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肌寒い雨模様

●肌寒い雨模様
 せっかくかりゆしウェアにしても、今日のように肌寒い雨模様では、あんまり意味もない。しかし授業でしゃべればそれなりに汗もかくので、やはりワイシャツ・ネクタイよりはましだ。
 ゼミ欠席の学生たちにメールで連絡などを取っているうちに、簡単に時間など経っていってしまう。中学生でもあるまいにと思うが、こうしたケアも、近頃の大学生には必要だし、また文部科学省も「ファカルティ・ディベロップメント」とか称して、大学自身の自己認証評価を求めてくる。学生育成の努力が芳しくないと、補助金カットという脅しだ。
 京都の例の大学の不祥事もそうだが、つねに注意を怠らず、不測の事態には危機管理能力で即応する体制作りが、今後はますます求められてくるだろう。しかしそんなことは、大学内部の素人にできるはずもないので、結果的にはアウトソーシング、つまり危機管理コンサル専門の傭兵会社のようなところに、高いフィーを払って依頼することになるのではないか。

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1989年6月4日

●1989年6月4日
 家を出ようとして、最初に遭遇した車のナンバーが「8964」。あまりにも出来すぎ。やはり何かを語っているのだろう。
 今年は天安門事件から20年。現代中国で、なにがどうなっているかについては、あまり興味はない。お尋ね者のはずなのに相手にされないウ○ルカイシは、いまや工藤髣髴のぶくぶく顔だ。政治的分析も、たいがい底が割れている。香港~上海閥のクーデター、南方系の北方系に対する勝利、第三の北伐完成だ。これで、私の知っている北京は消滅してしまった。
 マスコミの取り上げ方も、通り一遍でしかない。久○宏は報道から足を洗って第二の永六輔を目指しているし、筑○哲也は鬼籍に入った。古○伊知郎は当時、いまだF1にすら足を突っ込んでいないし、同時代的に語れるキャスターも払底だ。ただ私にとって、これが人生を変えた出来事であったことだけは確かだ。
 今年は、それ以外にも20周年だ。東欧革命20周年、チャウシェスク処刑から20年。さらに言えば、フランス革命220年。
 まだまだ、記念日は来る。
  

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生兵法

○生兵法
 ボルボ240関連サイトを見ていると、掲示板がたまに大荒れになる時がある。それは事前によく知識を(車についてもディーラーについても)仕入れておくことをせずに(そうするということにすら思い至らずに)、見た目とか価格とかでいきなりこのビンテージカーを購入し、さあそれから、泡を食って「教えてクレクレ君」になって問い合わせの書き込みを連発する人が出てくるときだ。
 サイトの主催者、また常連さんたちは、いずれも年季の入った本格的アマチュアで、親切ではあるが職人肌だ。またアマチュアとしての規矩は踏み外さない(責任を問われても困る)ためにも、少々厳しい物言いになる。「ものを聞くとき」の聞き方には暗黙のルールがあり、それが出来ていないと、まずそこで門前払いだ。知りたいなら、まず掲示板、経験譚その他多数のページをまず洗いざらい見ておけ、その間に前記のルールも自然に身につくだろう、それから初めて問い合わせなさい、といったところだ。「可哀想な人間が困り果てているのだから、助けてくれてもいいじゃないか」との言い分には「その気持ちはよく分かるが、ここは病院でも魔法の場所でもない、みんな頭をぶつけながらなんとかトラブルを乗り越えてきた、それが楽しいし、連帯感だし、助け合いなのだ、そこをわきまえて訊ねてくれれば、分かる範囲のことは喜んで答えてあげましょう」ということになる。つまり、「教えてくれ」「教えてやろう」この二者の間には、意外や大きなコミュニケーションの溝が横たわっている。「五里霧中なんです」という問いに「地図は調べたかね」と答えるようなものだ。「その地図の見方や調べ方が分からない」「それじゃあ面倒見られない」ということだ。
 これは日本の自動車教習所でよく見かける光景で、「何でも聞きなさい」とか教官が言うから質問したら、「教科書読んだ?」といわれてムカッと来る初心者はいくらでもいる。「だから、どう見当をつけて、どう読んだらいいか、そのやり方そのものから教えて欲しいのに」というわけだ。ここに、徒弟制度のいい面と悪い面、両方が現われる。
「なにくそ」と喰らいつけばすばらしい結果が生じるし、さもなければ泣いて諦める外ない。そして永遠に嫌ってしまうのだ。
 だから、生兵法は大怪我のもと。いきなり本格アマチュアの真似をしたり、下手な教えの請い方をして嫌な思いをする前に、素人はガレージへ行きましょう。まずは先達さんの言うことに従い、無理な背伸びをして我を張らないこと。

