力は同じ、私はなにか大いなるはたらきに勝たせてもらった」という謙虚さだ。ナントカ社製の水着でなくては記録がどうとか、そういう時代ではなかったということだろう。
 ものを経済でしか考えないこのとげとげしい現在、たとえ東京でオリンピックが再び開かれたとしても、それは「太陽の季節」都知事が見るような古い夢の再現とは、とうていならないのではないかなどとも考えた。

今日の夢:宇宙戦艦ヤマトに乗り組んでいる。ただしクルーは例のキャラクターではなくて、まったく知らない人たち。どちらかというと、中学生同士のような感じ。制服もずっと地味な白い作業服風。
 敵艦隊(これもガミラスではないようだ)が、10隻の単縦陣で迫ってくる。私はあるクルーに中学生のようにはしゃぎながら纏いつき、思いついたばかりのアイデアを話す。「先頭の2隻に対してまずショックカノン砲を撃ち、同時に5隻目と6隻目に魚雷を発射する、そうして戦列を混乱させながら突破するんだ」「よし、そうしよう」
 あっさりとこのアイデアが受け入れられ、作戦に入る。コントロールデスクの前に行くと、大きなプラズマパネルがあり、年かさのオペレータが起動している最中。どうやらヤマト自身が、いまスリープ状態だったようなのだ。画面中央には「74、73……」と小さな数字が減って行っている。「(立ち上がるまで)1分以上かかるからね」と、オペレータが笑みを含みながら言う。
 

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体調崩す

●体調崩す
 少々体を痛めた。
 先週土曜日、朝から学園祭担当、夕方から新宿へ出て高校クラス会、深更の帰宅、日曜日、朝から学園祭担当、夕方から渋谷へ出て中学クラス会、晩方の帰宅、月曜日授業3コマ、夕方会食。さすがに今振り返ると無謀。
 水曜の夜から調子を崩し、木曜日はとても登校できないと諦め、医者に行った。持病が再発ということで、5日間の安静が必要と診断書を書いてくれて、薬を処方される。
 この病気にかかったことがきっかけで、節制するようになっていた。牛肉豚肉は殆ど口にせず、家では玄米・野菜中心だ。とはいえこのところ、少々取り組みが甘くなっていたようだ。「未病」状態になっていたとも思われる。鍼の先生がちらとそんなことを言っていた覚えもある。
 それでも、ここまで体に気を配るようになっていたからこそ、ひどいことにもならず、今回も「再発」程度で済んだのかもしれない。大難を小難に、そして「無理するな、休め、大義名分を与えてやるから」ということか。
 そう考えれば、この病気は、体に無理をかけるとそのつど警告してくれるような、いわばありがたいものだと思って感謝したい。それに西洋医学も、東洋医学も、ともに体のことを考えてくれるものなので、ありがたくお受けする。セントの先生なら分かってくださるだろう。
 月曜日には出るつもりです。

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