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高幡不動あじさい祭り

○高幡不動あじさい祭り
 地元の氏神に、一日遅れのおついたち参りを済ませ、高幡不動へ、一年前に戴いたボルボ240オンマニ号の御札を返しに行く。
 高幡不動の境内は、ちょうどあじさい祭りが始まったばかりで、写真を撮りに来ている人も多い。「ここの看板には、どれにもなんで〈可憐な〉山あじさいって書いてあるのかしら」と妻が怪訝な顔をするが、裏山の見学路に上がってみてその疑問は氷解する。あの大振りで、ときにはちょっとじめじめして気持ち悪いくらいに思われたりする普通のあじさいとはまるで違って、花も葉も小さく、色もとりどりに美しく、たしかに可憐という形容詞がぴったりなのだ。
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 参道の周辺には、土産物屋、菓子屋、それからなかなか美味い蕎麦屋など、小ぢんまりとしているが来るたびに飽きない店も並んでいる。下町には水天宮、深川不動、亀戸天神など、うらやましい町が多々あるが、ここ高幡不動も、東京西部すなわち多摩としては、なかなか捨てたものではないと思う。
 今日感心したのは、フランス仕込のパティスリーの店、「Fujiu」だ。焼き菓子から生菓子まで品揃えも多く、味は上品で(私は洋菓子の水準を見るときには、たいてい〈オペラ〉というやつで試す)、なにより妙な野心が見えないところがいい。これからお遣い物にできると思った。
 駅前には他にも「高幡ロール」が売り物の「マロニエ」という店もあり、手堅い需要があるのだろう。また京王の駅もモノレール駅と合体した総合店舗ビルとなって面目一新しているし、これからは多摩のひとつの要となっていくのではないかと思われる。
 蛇足ながら、腐女子の聖地であることはもちろんだ。今日も新選組グッズの店に入っていっていた。

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クールビズ始動

○クールビズ始動
 実際は6月2日に書いている。
 今日から衣替え。クールビズを大いに利用する。本務校でもホームページにちゃんと「6月1日より教職員は軽装で勤務します」と宣言してくれてあるので、ありがたい。私は汗かきなので、ほんとうに助かる。
 例年通り、かりゆしウェアと、レイン・スプーナーのアロハシャツという、沖縄とハワイの二本立て。ただし、ビジネスコードにはしっかりと従う。すなわち、紺色や灰色のスラックスおよび革靴の上に合わせるのだ。かりゆしウェアは裾を出す。柄は織り柄など、極力おとなしいモチーフ。色も生成りとか紺など、とにかく地味にする。アロハシャツは裾を入れ、レイン・スプーナーのスプーナー・クロスの裏地使い、ボタンダウン、プルオーバーのスタイルのもののみ、デザインも「ラハイナ・セーラー」か、あるいはレイン・スプーナー社自身がフォーマルユースにもオーケーと言っているものに限る。
 これで行くと、気分も爽やかですっきりするし、なにより汗のかき方がまるで違う。
 よほどのことがない限り、仕事にはこれで横行するつもりだ。
 一日しか着ない閣僚たちとは、大違い。

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みんなちがってみんないい

○みんなちがってみんないい
 八王子市役所前、浅川河畔で開催された、「みんなちがってみんないい」のイベントに行く。出演する「かりゆし楽団」が、島唄ユニット「シーサーズ」や沖縄スナック「かんじゃーやー」以来の知り合いなので、それで知らせがあったのだ。ほんとうは竹富島のミルク役でお呼びがかかったのだが、あいにく都合がつかず、今回はパス。残念。
 雨模様の中、イベントは盛んに行なわれている。サイトを検索すればすぐにわかることだが、多民族、多文化、それから健常者とチャレンジ・ピープル、みな金子みすずの童謡詩の一節「みんなちがってみんないい」をスローガンに集っている。
 来ている人、屋台を出している人、当然ながらさまざまだが、どうしてもアジアン衣裳、ナチュラル、ロハス、スローライフ好みの雰囲気の人々の割合が多いように見受けられるのは、私の僻目か。「みんなちがって」の「違う」というのが、どうも「世間様と違って」いる感じに、こうしたイベントではどうしてもなりがちかもしれない(その世間とは何か、いいか悪いかの議論はここでは措く)。気を長く持って、まるで空気のように、縁日のように当たり前になれればいいのだが。
 屋台はバラエティに富んでいる。「佐世保バーガー」も出店していた。昔だったら迷わずかぶりついているところだが、最近は健康をおもんぱかって魚・鶏以上は食べなくなっているので素通り。スリランカキーマカレー&ヌードルにする。小雨のそぼ降る河川敷のコンクリート階段に腰を下ろして、スリランカ瓶ビールをラッパ飲みするくらいの初歩的なワイルドさは、私も持ち合わせている。
 天気はこのくらいの梅雨の走りの曇天の方が、かえってよかった。かんかん照りだと、熱中症続出だったろうから。
 その後はさらに本務校の学園盛況の会場祭にも顔を出し、閉会式まで見て、帰宅。新虹(アラヌージ)エイサー隊

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スペシフィック・カイロ・プラクティック

○スペシフィック・カイロ・プラクティック
 今日は学校祭をちょっと覗いた後帰宅し、青梅にある「スペシフィック・カイロ・プラクティック」の専門療院に行く。腰痛がなかなか治らない。体が左右アンバランスに歪んでいるのだ。だが結局は、筋肉の付きどころに負担がかかった筋肉痛なのだそうだ。この療法は、体が本来記憶している正常なバランスを取り戻させる「自然治癒力」を導き出すためのものなので、信頼して、ゆっくり任せていくしかない。
 今日はだいぶん時間をかけて調整してもらった。
 また調子に乗ってパソコンの前に長時間いるような真似をしないようにしないと(といいつつ、こうして向かっているのだが)。
 もうやめる。

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スター・トレック

☆スター・トレック
 夕刻に帰宅後、妻を連れ、「スター・トレック」を観に行く。これも「スピード・レーサー」のときと同じく、初日。以前から楽しみにしていた。
▼ここからは、少々ネタバレもありますので、ご注意!
 タイトルの前の「板付き」の場面から、もう引き込まれる。これはここに登場するUSSケルヴィン号のエキゾチックな艦長、そしてカークの父親である副長、この二人のチョイ役が、見事に「掴み」を演じているからだろう(ちなみに、スター・トレック映画第一作でも副長は殉職しており、そのときもやはりヘボ副長が最期には英雄となって艦を救うのである。もっと言えば、第二作で殉職する副長はスポック)。
 劇の大枠のモチーフとしては、スター・トレック映画第二作「カーンの逆襲」を下敷きにしており、それにアメリカ映画の美味しいところを全部詰め込んだといった形。*エイブラムスというこの監督は、さすが目が高い。スター・トレック映画の中では、物語作りの名手であるニコラス・メイヤー監督の「カーンの逆襲」が、ホーンブロワー・シリーズへのオマージュである宇宙海洋活劇として、最も面白いのだ。「コバヤシマル・テスト」を使うところにも、第二作への思いが見て取れる。さらにこの「コバヤシマル・テスト」の最中に士官候補生のカークがリンゴを齧るシーンは、帆船時代にビタミン補給としてリンゴが食べられていたことを匂わせるし、それは西洋人ならば常識・定石だ。考えれば、スチブンソンの『宝島』の主人公であるジム・ホーキンス(カークと同名)は、リンゴ樽に隠れて密航するが、ジム・カークもこの物語の中では、ある意味密航のような形でエンタープライズに乗り込むではないか。たとえば、プログラムにもちらと説明されているように、オートバイに乗る若き日のカークは、ジェームズ・ディーンを髣髴(クリス・パインはジェームズ・ディーンのそっくりさんでもある。かれがオートバイを止め、聳え立つ建設中のエンタープライズ号に見とれるシーンは、「ジャイアンツ」でジェームズ・ディーンが製油所に見入るシーンの本歌取りだ)。また、身を持ち崩した酔いどれ医者として現れるボーンズ・マッコイは、言わずと知れたジョン・フォード西部劇の登場人物。思えば、スター「トレック」は、原作者ジーン・ロッデンベリーによれば、西部劇を下敷きにしているのだ。
 それ以外にも、敵であるネロの宇宙船に突っ込むスポックは、「ガリレオ号」事件のときの、「自暴自棄になるのが最も論理的」という姿を思い出させるし、また映画第一作のシーンの引用でもある。パイク艦長が拷問にかけられるとき使われる自白用の宇宙の虫は、第二作のなかでカーンがチェコフに使う虫の二番煎じだ。大団円で車椅子姿のパイク前艦長、あるいはフェンシングが得意のスールー、そして科白の中だけに登場する「アーチャー提督」、いずれも知っている人ならばニヤリとすることばかりだ。そしてこれらの要素が、すべて整合性を以てストーリーの中に収まっている。
 それでけではない。ネロの宇宙船は「エイリアン」のノストロモ号を思わせるし、異星の巨大怪獣は明らかに「スター・ウォーズ」の砂漠の惑星の怪獣、あるいは「ジュラシック・パーク」の恐竜のパロディだ。さらには、エンタープライズ号最初のワープ・ドライブの場面で、スールーがエンジン・コンタクトにしくじるのは、「宇宙戦艦ヤマト」で島大介が波動エンジン始動に失敗するエピソードのパクリだし(スールーは日本人とフィリピン人の混血という設定)、惑星をブラックホールに変えるというのは、「科学忍者隊ガッチャマン」のアイデアを頂いたものだろう。
 ことほどさように、この「スター・トレック」は、映画うるさ方にも、トレッキーにも、また一般の映画好きにも、一粒で三度楽しめる作品に仕上がっている。
 これで「スター・トレック」は息を吹き返したといえるだろう。すでに第二作製作が決まっているともプログラムには書かれている。そしてあの不評だった「エンタープライズ」も、場合によっては新たな命を吹き込まれるかもしれない。

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クロを送る

●クロを送る
 明るい雨の中、クロを送りに、ペット霊園まで妻と行く。病院に行く以外は、家から出たこともなかった。小さな菓子缶に納まったクロに、「お家にさよならだよ」と言って出る。
 ひと月前にシロを送った同じ墓苑。今日も先客がいた。線香を上げて別れを告げる。
 シロを合祀している供養塔に参り、「淋しくないぞ、クロもくるからな」と言う。そこにちょうど烏が二羽来て、まるで見るようにしていたのは、あるいはシロとクロだったのか。
 近くのファミレスで精進落しをして、帰宅。鳥籠も、籠を載せていた台もすっかり片付けたので、妙にがらんとしてしまった。かれら二羽の気配というのが、いかに日常になっていたかということが、あらためてわかる。

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何も無し

○何も無し
 今日は学校に行って、授業をして、帰って、食事をして……と、何も変哲無し。
 そうそう、ボルボ240オンマニ号に給油。リッター8キロは常に超える。Wako'sのF-1を4回投入。これでエンジン内部は、ずいぶんクリーニングされたはずだ。
 マスクパニックは、マスコミ・厚生労働省必死のキャンペーンによって、だいぶん納まったのではないか。要するに、他人に迷惑を及ぼさないということが大事なのだ。自分より他人、そうした観念を芽生えさせたのならば、これも雨降って地固まるだったかもしれない。そうなって欲しいものでもある。だからその点では、欧米のように、くしゃみ・咳のさいにはティッシュで口許・鼻を押さえるというのもまた合理的だ。だがそうするとすぐ、紙の浪費による資源問題の方は……という問題が出てくる。ハンカチだと手洗い拭きと共通になるので不衛生だし、悩ましいところだ。
 クロの姿と声がないのは、なんにしても淋しく哀しい。

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